7、北国の朝食
空を見上げる。雲行きが怪しい。今にも崩れ落ちそうな曇天の下、歩く人間は寒そうに肩を震わせる。
暦でいうと、今はまだ秋である。西国エウリアの後宮では、秋とは涼しく心地の良い季節であった。作物が実り、新鮮な食物に溢れる。甘い果実を口に運びながらひなたぼっこのできる、そんな季節であった。
しかしながら、此処、北国ラウグリアにはそのような心地の良い秋が来ない。王宮の二重に仕切られた窓ガラスは、外から流れ込む寒気を防ぐためのものだという。今はまだ秋だから良いが、これから訪れる長い冬は、分厚い外套を纏ったとて凍え死ぬ。守られた王宮の中でこそ死人は出ないが、毎年貧しい民の中からは雪に埋もれて凍死する被害が続出するのだそうだ。
「……だから、北の民は軍人になるのかしら」
冷えきった硝子製の窓に手のひらを乗せて、カグワはぽつりと呟いた。暖炉脇に座っていた仗身が顔をあげて、「はい?」と聞き返してくる。カグワは「大したことじゃないから」と首を振って窓を離れた。自分の触れていたところにくっきりと手形が残った。
カグワとユタヤが時空の狭間を抜けてこの北国に来てから、今日で五日が経とうとしていた。
二人に与えられた部屋は皇太子シルディアの物ほどではないが、恐ろしく絢爛であり広く、女中や小間使いが度々現れ身の回りの世話は全て行ってくれた。「逃げられては困る」という理由で巫力を封じられたにも関わらず、皇家のために造られたというこの皇宮の中であれば自由に動くことを許されており、初めて北国に来た時のように扉に呪いがかけられていることもなかった。
暖炉の火で暖を取り、美味な北の料理をもてなされ、何をしてもいいと許容される。何一つ不自由のない生活であったが、未だにカグワは最初にシルディアと出会って少し話をした以外に、一人の北の要人とも話をしていない。「西の国と話し合いをするためにお呼びした」と言ったのはオレークだ。だが、ならばどうして、此処に来て五日も経った今でも、軍人の一人も現れないのだろう。
こんこん、と扉を叩く音がして、続いて「失礼します」と若い少年の声がした。「どうぞ」とカグワの告げた後に部屋に入ってきたのは、小間使いの少年だ。どうやら彼はカグワの世話全般を担当しているらしく、何かとカグワたちの部屋に来ては食事の用意や掃除、その他何でも行ってくれた。
「朝食の用意ができましたので」
少年はそう告げて、銀色のワゴンに積んで来た食事を机に並べ始めた。空は一面曇天であるが、そろそろ朝日も高く昇る頃だ。
カグワは小間使いに「ありがとう」と短い謝礼を述べると、彼の作業の邪魔にならないようにと部屋の端に避ける。同じく部屋の端、暖炉の傍にどっかり腰掛けていたユタヤの隣にちょこんと座ると、膝を抱え、慣れた仕草で彼の肩に寄りかかった。ユタヤもユタヤで慣れたもので、今更カグワが全体重をかけてきたとて何も言わない。どっしりとあぐらをかいたまま、小間使いが忙しく働くのを見つめていた。
「……もう、此処にきて、五日になるわね」
体重をユタヤに預けたままの体勢で呟くと、彼は「はい」と小さく頷く。
「エウリアは……西の国は、今頃どうなっているのかしら」
続けて呟いたカグワの言葉に、ユタヤは何も答えなかった。答えられなかったのだろう。なにしろこの皇宮から出られない閉鎖的な状況で、今の二人には情報がない。
エウリアからこの北の国まで飛ばされたあの日、カグワは巫女選定の儀式の中にいた。儀式は最中であった。まだ終わってはいない。カグワのいなくなった儀式の間は、あの後どうなったのだろうか。
カグワが儀式の中で最後に見たのは、水鏡の中から浮かび上がった光の玉であった。それがカグワの手の中へと落ちて、その次の瞬間にはこの北の国まで飛ばされてしまった。ゆえに、カグワが巫女であるという確証はまだない。本当はあの後まだ別の選定の儀式があって、今頃カグワのいない西の国では別の聖女が巫女として選ばれているのかもしれない。だとしたら、北の国は西の巫女を呼び出したつもりで何の変哲もないただの少女を呼び出したということになる。西の国では今頃新しい王が起ち、新しい巫女も決まり、祝祭が催されているのかもしれない。誰も、カグワのことなど気にも留めていないのかもしれない。
——それならそれでもいい、とカグワは思った。
