8、人質の巫女
食事が終わると、ユーリが机の上を綺麗に片付け銀のトレーを使って食器類を全て持ち帰ってくれた。
「お話できて楽しかったです」と感想を述べてにこりと笑ったが、社交辞令かもしれない。彼が部屋を去って、オレークに連絡をしてくれたかなと思う頃になり、数人の女中が部屋へやってきた。なんでも皇太子殿下に謁見するからということで、正装のドレスを用意してくれたらしい。北国の正装服は、西国のそれと比べて分厚く暖かかったが、とても重かった。
その後再びユーリが戻って来て、きちんとカグワの準備が整ったことを確認すると、ようやくオレークが現れた。そして、シルディア殿下に会いに行くという。皇太子殿下に謁見するには、本来なかなか面倒な準備が必要らしい。
オレークに連れられ、カグワとユタヤはひたすら階段を下った。もともと二人にあてがわれた部屋は最上階にあったため、どこに行くにしても下らなくてはならない。
冷たい石塔の階段をひたすら下った後、二人は中庭を通り抜ける外の通路へと案内された。
「一瞬ですが外へ出ますゆえ……冷気にお気をつけて」
静かなオレークの忠告通り、外の空気は本当に冷たかった。西国で味わう真冬と同等の寒さではないかと思う。思わずカグワが身を震わせると、ユタヤが気遣うように己の羽織っていたマントを差し出した。「一瞬だから大丈夫」と断るが、彼は無言でカグワにそのマントを被せた。
そんな二人のやり取りを見て、くすと笑ったのは前を歩くオレークである。彼は霜柱の立った地面をしゃりしゃりと踏みしめながら、前を向いた。
「今はまだ秋ですから、さほど大した寒さではありません。……これから訪れる冬は、こんなものではない」
そう言って前を歩くオレークは、大した装備もしていないのに毅然として、寒さを感じさせない。この程度の寒さなどどうということもないと言わんばかりに、堂々としている。カグワはユタヤのくれたマントの前をたぐりよせてしっかりと防寒しながら、冷たく灰色に染まった空を見上げた。
「……北国ならではの苦労があるわね」
「……いかにも」
「だから、気候の暖かい東国と戦をしたの?」
直裁すぎる問いかけをすると、オレークは俄には何も答えなかった。カグワも返答を期待して投げかけたわけではない。ただ、この冷たい空気の中に晒されて、戦火にも晒される民を哀れに思っただけのことである。
オレークはそんなカグワの内情を知ってか知らずか、しばらくその問いかけについて考え込んだ後、小さく呟いた。
「私どもには……軍の考えることはわかりかねます」
それは先ほど朝食の席でユーリと話をしていた際にも聞いた言葉だ。彼らは揃って言葉を濁す。皇室の中にいては軍の意図など本当に読めないのかもしれないし、読めても本望ではないのかもしれない。あるいは、単に言葉を濁しているのか、カグワには判断し難いところであるが。
「今、この国は軍が仕切っているのだものね。……私、てっきり謁見するなら将軍が相手なのだと思っていたわ」
「将軍が?」
「さっきユーリに聞いたの。西国に話し合いを求めたのは皇室ではなくて軍だろう、って。だから謁見するならシルディアじゃなくて将軍が相手だって」
「……ユーリはそのようなことまで話したのですか」
言ってオレークが渋い顔をする。それを見て、しまった、とカグワは口を押さえた。ひょっとしてこれは聞いてはいけないことだったのだろうか。少女は「私が聞いたのよ」と慌てて付け足そうと口を開いたが、それより先にオレークが口を開いために言葉を飲み込む。
「恐らく……ユーリの言う通りでしょう」
「え?」
飲み込んだ言葉の代わりに、間の抜けた声が出た。前を歩く男は振り返らないため、その表情が見えない。ただ淡々と寒空の下を進み、中庭を通り抜けた先にある石造りの建物の扉を開いた。きぃ、と錆びた金属の音がする。
「シルディア殿下とのご面会という口実で、巫女君をお呼びしましたが……謁見の場には、将軍も列席するものと思われます」
「……そうなの?」
どうぞ、と開いた扉を押さえてオレークが建物の中へと誘導してくれるので、石段を上がって中へと足を踏み入れた。途端、温かな空気に包まれる。室内外の温度差が激しい。
