メイド、街に出る②
ジレットがはじめにいじられたのは、髪だった。
「こんなにも綺麗な髪なのに、もったいないわ〜」
そう言いながらヴィラは、ジレットを鏡台の前に座らせた。櫛を使い髪を結っていく。ジレットは最初こそ戸惑っていたものの、途中からはそれを興味深く見つめていた。
(すごい……髪が編み込まれてる……)
間にリボンなどを挟み込み、ともに巻く。それが差し色になり、髪がより一層華やかになった。
ジレットが「すごいですね」というと、ヴィラは「最近の若い子はね、こういうのが流行っているんですって」と笑った。
「着ている服も、ちょっと地味よねぇ……他の服も、そんな感じかしら?」
「は、はい……基本的に、動きやすさと汚れが目立たないってことを重視してまして……」
「やだもったいないわ。女はね、いざっていうときや外出するときは、オシャレをしてテンションを上げるものなのよ? 服が変わるだけでも、気分変わるでしょう?」
「……確かにそうですね」
ジレットは、可愛らしいネグリジェを着たときのことを思い出した。昼間はほとんど仕事に時間を割いているため、夜が唯一オシャレを楽しめる時間だったのだ。
「お仕事は何をしているの?」
「えっと、屋敷の住み込みメイドを……」
「なるほど。じゃあそうなっちゃうわね。だったら下着だけでも、可愛いものつけるといいわよ。外側のオシャレができないなら、内側から、ね?」
「はい、ありがとうございます」
まぁジレットちゃんは、体のケアはちゃんと出来てるみたいだけど、とヴィラが笑う。ジレットもつられて微笑んだ。
「ジレットちゃんはちゃんと、自己管理してるのね。肌もしっとりしているし、住み込みで働いてる割には傷も少ないもの」
「はい。見た目くらいは、綺麗になりたいと思いまして……」
「いいこといいこと。あ、それとも、綺麗になってそんな自分を見せたい人がいるのかしら? ジレットちゃんの想い人!?」
「えっと……想い人と言いますか。お世話になったひとは素敵な方なので、見劣りしないようにと思いまして……」
「そうなの。ジレットちゃんは真面目さんね」
はいできた。そうヴィラが言うのを聞き、ジレットは鏡を見た。するとそこには、いつもより大人びて見える自分がいる。
(わたしじゃないみたい……)
髪型ひとつでこんなにも変わるなど、思ってもみなかった。しかもジレットの周りには、そういうのを機にする輩もいなかったのである。
「あ、の。わたしでもできそうなアレンジって、ありますか?」
「そうね。あるわよ。教えてあげるわね!」
「はい! ありがとうございます」
ジレットとヴィラがそんな風に話していると、部屋にエマが入ってきた。彼女はいくつかの布を手に持っている。
エマはジレットの姿を目に留めると、満面の笑みを浮かべた。
「ジレットかわいい! あ、母さん。これ」
「ありがとう〜エマ」
どうやらヴィラは、本当に服を作るつもりらしい。
ジレットは困った顔をした。
「えっと、さすがにお洋服をいただくわけには……」
「いいのよいいのよ。お詫びなんだから」
「ですが……」
「うちの娘のせいで、危うく常連客を離しそうになったんだもの。これくらいのサービスは当然よ〜」
「うっ。事実なだけに心に刺さる……!」
エマが大袈裟な態度を取っているのを見て、ジレットはくすりと笑う。するとヴィラは、ジレットの肩を叩いた。
「というわけだから、一着作らせて。ね?」
「はい。宜しくお願いします」
「ふふふ。こんなかわいい子に頼まれちゃったら、気合い入れないわけにはいかないわね!」
ヴィラは片目をパチリとつむり、ジレットの採寸を始める。ジレットはそれを受け入れた。
「ジレットちゃん、好みの柄とか色とかってある?」
「いえ、特にこだわりは……似合えばいいかな、と思っています」
「あらやだ。さっぱりしてるのね。でもある意味楽だわ」
「そうなんですか?」
「ええ、そうよ。好きな色と似合う色が違う子って、かなりいるから」
口を動かしながら、ヴィラはささっと採寸を終えた。
ジレットはその間、エマの淹れた紅茶を飲むことになる。
「母さんの服はとっても着やすいから、安心してね! ジレット!」
「うん、ありがとう」
ヴィラはどうやら、ジレットに似合う柄を早々に決めたらしい。楽しそうに型紙を作っていた。
「エマはねぇ、こだわりが多くてうるさいのよ? 体型が隠れる服じゃないと嫌なんですって」
「だ、だって、あたし太ってるし……太いところは見せたくないのっ」
「え? そうなんですか?」
ジレットが純粋に疑問の声をあげると、エマは頬を膨らました。
「食べるの好きだから、ついつい。でもいいもん。母さんの素敵な洋服が隠してくれるもん」
「あらやだ。褒められてるのか隠れ蓑にされてるのか、分からないわよ?」
「褒めてますぅ!」
エマが抗議の声をあげるのを、ジレットは優しい気持ちで見守っていた。
(素敵な家庭)
クロードにもいつか、こんなふうに過ごせる相手ができるのだろうか。
そしてそのとき、ジレットは彼の役に立てるのだろうか。
そんなことを、ふと考えた。
ちくりと、胸元に何かが刺さったような。そんな気持ちになる。
(何かしら、これ……病気?)