カグワがいなくなったことで西の国が混乱に陥っているよりは、ずっといい。変わり者の聖女だとずっと言われて育ったが、他人に迷惑をかけたくて選んだ道はなかった。変わり者は自分だけでいい。誰にも迷惑をかけることなく自由に生きるのだと。
「——準備が整いましたので、冷めないうちに」
机上に料理を並べ終えた小間使いが言った。物思いにふけっていたカグワは我に返ってユタヤに預けていた体重を起こして立ち上がる。一人で使うには大きすぎる広い机の上に、やはり一人で食べるには多すぎる量の料理が並べられていた。
「ありがとう」
謝礼を言うと、言われた小間使いは照れたように笑った。——彼は普段、皇室の世話をしているのだという。しかし、北ラウグリアの皇室の人間は、小間使いに礼など言わない。ゆえに初めてカグワに謝礼を言われた時にはぽかんとしていた。「ありがとうなんてお礼を頂けたのは初めてです」と。
小間使いの引いてくれた椅子に座ってユタヤの方を見やると、彼も無言で暖炉の脇から立ち上がった。それは、一緒に食べようという合図だ。ユタヤは無言のまま、カグワと対面する椅子に座った。
初めて小間使いがこの部屋に来た時、彼は大層驚いていたものであった。なんでも、上からは「部屋には西の巫女が一人いらっしゃる」としか伝えられていなかったらしい。そのため彼は、巫女らしき少女の傍に、奇妙な数珠玉をかけた男が控えていたことに愕然としていた。そして恐らくそれは、皇太子シルディアの配慮だろう。
シルディアは、カグワをこの部屋に案内するに当たって、言った。「本当は巫女一人を呼ぶ予定だったから、部屋は一つしか用意していない」。もしもユタヤに部屋を用意するとなると、位の低い仗身ゆえに巫女や皇室の住まう皇宮には置けないがそれでも良いか、と。しかしカグワはこの見知らぬ場所で彼と離ればなれになることを不安に感じ、部屋は一つでいいと答えた。シルディアはそれを承諾した。——シルディアは、ユタヤのことを他に伝えなかったのだろう。もし伝えてしまったら、皇室のしきたりに倣ってユタヤは部屋から追い出されてしまうから。
なので、今のところカグワの部屋にユタヤがいることは、カグワとシルディアと付き人のオレーク、そしてこの小間使いしか知らない。それでもきちんと二人分以上の料理を持って来てくれるのは、この小間使いの心配りだ。
「お食事が終わりましたら、また食器を片付けに参りますので」
小間使いは言って、頭を下げた。そして慣例通り去っていこうとする彼に、カグワは「待って」と言って声をかける。「はい?」と振り返ったその顔はとても純朴だ。——カグワはまだ出会って五日しか経っていないこの若い小間使いをとても気に入っていた。彼は屈託なくいろいろなことを話してくれる。だが、皇室のしきたりを遵守して、仕事が終わるとすぐに帰ってしまうのでとても残念に思っていたのだ。
ゆえに、
「せっかくなら、一緒に朝食をとっていかない?」
少しでも話をしようではないかと思い、誘ってみた。すると、小間使いの目がみるみるうちに見開かれていく。彼は慌てて首を横に振った。
「……め、滅相もございません! わたくしごとき小間使いが、巫女様と同座するなど……!」
これも、北ラウグリア国の皇室での慣習なのだろう。皇室の人間と小間使いの間には確かな位の差があって、同席することなど許されるはずもない。
とは言え、考えてもみれば西エウリア国でも、聖女たちとその女中たちは決して同じ席で食事などしなかった。しないことが慣例とされていた。それは女中だけでなく当然仗身にも言えることで、カグワの他に、気軽に自分の仗身や女中と食事をしたり会話をしたり、身分を越えた接し方をする聖女はいなかった。なので、カグワが異端なのだと言ってしまえばそれだけのことである。此処がエウリアであれば無理を通しても同席させるのであるが、生憎此処は他国だ。あまり無理強いはよくないなと思い直して、カグワは俯いた。
「そう……残念だわ」
身分など気にせずに、多勢で囲む食卓の方が幾分にも楽しいと、カグワはそう思っているのだが、いくらカグワが楽しくとも、気を遣いながらとる食事は彼らにとっては美味ではないかもしれない。ならば、やはり無理強いしても仕方がない。
「わたくしどもは、朝早くから仕事がありますから、その前に朝食を取っておりますし」