「巫女君をこうして北国までお呼びしたこと自体そもそも殿下のお考えではない。軍からの要望ですから……巫女君にお話があるのも、殿下ではなく、軍の方でしょう」
「なら、最初から将軍の謁見だと言えばいいのに。どうしてシルディアを挟むのよ」
「それは、巫女君の御力を恐れてのことではないかと」
「私の、力……?」
「西国では巫力と呼ぶのでしたか……将軍も微力ながら『力』の持ち主ではあります。が、巫女君には及ぶべくもない。そこで、巫女様の『力』の干渉を防ぐために、間に殿下を置いて面会するつもりではないかと」
「将軍も『力』を持っているの?」
「ええ……。ここ北ラウグリアでは、軍の司令部のほとんどは多かれ少なかれ『力』を保持しています」
「へえ……。だったら軍の司令部だけで面会すればいいのにね。だって私は今、巫力を封じられているんだもの。どう考えたって、司令部全員で来られたら勝てっこないわよ」
「それは……どうでしょう。巫女君は今、『力』を封じられているとは言え、それはすなわち『力』を発揮して使えない状態にしてあるだけのこと。保持していることに変わりはありません。強大な『力』を持つ人間は、『力』ゆえに周囲に影響を及ぼす。……周りの凡人どもは、『力』にあてられてしまうのです」
「あてられる? 毒みたいな言い方をするのね」
「あながち間違いではないでしょう。……かくいう私も、殿下の力にあてられっぱなしだ」
言って、オレークはふんと自嘲するように笑う。シルディアの顔を思い浮かべて、カグワもなんとなく「『力』にあてられる」という意味がわかったような気がした。
シルディアと出会って話をした時、カグワは何度も背筋がぞっとするような、妙な「毒気」を覚えた。彼が喋るたび、彼が表情を変えるたび、ぞっとする。なのに目が離せず、言葉に聞き入ってしまうのだ。カグワは毅然と姿勢を正してその毒気に太刀打ちせんと気張ったが、これで全く巫力を持たない凡人であったなら、気張ることもできずに飲み込まれていたのかもしれない。とは言え、シルディアと同じく『力』を持つカグワにも、あんな「毒気」があるとはとても思えないのだが。
カグワは前を歩くすらりと背の高いその長身を見上げた。まっすぐと上品なその姿勢にも現れているように、この男は礼儀正しく律儀だ。シルディア殿下の付き人に任命されてから、ずっと彼に尽くしてきたのだろう。『力』にあてられても致し方ないというやつだ。
「オレークは……」
「はい」
「何年くらい、シルディアの付き人をしているの?」
「……は」
「最初からずっとシルディアの付き人をしていたわけじゃないんでしょう? 殿下の付き人に任命された時はそれはそれは驚愕していたって、ユーリが……」
「ユーリが?」
あ、とカグワは口を噤む。また余計なことを言ってしまっただろうか。
「私が根掘り葉掘り聞いたから。ユーリも無視するわけにはいかないからって教えてくれただけで……!」
カグワが慌てて補足し彼のことを庇うと、オレークはわずかにこちらを振り向いて、柔らかい微笑みを浮かべた。くす、とまるで子供を慈しむような笑いである。
「別段……ユーリを怒っているわけではありませんよ。どうぞご安心を」
「そうなの……?」
「ええ……ただ、巫女君は変わっておられるなと」
「……よく言われるわ」
変わり者の聖女、とは後宮でのカグワの呼び名であった。自身では変わっているつもりはなくとも、周囲はそう言う。西国でもそうなら、北国でも同じだ。
「私はかれこれ三年ほど、殿下の付き人、すなわち世話役をしております。短くとも長い月日を殿下とともに過ごしてまいりました。西国一の『力』の使い手、巫女がくると聞いて……私は、てっきり殿下のような御仁が来られるのだと思っておりました。ですが……」
言いながら、オレークは白磁の階段をのぼる。きらびやかな内装の先に、巨大な扉が見えた。扉の脇には兵士が二人、その中を警備するように立っている。——恐らくは、あの先が謁見の間だ。
「ですが、巫女君の『力』は、毒というよりも……まるで日光のようだ。眩しさに目がくらみ、その暖かさに油断して服もなにもかも脱ぎ捨てて裸になってしまうような……実のところは、毒よりも恐ろしいかもしれない、不思議な『力』であります」
「……」
ありがとうと喜べばいいのか、心外だと怒ればいいのか、どうしていいのかわからず、カグワは口を閉ざした。
