完全最終話 『それから……』
1 如月と千秋
「マコさん、綺麗だったね」
千秋は、教会を出てきたところで、如月に寄り添って言った。小高い丘の上にある教会からは、駅周辺の町並みを一望できる。新学期を迎える三日前だった。夕焼け空がやけに美しかったが、何故か二人には、少し寂しい気分にさせていた。
「鈴美麗も良かったぞ」
彼も答える。
「もともと、キノちゃんは素質がいいからね」
「そうだな。王子だもんな」
如月は苦笑した。
「そう、レイズだもん。いいに決まってる」
千秋は腕組みする。二人は長い下り坂をゆっくり歩いていく。
「この後、どうするんだ?」
「転校するみたい。今の学校では、二人の存在は、大騒ぎになるし」
「そうか……。そう、なるよな」
「寂しい?」
千秋は顔を覗き込んだが、如月は答えなかった。
「二人が幸せならば、俺はそれでいい」
「もう、格好つけすぎ」
千秋は笑って、彼の肩を叩く。
「おまえは、どうなんだ……」
彼は、隣の彼女がハンカチを握りしめている事に気づいた。鼻を啜る音が聞こえる。如月は黙って、前を向いていた。それから、二人は何も言葉は交わさずにいた。夕焼け空が、千秋と如月の顔を照らしている。
「俺たち、あいつらの仲間だ」
千秋はようやく、彼の方を向いた。ふと、彼は彼女の手を取り、握り締めた。千秋も反応するように握り返す。
「学校変わっても、キノちゃんとマコさんに会えるかな。会ってくれるかな」
「おい、決まってるだろ。会えるさ、必ず」
「う、うん。そうだよね」
千秋は真剣な彼の顔を見て、安心した。そして少し考え込む。
「また、今年も夏に、コミケあるし……」
「千秋、またコスプレで出るのか?」
坂道はまだ、駅まで続いていた。
「俺は男を抱き上げる王子は、勘弁だからな」
「去年、キノちゃん抱き上げてじゃない」
「あっ、あれは……だな」
困っている如月の姿を見るのは、実に愉快に思う千秋だ。
「ところで、その、もうメガネは掛けないのか?」
彼女は、彼の顔を見た。
「必要ないもの。いえ、必要にしていない。コスプレの時だけにする」
「それじゃあ、別のものを贈るよ」
「いいよ、別に」
彼は繋いでいた手を、挙げる。そして、指を出した。
「千秋、どうしても贈らせてくれ。おまえらの喧嘩の原因になったもので」
「邦彦、何を?」
「鈴美麗があの時、言っていた。『もので証が繋がる訳じゃない。でも今はこれしか僕には、僕である事を伝えられない』ってね。あいつはあいつなりに、悩んでいた。そしてメガネの話をしたら、あいつ怒って言ったんだ。『おまえ何してるんだ』ってね」
「……」
千秋は如月よりも、先に歩き出す。
「おい、千秋」
握っている手を引っ張りながら、彼は止めた。彼女の肩が震えていた。
「すまん……、悪かったかな」
「……もう、何回泣かすのよ」
「千秋……」
「じゃあ、罰として、キノちゃんと行った場所に、連れて行きなさい」
2 海原と睦
「本当に、あんな風なんだね」
「そっ、そうスね」
睦の隣で、海原は顔を赤くした。
「でも、すごいね。もう結婚しちゃうなんて」
「きっ、キノさんは、マコさんのご両親にちゃんと『真琴を下さい』って言ったんです。そして、認められ、キノさんの家で、一緒に暮らし始めた」
彼の顔は更に赤くなる。睦はそんな彼の言葉を聞きながら、ふと想い馳せた。つい、二週間前の合宿時の、マコとキノの姿が頭をよぎる。
「最初から、無理だったんだよね……」
彼女は絡めていた指を解いて、海原を見た。
「けど、海原もいたの。キノちゃんのプロポーズの時?」
海原は、前を向いたまま、目を細める。彼は、あの佐伯とキノの花宗院家での激しい攻防戦を、忘れられなかった。