カグワの残念そうな顔を見て、小間使いは困ったように付け足した。カグワは「そっか」と言って笑う。あまり困らせてしまったらそれはそれで可哀想だ。
まあしょうがないなと考え直して「おかしなことを言ってごめんなさい」とカグワは小間使いに謝ろうとすると、彼女が口を開くより先に、その言葉を遮ったのは対角に座る仗身であった。
「——食事は取らずとも、一緒に茶くらい飲んで行けばいいだろう」
その低い声色に、小間使いは驚いたように身を震わせる。そういえば、小間使いのいる前でユタヤがこうもしっかり口を開いたのは初めてであった。ユタヤはカグワと二人きりの時こそ積極的に声を発するが、そうでない時は発言を控えて、必要な時以外は口を出さない。
「身分がどうとか言うのなら、私がこうして巫女君と同席していることも妙だ。——折角、巫女君が会食をご所望なのだ。仕事がたてこんでいるならまだしも、我々が食べ終わるのを待つだけなら座っていけ」
「はあ……」
小間使いは目をぱちくりさせた。謎の「仗身」と名乗る男が突然口を開いたかと思えば随分と強引な誘いをしてくるのだから、驚いて当然だろう。
そしてそこまで言われたら断るわけにもいかない小間使いは、空いていた椅子をひいてちょこんと座ると、「では、お言葉に甘えて」と戸惑うように笑った。その様子を見て、カグワは思わず噴き出す。
「そんな無理矢理付き合わせたら可哀想よ、ゆたや。彼もひょっとしたら休みたいかもしれないし」
もとはと言えば自分が誘ったわけであるが、ユタヤの強引さに思わず同情した。「ねえ?」と声をかけると小間使いは「いえ、大丈夫です」と首を振る。向かいに座るユタヤは「しかし……」と言いよどんでしゅんとした。彼としてはカグワを思ってのことだったのだろう。昔からカグワが出会った全ての人々と親しくしたがることは彼もよく知っている。
そんなユタヤと笑っているカグワを見比べて、小間使いは両者を気遣うように「まあ」と口を開いた。
「私のお仕事は、巫女君をおもてなしすることですから、私などが同座してご気分を害されることがないのであれば、むしろ本望です。——どうぞ、料理の冷めぬうちに召し上がってくださいまし」
少年は、とても大人びた配慮をする。カグワは「そうね」と笑った。せっかく彼の用意してくれた料理が冷たくなってしまってはもったいない。
カグワは銀のフォークを握り締めて皇室の物と同じだという豪勢な料理を食べ始めた。それを見て、ユタヤもほっとしたようにフォークを手に取る。にこと笑った小間使いの少年は、二人の邪魔にならないようにとユタヤに言われた通り自分の分のお茶を入れた。そういった細やかな気遣いから、さすがに皇室の小間使いだなと思う。
「ところで、貴方の名前を聞いてなかったわね。お名前は?」
今まで彼とは本当に最低限の世間話しかしなかったために、まだ名前すら聞いていなかった。聞かれた少年は、嬉しそうに微笑んだ。
「ユーリ・マルコフと申します。よろしくおねがいします」
ユーリはカグワやユタヤの食事の速さに合わせてゆっくりとカップを傾けながら、カグワの話に付き合ってくれた。西の国の後宮の中で囲われて育ったカグワにはわからないこと、聞きたいことが山のようにあった。恐らく外の世界で育ったユーリにとってはあまりにも当たり前すぎて、答えるのも面倒な質問ばかりであったに違いない。しかしユーリは嫌な顔一つせずに、カグワの会話に付き合ってくれた。
「ユーリはいつからこの宮殿で働いているの?」
「生まれた時から……生まれた時より働いていたわけではありませんが、私は生まれた時から皇家のお世話をするために育てられました。ラウグリアでは、皇室付きの小間使いは代々世襲と決まっているのです。ですので、私の父もそのまた父も、ずっと小間使いをしておりました」
「ふうん……じゃあ宮殿の中にはユーリみたいな小間使いがたくさんいるのね」
「そうですね……ですが、皇家の小間使いと一口に言いましても、その役割は様々です。例えば私は、カグワ様のような皇家の賓客をもてなすことが役割です。他にも食事をつくるために厨房にいる者もおりますし、宮殿の掃除を専門にする者もおります。そして出世すれば、皇家の付き人になることも」
「付き人……? じゃあ、オレークは出世したっていうこと?」
カグワは皇太子シルディアの付き人をしているという青年を思い浮かべた。まだ若いように見えたが、皇太子の付き人をしているということはかなりの出世頭なのではないだろうか。