そうこうしている間に、謁見の間の入り口と思われる扉の前へと辿り着き、オレークがくるりとこちらを振り返って深々と頭を下げた。
「こちらに——殿下がお待ちです」
言われて足を止め、カグワはその高い扉を見上げた。重々しい風体のその先に、シルディアと将軍がいる。自分が今、西の国を背負っているのだと思うと、緊張よりも寒気がした。それがこの北国の冷気が原因でないことは、明確である。
「巫女以外は中に入る事は許可されておりません」とオレークに言われ、入り口の扉の前でユタヤとは分かれた。この知らぬ土地で彼を一人にすることをカグワは恐れていたが、オレークと一緒に待機するなら大丈夫だろうと根拠もなく安心した。最初にユタヤがカグワの仗身であると、獣人であると気付いたのはオレークだ。彼なら、ユタヤを獣人であるという理由で差別し害することもないだろうと思った。ユタヤはユタヤでカグワを一人にすることを案じているようであったが、「私は大丈夫よ」と微笑んで、彼に借りたマントを返すと、さすがに謁見の間にまで着いていくことは憚られたのか、頷いた。彼と分かれて開いたその扉の先は、外観からの期待を裏切らず、豪勢なものであった。
広く縦に長いこの部屋は、普段はダンスホールにでも使われているのだろうかというほどに天井が高く、音が反響する。天窓からきらきらと冬の日差しが差し込み、白い床を照らした。その白い床の続く先に、一段高い場所がある。——玉座だ。金色に光る巨大な玉座に、一人の少年が腰掛けていた。
「エウリア君主国の巫女君……どうぞ玉座の前へ」
そう言ったのは、少年の横、玉座の横に控えた中年の男である。玉座の隣にいるためであろう、帯刀はしていないが、そのがっしりとした体格から軍人であることが予想できた。恐らくきっとこの中年の男が、将軍だ。
カグワは将軍と思われる男の言葉に従って、長く玉座へと続く白の床の上を、まっすぐ歩いて行った。一歩歩くたびに、履いている靴が床とぶつかりコツコツ音を立てる。音は高い天井へと反響し、謁見の間の中に響き渡った。
しかし言われた通りに玉座の前までやってきて、そこに座る少年と、控える将軍らしき男の顔を見て、カグワは次に何をすればいいのかわからなかった。巫女の予備軍として育てられた聖女たちには、他国の君主に対する礼儀作法など教えられなかったのである。巫女はエウリアの中では最も神に近い存在だ。誰かに謁見されることはあっても、誰かに謁見することなどない。
そんなカグワの動揺を見抜いて、「作法などよい」と言ったのは、玉座に座った少年であった。
「余と巫女は同位。本来、玉座から見下ろすものでもない。が、今回はこれしか用意できなかった。非礼を許してほしい」
カグワは大きく目を見開いて、その少年を見つめた。
これが、あのベッドの上に寝転がっていた色素の薄いシルディアだろうか。あの時は寝間着を着ていて、今は正装をしているから、風体からして雰囲気が違うのかもしれない。だが、それにしてもあまりにも違う。別人のようだ。
「余は、ラウグリア帝国の君主である、セベプ・ラウグリア・オグロミニィ・エルヴァ・ダル・ラプソディアの第一子、シルディアという」
その長過ぎる名前にカグワは目をぱちくりさせる。そういえば初めて会った時、シルディアは「長過ぎて覚えられないだろうから名乗らない」と言った。確かに名乗られたところで、到底覚えられそうにはなかった。
「そして、そこに控えるのが我が国の兵卒をまとめる、スターリン将軍だ」
脇に控えていた中年の男は、やはり将軍であった。彼は膝をついたままカグワの方を向いて、深々と叩頭した。
「今回の要件は、全てスターリンの方から説明する。——スターリン」
叩頭したまま、「は」と短く答えて顔をあげたその男は、いかにも武将らしい屈強な体と、屈強な体に見合った厳つい顔をしていた。しかし、それでもシルディアほどの覇気が感じられないのは、保有する『力』の差なのだろう。シルディアはまだ二十にも満たない若い少年でありながら、武将になど負けない強い覇気を放っていた。
「——まずは、巫女君においては、このような極寒の北の地まではるばる御足労頂いたことに御礼申し上げる」
スターリン将軍は渋い声で言い放ち、再び頭を下げた。カグワはそれを見下ろして首を竦める。