「守るべきものを、身を犠牲にして守る」
海原は再び、思いにふける。
「内藤との勝負の時も、マコさんを守るために、あんなに打たれた。だが決して臆してなんか、なかった」
彼は拳を握り締めた。改めて、キノの信念を認識する。心から沸き上がる気持ちを、彼は押さえられなかった。ぶるぶると拳が震える。
「海原?」
「決して、逃げない。必ず前を向いて、立ち向かう」
「なに? ちょっと、海原」
両肩をつり上げ、彼は睦の方を向いた。彼女は驚いて、じっと見つめる。海原は、その大きな手で、睦の肩を掴んだ。
「むっ、睦さん! ぼっ、僕! 何が何でも、守りますから!」
「はあ?」
彼女は身動きが出来ない。がっちりと肩を捕まえられていた。海原の手は、次第に力がこもってくる。
「海原、痛いからやめてよ」
その小さな体は、地面から浮いた。ゆっくりと海原と同じ目線まで持ち上げられる。足をバタつかせたが、無駄なことだった。
「僕のこと、信じて下さい」
無愛想な中に、小さな目だけは光っている。
「う、うん」
睦が半場、強制的に頷かされたようだった。彼の顔が一気に紅潮する。顔から湯気が出そうなくらい顔が火照っていた。
「わかったから、降ろして、海原」
「おっ、おう!」
彼は慌てて、手を緩める。途端に睦は海原の視界から消えた。
「ちょっと、海原!」
尻餅をついている彼女がいる。
「すっ、すみません!」
「もう、加減知らないんだから。キノちゃんだったら、こんな時どう言うかな」
海原は手を差し出した。大きな手だ。睦は最初躊躇ったが、ゆっくりと手を差し出す。それは彼の手から見ると、まるで小学生のように小さかった。彼女よりも先に、海原が掴む。
「睦さんは、キノさんじゃない。睦さんは、睦さんです」
「海原……」
先ほどと違って、海原は優しく引き寄せた。睦は少し、はにかむ。
「コーヒーでも、飲んでいかない?」
「うス!」
3 フェイルと亜紀那(と後藤?)
「亜紀那、荷物持とうか」
教会の駐車場で、フェイルは声を掛けた。後藤が車の掃除をしている。
「もう、キノ様たちはいいの?」
「花宗院のご両親と話しておいでだ。私がいても仕方がない」
亜紀那の持っていた荷物を、フェイルは持ち上げる。彼女はそれを目で追いながら言った。
「この間のこと」
「ゆっくりでいい。亜紀那の気が済むところで、すればいい」
「でも、フェイルは早く……」
フェイルは亜紀那の顔を見る。
「キノ様とマコ様が、落ち着かれてからでいい。私は今でも十分に思っている」
車のトランクを彼は閉めた。
「昨晩、キノ様に相談した」
亜紀那は、手を止めてフェイルを見つめる。
「わかっておいでだ。私たちのことを大事にしてくださっている。ひとつだけ、条件を出された」
「どんな?」
フェイルは、一息吐いて遠くを見た。夕焼け空が辺りを照らしている。
「高校を卒業するまで、保護者としていて欲しいと」
「キノ様が……」
「我々は……、亜紀那。キノ様に近い存在なのだ。慕われている。あの友人たち同様にだ」
フェイルはオレンジ色の光を受けている亜紀那の顔を、じっと見つめた。幾分か安堵しているようにも、感じられた。
「亜紀那、私はおまえが欲しい」
「……」
「けれども、それ以上にキノ様の愛情が、おまえを縛っている」
フェイルは亜紀那の肩を抱く。
「フェイル、私……、その……」
「亜紀那、いいんだ。そんなおまえが、いいのだ」
彼女の体の力が抜けていった。彼の胸に、亜紀那は顔を埋める。その行動が、フェイルを我に返させた。一度亜紀那の体を抱きしめた後、ゆっくり放す。
「すまない。こんな歳にもなって、不甲斐無い事を言うとは。情けない。私もまだまだ修行が足りないな」
彼は顔を硬直させる。