「はい。オレーク・ナイザーはまさに一番の出世頭ですね。もともとは私と同じ賓客のおもてなしをしていたんです」
「へえ。なら、オレークとは知り合い?」
「知り合いも何も、私にとっては兄貴分でした。突然の出世に驚愕していたことを、今でもよく覚えております」
ふうん、と呟いてカグワは白いロールパンを口に含んだ。だから、ユーリが自分の小間使いとして選ばれたのかもしれないと、カグワはぼんやり思った。皇太子の付き人であるオレークの弟分ということは、それだけ皇太子からの信任も厚いということだ。例えばカグワが部屋に自分の仗身を隠して置いておいたとしても、目を瞑ってくれるわけである。
「皇太子殿下の付き人だものね……皇太子殿下は、皇家の中でもやっぱり、地位の高い方なのでしょう?」
「それはもちろん。……本来は皇帝陛下が君主としてこの国を統治するわけですが、現在ラウグリアの皇帝陛下は病に臥せっておりますから……実際、統治しておられるのはその第一子であるシルディア殿下です」
「まあ、そうなの? じゃあ、私はシルディアと話し合いをすればいいのかしら?」
「話し合い?」
「ええ、そう。突然私がラウグリアに呼ばれたのは、西国の要人と話し合いがしたいからだって、聞いたから……今、実権を握っているのはシルディアなんでしょう?」
「ああ、なるほど……。では恐らくそれは、殿下ではなく、将軍ではないかと」
「将軍?」
「はい。確かに国土を統治するのは皇室の役目ですが、今ラウグリアの国政の実権を握っているのは軍です。その長となるのが、将軍ですから」
ふわふわに焼かれた卵を食べながら、カグワは西国でケニー老翁に聞いた話を思い出した。——ラウグリアは今や、軍隊に食われてしまっている。
「聞いたことがあるわ……昔、ラウグリアは貴族の支配する国だったんだって。今は軍人の支配下だけれど」
「そうですね。今から二十年近く昔のことです。軍が力を持ち出してから、ラウグリアはずっと戦を続けております。東の国を占拠せんとして」
「戦……」
カグワは一度も戦というものを実際に目で見たことがない。ただ、それはたくさんの罪のない人々の命を奪うそれはそれは凄惨な行為なのだと、知識のみで知っていた。もしも聖女に選ばれることがなく、もしも難民として西の国へ国境を越えることもなく、もしも今尚東の国にいたならば、カグワもまた、その戦の業火に焼かれていたのかもしれない。カグワは遠い東の地を想った。——それから、今やカグワにとって紛いなき故郷である西の国を想う。
「やっぱり……北ラウグリアは、西エウリア国とも戦をするつもりなのかしら」
とても不吉な予感が走った。
カグワが突然時空の狭間を突き抜けてこの北の国へ呼ばれた真意は、一体何なのだろう。本当に巫女と話し合いをしたかったというだけならば、その旨を西国に伝えればいい。わざわざこのような強引な手段を取る必要などなかったのではないか。それに、話し合いをしたいと言いながら、カグワはこの五日間この部屋から出ることさえないではないか。——北国の意図がわからない。
そんなカグワの心を読み取ったのか、ユーリは困り果てたように目線を伏せた。
「軍の考えることは……私にはわかろう術もありません。ただ……」
少年は一度言葉を切って、やがて強い眼差しで窓の外を睨みつけた。その目の先には外の景色ではない、何か別のものが映っている。
「軍は軍のみの力ではなにも成し遂げることができません。やつらは、皇太子殿下の『力』を利用しているのです。——やつらは、殿下がいなければ、何もできない」
『力』、とカグワは小さく繰り返した。
確かに、シルディアの『力』は絶大であった。カグワを西の地から此処まで召還したこともそうだ。カグワの巫力や、ユタヤの獣の心を同時に封印していることもそうだ。ここまで圧倒的な『力』の強さを見せつけられると、今まで自分が何年も行って来た巫力の修行とは一体何だったのだろうかと思ってしまう。きっとこれから一生巫力の修行を続けたとて、彼には到底追いつけまい。
そんなことを思いながらカグワがフルーツにフォークを伸ばしたのと、金の装飾の施された立派な扉が外側からこんこんとノックされたのは、ほぼ同時であった。
「——オレークです。巫女君、失礼してもよろしいでしょうか」