風邪の前症状かもしれない。そう思い、ジレットは「体調管理、しっかりしなきゃ」と内心拳を握り締めた。クロードは優しいので、ジレットの体調が悪くなるととても心配する。
(メイドが世話されるなんて展開だけはやめなくては……!)
そうなれば、ジレットの存在意義が危うくなる。ジレットはぶるっと身を震わせた。
そんなとき、エマが声をかけてくる。
「そうだ、ジレット。これはあたしからのお詫び。受け取って?」
「これって……」
エマがジレットに差し出したのは、赤茶けた紙を使って綴じたノートだった。中を除けば、そこにはびっしりと文字が連なっている。
内容はすべて、美容に関することだった。
「ほら、教えて欲しいって言ってたでしょう? 軽くだけど、まとめてみたの。さすがに口だけで説明するのは難しいからね〜」
「こんなに……まとめるの、大変だったでしょう?」
「いいのいいの! あたしはむしろ、それをジレットが大事にしてくれるほうが嬉しいな」
ジレットは、胸元辺りが温かくなるのを感じていた。
(どうしよう……嬉しい)
あまり人が好きじゃなかった。クロードとともに過ごせれば幸せだと、そう思っていた。
にもかかわらず、ジレットは今とても幸福を感じていたのだ。それはクロードからもらう幸福感とは違ったが、確かにとても温かいものだった。
出会ってからまだ間もないのに。
(こういう気持ちって、こんな些細なことで湧き上がってくるものなのね)
ジレットは頬を染め、ノートを受け取る。
「ありがとう、エマ。大事にするわ」
そんなジレットを見て、エマはとても嬉しそうにした。
「ありがとう、ジレット! そう言ってもらえると、ほんと嬉しいっ」
そんなエマに向けて、ヴィラはにまにまと怪しげな笑みを浮かべた。
「エマ、かなり頑張ってたものね〜。休みの日はうんうん唸ってたわ……レオが「姉ちゃん怖い」って言ってたわねそういえば」
「あ、あいつぅ……!」
エマが憤慨するのをジレットは声を上げて笑ってしまった。
「うふふ。エマったら!」
「……ま、まぁいいや。ジレットが笑ってくれたし!」
「エマの奇行、他にもあるわよ? ジレットちゃん聞いていく?」
「母さん!!」
エマが怒るのを、ジレットは微笑ましそうに見つめた。
そして頭をさげる。
「すみません、そろそろ帰らなきゃいけないので……また来ますね」
「あら、そうなの。残念だわ。時間があればうちでご飯食べていけばいいのに」
「母さん。ジレットは住み込みで働いてるんだから、無茶言っちゃダメだって」
「そうね〜」
「お気持ちだけ、いただいておきます」
ジレットはぺこりと頭をさげた。去り際ヴィラが「次までに仮縫いしておくから、また寄ってね」と言ってくる。ジレットは笑顔で頷いた。
そしてエマに見送られ、雑貨屋を後にする。
(何かしら……エマに会ってから、街に出るのも悪くないって思ってる自分がいる)
ジレットは少し弾んだ気持ちのまま、街での用事を済ませた。
そして意気揚々と屋敷へ帰る。
「クロード様、喜んでくれたら嬉しいな」
今日は、クロードとともに薔薇園でお茶をするのだ。そのために、とびっきりのお菓子を買った。
(クロード様だから、髪型に関して触れてくれるかもしれないし……)
クロードが何か言ってくれるだけで、ジレットは嬉しくなるのだ。彼の言葉さえあれば、とても幸せになる。
ジレットはそんな気持ちを抱えたまま、スカートの裾を揺らした。