「キノ様の苦悩に比べたら、私の悩みなど、大した事ではないわ」
「おい、お二人」
後藤が運転席から、顔を出した。
「もうエンジン掛けて、いいか」
4 大介と綾子と花嫁
「真琴は、幸せになったか」
大介は、ロビーで煙草を吹かしていた。白煙が立ち昇っている。彼は、ほろ酔い気分だ。朝からずっと落ち着かず、ちびちびとウイスキーを煽っていた。綾子は彼の頭を小突く。
「なってますよ、随分と」
綾子は、彼をたしなめるように答えた。大介の隣のソファーに彼女は座る。
「そうか……、本当にそうか」
大介は何度も呟いた。メガネの奥は、とても寂しげだ。彼は遠くを見ている。綾子はため息をついた。
「全く……、ちゃんとバージンロードを一緒に歩いて、紀乃ちゃんに渡したでしょ、あの子を」
「それは、そうだが……」
大介はお酒が入っているせいか、大人げない。
「まだまだ、花宗院家でやらないかんこともあったろうに……。早すぎだよ」
綾子は、氷水をテーブルに置いた。
「はい、もうお酒はやめて、これ飲んでちょうだい」
「ああ……」
「大介さん、あなた、私が何歳の時に、口説きましたっけ?」
「は」
大介は突然の質問に、戸惑う。頭が回って、思い出しようもない。
「真琴と同じ歳の時よ」
「そっ、そうだったか?」
彼は思い出せそうもなかった。綾子は再びため息をつく。
「それは、それはしつこい方でしたね、あなた」
「そんな昔の話を、今頃どうして……」
大介はテーブルの氷水を、一気に飲んだ。
「あの時、あなた、私に言いましたよ」
綾子は大介に詰め寄る。
「私はあの言葉で、あなたのもとに行くことに決めたのですよ。一つ上のあなたに」
彼の喉が鳴った。
「おっ、思い出した」
綾子の顔が、微笑む。同時に大介の目頭に熱いものがこみ上げてきた。
「今でも、そう思うか」
「当たり前じゃないの。でなきゃ、ここまで付いて来ませんよ。それに真琴もこの世には、いなかった……」
大介はすっかり我に返ったように、ふらつく足取りで、窓まで歩く。
「真琴がいない世界なんて、考えたこともなかった」
綾子は大介の隣に、寄り添った。
「あの子は、しっかりしているわ。私たちの子だから。きっと紀乃ちゃんを支えてくれる」
「そうだな、俺たちの子だもんな」
大介は綾子の肩に手を回した。
「まだ、言ってないでしょ」
大介は困った顔をする。
「まだいるんじゃない、駐車場に」
「いっ、いや、それは、だ……」
彼は頭を掻いた。
「ちゃんと、言わなくちゃ。それが私との結婚の約束のはずよ。あの時に、言ってくれた言葉よ」
綾子は、大介を入り口まで連れていく。
「さあ、言ってきて」
ふと、駐車場から車のエンジン音が聞こえてきた。思わず大介は走りだす。足がもつれて、途中転んだ。エンジン音は、次第に変わっていく。
二人を乗せた車は門に差し掛かった。大介は必死に追う。何度も転んだ。しかし、彼は追い続ける。やがて車は教会の門を出てしまった。ついに彼は追うのをやめ、立ち尽くした。
「真琴、私は、綾子に君を産んで欲しいと頼んだ。絶対幸せにするからと。私は彼女に約束したんだ。私たちの子が結婚する時に、こう言うと。『……私たちの娘に生まれてきてくれて、ありがとう。私たちに幸せな日々をありがとう』と……」
大介は、嗚咽を発しながら、膝から崩れ落ちた。手に触った砂利を握りしめる。
「……幸せになって欲しいんだ、真琴。父さんは、心から、そう願うんだ……」
門の陰から一人の花嫁がゆっくり、歩んで来た。俯いていたが、やがて真っ直ぐ大介を見る。
「……ああ、ああ」
その綺麗な顔の頬に、幾筋もの滴が流れ落ちていた。一旦、花嫁はお辞儀をする。
それから最高の笑顔を彼に見せ、頷いた。
キノは〜ふ2 最終おしまい