Episode1:秋月 春斗
「秋月」
遠い場所から誰かの声がかすかに聞こえてくる。注意してないと聞こえないような声で何度も何度も俺の名前を呼んでいる。
「秋月、いいかげんに起きろ」
その声で我に返り一瞬で目が覚める。そして、そのまま少しだけ青ざめてしまう。
「私の授業中に居眠り中とは随分えらくなったんだな」
目の前では怒った顔で数学担任の松木が俺を見ている。
「すいません・・・・」
俺はなるべく反省しているように見える態度でそう言った。周りではクラスメイトが笑っているのが聞こえてくる。もうちょっと声を落とせといいたくなっていまう。
「本当にそう思ってるのか?」
松木はさっきより少し平常に近づいた顔で俺に問いかけてくる。
「もちろんですよ。次からはもうしません」
「その言葉忘れるなよ」
松木はそう言って黒板の元へと戻っていく。
俺はほっとしながら黒板の方に目を移す。そこにはまったく理解できない数式や言葉が並んでいて目が回りそうになった。
授業終了を告げる鐘が鳴ってすぐに俺の席に1人の女子が近づいてきた。
「松木先生の授業で眠るってすごい度胸ね」
俺に親しく話しかけているのは、幼馴染の朝日 瑞穂。本当は1つ年上なのだが1年の海外留学をして俺達と同学年になった。瑞穂は誰もが認める美人で勉強もかなりできる。特に英語に関しては全国模試で3番をとったほどの実力の持ち主である。幼馴染でありながら俺からはとてつもなくかけ離れた存在である。
「眠るつもりじゃなかったなかったんだけどなぁ・・・」
「でも呼び出しされないだけ良かったんじゃない?」
「それも、そうかな。呼び出しされたら帰るのが1時間は遅くなってたな・・・」
「そうね。それより春斗、弁当食べない?」
「え、もう昼休みなのか?」
「うん。ほとんど眠ってた春斗には分かってないと思ってたけど」
「まじかよ。でも、なんとなくお腹は空いてるや」
「じゃあ、食べましょう」
そう言って瑞穂は持っていた鞄から弁当箱は2つ取り出した。そして、そのまま1つを俺に手渡した。
「いつも、ありがとな」
俺はそう言ってから瑞穂から弁当を受け取った。
「あ、言うの忘れてたけど、今日は私が作ったからね」
それを聞いた瞬間に箸が止まる。
「あれ、どうかした?」
俺のおかしな行動を不審に思ったのか瑞穂がそう聞いてくる。
「いや、なんでもないよ」
俺はなるべく落ち着き払った声でそう言った。そして震える手で弁当箱を開けた。
「見た目は普通なのに・・・」
俺は小さな声でそう言った。隣にいる瑞穂にも聞こえていないらしく美味しそうに自分が作った弁当を頬張っている。
見た目は美味しそうである。確かにそれは頷ける。でも味は多分やばい。
瑞穂は他の人とかなりかけ離れたおかしな味覚をしていた。そのため他人が聞いたら驚いてしまうような味付けを好みたった1人だけ美味しそうに食べるのである。
「・・・・・・」
俺は手を付けられぬまま弁当箱を見つめている。隣では瑞穂が本当に美味しそうに食べている。俺は勇気を振り絞り玉子焼きを口に運ぶ。
「パクッ」
口に含んだ瞬間に嫌な味が口の中に広がってくる。甘いようなそれでいてしょっぱいような味が恐ろしいスピードで。
「なぁ瑞穂、どうして今日はお前がつくったんだ?」
俺はやっとの思いで玉子焼きを飲み込み瑞穂にそう尋ねた。
「お母さん、今日から友達と旅行に出かけるから、準備が忙しくて作れなかったの」
なるほど。瑞乃さんは旅行に出かけるのか。それなら瑞穂しか弁当は作れないか。
「へぇ、いつごろ帰ってくんの?」
「1週間後って言ってたよ」
つまり、1週間は瑞穂の弁当を食べさせられるわけか。
「じゃあ、今日の夜はどうするんだ?」
「それも私が作るわよ」
「・・・・・・・・」
まじかよ。昼だけじゃなく夜も瑞穂の料理か。
「じゃあ、その間の夕食は俺も作るの手伝うよ」
「ありがとう」
瑞穂はそう返事してから弁当を食べるのを再開する。それに続いて俺も弁当を食べるのを再開する。
頑張って瑞穂の弁当を食べた俺は午後の最初の授業を保健室で迎えた。