噂をすればなんとやら、である。シルディアと会ったのも五日前のあの一度きりならば、彼の付き人であるオレークとも五日ぶりであった。
さほど昔のことではないけれども、久しぶりだなと思いながらカグワは「どうぞ」と軽く声をかけた。隣に座っていたユーリが何故だかとても焦っている。オレークは兄貴分だとその親しさを告白したわりに、どうして彼に怯えるような素振りを見せるのだろうかとカグワが不思議に思った時にはすでに、「失礼します」という声とともにオレークが扉を開いて中に入って来ていた。
相変わらずの茶色の癖っ毛を持つ彼は、「巫女君」とまずカグワに声をかけてから、そこにいるユーリに気付いたように目を丸くした。
「ユーリ、お前……何をしている?」
「え、あ、の、これは、その……」
オレークを見上げたまま言葉に困窮しているユーリと、そんなユーリを険しい顔で睨みつけるオレークを見て、カグワはようやく理解した。——ここ北ラウグリアでは、皇家の人間と小間使いが同じ机に付くことなど有り得ないのだ。そして巫女は皇家と同位なのである。
「違うのよ、オレーク。私が一緒にお茶でもどう? って誘ったの」
こんなことでユーリが叱られてはあまりにも可哀想だと、カグワは彼のことを庇った。それでも「しかし」と険しい顔をするオレークは、生粋の皇室に使える小間使いなのだろう。小間使いは世襲だと言うからには、オレークも生まれた時から身分をわきまえろと叩き込まれて育ったに違いない。カグワは重い空気を払拭するために肩を竦めた。
「ユーリは断ったのよ。でもゆたやがね、巫女と食べる朝食はまずいとでもいうのか無礼者って脅すから、仕方なく座ってるの。許してあげて?」
「……私はそこまで申しておりません」
人前では滅多にカグワの言葉に口を挟まないユタヤが、ぶすっとした顔でぼやいた。堪らず、ユーリが噴き出す。オレークはますます険しい顔で「ユーリ」と諌めた。カグワはこの場を和まそうと思ったのだが、逆効果だったようである。
「オレーク、ごめんなさいってば」
ここは素直に謝っておこうとユーリの兄貴分だというその青年に向かって手のひらを組んでみせると、オレークはたちまち困惑した表情を浮かべた。おそらく北国の皇家には、目下の人間に対してこうもざっくばらんに話す者などいないのだろう。
「……まあ、西には西の文化がありましょう。少々北のしきたりにこだわりすぎていたようです。私の方こそ取り乱してしまい申し訳ございません」
オレークはカグワのざっくばらんさを西の文化と理解したらしく、軽く頭を下げた。これで食事の席に同座したユーリも叱られることはあるまい。実のところは西の国でもカグワ以外の聖女であれば小間使いが同座など考えられないのであるが、まあそれは黙っておこう。
「話が逸れてしまった……。巫女君、本題でございますが」
オレークは思い出したようにきりと姿勢をただすと、食卓に座っているカグワの傍に膝をついて頭を下げた。徹底して礼儀を尽くす男である。
「シルディア殿下が巫女君とお話をしたいと申しております。今すぐにというわけではございませんが、今日中にお時間を頂ければと思います」
「そんなの、いつでも構わないけど……」
と、言うよりも、他にやることもない。毎日部屋の中でぼんやりと西の国を想っているだけなのだから、時間などいくらでも有り余っているというものだ。
「では、お食事が終わりまして、準備が整いましたら、そこのユーリを使って私めにご連絡ください」
お食事中に失礼致しました、と深々頭を下げて、オレークは要件だけ告げると早々に部屋を出て行った。カグワはその後ろ姿を目で追う。彼はこれから主である皇太子シルディアの元へ戻るのだろうか。その行き先はわからない。
なんにせよ、これでようやく「話し合い」とやらができると少々安堵した。ユーリは「話し合いを求めているのは皇太子殿下ではなく将軍だ」と言ったけれども、カグワは今のところ将軍はおろか軍人の一人にも会っていない。会うのは皇室の人間とその小間使いばかりだ。
早く用事を済ませて西の国に帰ることができれば良い。西の国がどうなっているのか、途中で抜け出してしまった巫女選定の儀式がどうなったのか、気になることは山ほどあった。
少女は緊迫した状況下にも関わらず、のんびりと紅茶を飲みながら、祖国のことを思った。