「御足労っていうか……ほとんど強制連行だったけれどもね」
カグワには北国行きを引き受けた覚えなどない。天災かなにかと混乱の生じる中で旋風に乗って飛ばされてきただけだ。
「手荒な手段を取ったことは誠に申し訳なく存じております。ですが、こうでもしなくては、エウリアの国とは対等に話もできそうになかったのです」
「それは一体……どういうこと?」
西の国と話し合いがしたくてカグワを呼んだ、と、カグワは此処に来てから何度も聞かされた。しかし、では一体何を話し合えばいいのか、具体的な内容については何も聞かされていない。それどころか、カグワはどうして北の国が西エウリアと話し合いをしたがっているのかさえ知らないのだ。自国、西エウリア君主国で何が起こっているのか、カグワは自国の国情さえ知らない。それなのに何を話し合えばいいのだろう。
「巫女君は、西エウリアから北ラウグリアへ、一通の文書が届けられたことはご存知ですか?」
将軍に尋ねられ、カグワは首を傾げた。カグワの知っている後宮の外の情報は、最西端の変わり者、ケニー老翁から仕入れたもののみだ。その中に、文書の話はなかった。
「先月末のことです。西エウリア国の君主が身まかったと、その文書には書いてありました」
「ええ、そうね……先月末、確かに国王がお亡くなりになったわ」
カグワは日にちを数えて遡り、まだ後宮の中にいた平和だった頃のことを思い起こした。
その知らせは突然であった。国王が崩御したという知らせとともに、後宮に走り巡ったのは、「次期王の即位に合わせて、次期巫女が選定される」という知らせである。聖女たちにとっては、己の国がどうなっているのかなんてどうでもよかったのだ。彼女たちにとっては己の国事など二の次であり、己こそが巫女に選ばれんとして奔走するばかりの日々であった。
「さらに文書には、こうありました。エウリアの国主の葬儀を大々的に行うから、各国から国の要人を参列させるようにと。この各国とは、北国、東国、南国のそれぞれ三つのことを指すようです」
「ええ……そうね」
「しかしながら、東国はすでに我がラウグリア国の支配下にあります。そこで我らは文書を西へ返しました。東国はすでに我が国の領土である。ゆえに国の要人を参列させるなら、北と東は一つの国としてまとめ、要人も一人で良いのではないのかと」
「支配下……」
カグワはそう呟いて、眉根を寄せた。
北ラウグリア国が、東国の領土を占領するために十年もの戦を続けているという話は、後宮の中にいるカグワでも知っていた。そして最近、北国が戦に勝利し、その領土を手に入れたのだと、ケニー老翁から聞いたばかりだ。
「だが、西国はそれに対して、まだ西国としては東国を北ラウグリア帝国の一部とは認めていないと返事をされた」
「だって……領土は支配下に置いたとしても、まだ東国には国家があるでしょう。それとも東国の国家は滅亡してしまったの?」
「確かに、国家は滅亡してはおりません。しかし、それは北ラウグリア国の君主の温情によって生かされているようなものです。すなわち、国家権力機能としては死んだも同然。従って、今現在東の領土を統治しているのは北ラウグリア国であるといえます」
カグワはますます眉根を寄せた。カグワは戦を経験したことがないためよくわからないが、戦において勝利国は、領土を食らうのみでなくその国の権力も何もかも奪ってしまうらしい。もとより難民に溢れていた東国を思うと、ますます哀れであった。
「文書のやり取りのみでは、この事実を上手く西国へ伝えることができない。そこで、西国の要人にお越し頂こうと我々は考えました」
「……それで、私が北国に呼び出されたわけね」
「その通りでございます」
「じゃあ、私はそのことを事実として受け止めて、西国に戻って新王と政府に伝えればいいのかしら? それで私のお役目は終わり?」
「そう事を急ぎなさいますな……まだ巫女君にお帰り頂くわけにはまいりません」
「……どうして?」
「今、西の国に新しい文書を届けている最中であります。——西国の新しい巫女君は今、北国にいる。西国から良い返事があれば、お返しすると」
「……なんですって?」
カグワは瞠目した。
良い返事があれば、お返しする。それはすなわち、西の国が「承知」と言わなければ、巫女がどうなってもしらないぞという脅し文句である。カグワはようやく、自分がこの場所に巫力さえ奪われ拘束されている意味を知った。
「——私は、人質なのね」
「滅相もない。西国の要人として大切にお預かりしております」
「この北の地まで招いたのではなくて、誘拐したのでしょう? わざわざ巫女選定の儀が終わるのを待って? 巫女が選定されたその瞬間、最も警備の薄いその瞬間を狙って、さらったのよ。西国において巫女がどれだけ重要視されているのか知りながら」
西国は君主国でありながら、宗教国家であった。政治の頂点に立つのが国王なら、宗教の頂点に立つのが巫女だ。巫女は神の代弁者であった。政治の力では解決できない心の救いを、西の民は巫女に求めている。
カグワは納得した。何故、国政もなにもわからない巫女になったばかりの自分なぞを談合にと招待したのか。国政などわからない方が都合良いのだ。余計な知恵を働かせない、だが国家の重要人物である人間が必要だった。
「そう、息を巻かれますな」
巫力も持たぬ、仗身も傍にいないカグワには、何の力もない。スターリン将軍は少しの恐れも見せずに、堂々としていた。
「巫女君には何の不自由もないよう計らいますゆえ……なにかあれば、皇室付きの小間使いどもにお声をおかけください。彼らはよく訓練されておりますから、巫女君の要望をなんでも叶えてさしあげるでしょう」
「そんなの……いらないわ。宮殿の敷地からは一歩も出さないくせに、なにが不自由もないように計らいます、よ」
「宮殿の外は危険です。中におられることが最も御身のためかと存じ上げます」
「危険かどうかは私が自分で判断するわ」
カグワは憤慨した。今ここで、スターリン将軍に怒りをぶつけたとて何の解決策にもならないことは理解している。しかしそんな冷静な自分がどこかにいる一方で、押さえきれない怒りを抱える自分がいることも事実である。
息巻くカグワと、強気な将軍の両者を見比べて、静かに声を発したのは、玉座に座る皇太子殿下であった。
「——スターリン、話はそれで終わりか?」
皇太子シルディアの声は明瞭としていてよく通る。広い謁見の間中に響き渡った。
「はい、以上であります」
将軍が頭を下げると、うん、とシルディアは頷く。そして、まっすぐカグワを見つめた。
「ならば、もうこれで終わりにしよう。——余は少々疲れた」
まだ話は終わっていない、と彼に反論しようとして、カグワは開いた口を中途半端に止めた。——突然、頭の中に、シルディアの声が反響したのである。
——あとで、俺の部屋に来てくれ。
え、とカグワは一瞬呆気に取られた。
空気を伝わって声が耳に届くのではない。直接頭の中へと語りかけるこの技を、カグワもよく知っている。感応の技、と言うのだ。他の誰にも聞かれぬように、特定の誰かにのみ言葉を伝えたい時に使う。巫力の修行の中で、カグワも何度か挑戦したことがあった。
しかし、何故今自分は巫力を封印されているのに、彼の声を聞き取ることができたのだろうかと考えて、すぐに釈然とする。カグワの巫力を封じているのは他でもないシルディアだ。シルディアの声なら聞き取れるだろう。
わざわざ感応の技を使って声を伝えて来たシルディアは、なにごともなかったかのように平然としていた。きっと、将軍に聞かれてはまずいことなのだろうと判断し、カグワも平然を装う。
「貴方たち……西国の巫女をさらっておいて、ただで済むとは思わないことね!」
非難の声を吐き捨てて、カグワは踵を返した。
謁見というから身構えて来たものの、話はあっというまに終わってしまった。要は、お前は人質だから西から返事があるまで大人しくしていろ、というそれだけの話である。改まってするような話でもなかろう。
縦に長い謁見の間をまっすぐ歩いて来た時とは逆に出口を目指して進み、振り返らない。玉座の方を振り返ることは決してしなかったが、扉を開いて謁見の間を去ろうとする間際に、再び感応の技による声が頭の中に響いた。
——一度君もきたことがあったと思う。俺の寝室だ。あそこなら、軍の警備はいないから、ユーリかオレークに言って、来てくれ。
巫力を封印された状態で、彼へ言葉を送ることは難しく思えたので、カグワは大きな音をたてて扉をしめることで、彼に了承の意を伝えた。