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25、兄貴分

 暖房器具の一つもない牢獄の中は、寒さが骨の髄まで染み渡る。石でできた牢屋はそれはそれは冷たく、まるで氷のようだった。


 西国の巫女の処刑にあたって牢獄に捕われたのは、カグワとユタヤだけではなかった。

 彼ら二人を庇って軍に背いた小間使いの少年ユーリもまた、国賊としてとらわれ、冷たい牢獄の一室へと閉じ込められていた。


 この王宮の中で生まれ育ち、皇室のために生きろと言われて育ったユーリは、さして高い身分でもないが、当然牢獄になど閉じ込められたことはなかった。

 故に、牢の中がこんなに寒いのだとは知らなかったし、また、他の牢の中で寒さに震えているであろう巫女やその従者のことを思うと胸が痛んだ。



 軍が突然皇宮へやってきたのは、昼時のことである。たまたま皇宮の入り口付近を掃除する他の小間使いと世間話をしていたユーリは、その軍人たちに声をかけられたのであった。

 ——西国の巫女は、どこだ。

 その穏やかではない口調に、ただごとではないと一瞬で悟った。一緒にいた他の小間使いは困ったようにユーリを見やったが、ユーリは毅然として首を振った。

 ——此処は皇宮です。軍人が勝手に足を踏み入れることは禁じられているはず。

 すると軍人は、「緊急事態だ」とだけ答えて皇宮の中へと押し入った。ユーリたちのことを「巫女の居場所も知らない下っ端だ」と判断したのだろう。

 まずいと思ったユーリは、とりあえずこのことをカグワに知らせなくてはと皇宮内を走った。しかしその途中で今度は他の軍人に捕まり、「巫女の居場所を吐かねば殴る」とまで言われて、当然言うわけにもいかず、暴行を加えられた。


 そして結果、カグワもユタヤも捕えられ、自分もこの牢獄の中にいる。ユーリは冷たく暗い天井を見上げて、溜め息を吐いた。まさか自分が国賊呼ばわりされることになるなんて、夢にも思わなかった。だからと言って後悔しているわけではない。自分は何も間違ったことなどしていないと思うし、軍人になど国を治める価値もないと思っている。だが——一人ではこの独房からは抜け出せない。


 ——そのように、絶望にうちひしがれていたユーリを、牢屋から救い出したのは、彼の兄貴分であった。


 それは、彼が牢屋に閉じ込められてから何刻ほど経った頃のことであったろうか。いきなり牢の前にやってきたオレークは、彼の牢の錠を、皇室の付き人のみ持つことを許された合鍵で解錠した。

「……オレーク!」

 がしゃん、というその重々しい音を受けて、ユーリは弾かれたように立ち上がる。きいと音をたてて開いた扉に手をかけて外に出ると、表情なくそこに立っている兄貴分を、驚愕の眼差しで見上げた。

「何で、此処に……?」

 オレークは目を細めて牢の外を睨みつけ、低く小さな声で呟いた。

「……誰にも見つからないうちに、さっさと出るぞ」

 ユーリはますます瞠目する。誰にも見つからないうちに、ということは、軍の目を盗んでユーリのことを助け出してくれたということだ。それはそうだろう。今、軍の中でユーリは国賊ということになっている。だが、まさか、オレークがそんなことをするなんて、信じられない。オレークは皇室付きの小間使いでありながら、軍の言うこともよく聞いた。故に軍からの信頼も篤く、皇太子の世話役も任されている。——そのオレークが、こうも真っ向から軍の意向に背くのを、ユーリは初めて見た。

 オレークは足音を潜めながらも足早に牢屋の廊下を通り抜けると、周囲を見回して、ユーリに「行くぞ」と合図をした。ユーリも彼の後ろに従って、足音をたてないように留意しながら牢の廊下を走り抜ける。王宮の敷地内に作られた大きな囚牢の外には見張りがいるはずだがと思いながらも外に出ると、そこに見張りが血を吹いて倒れており、仰天した。危うく悲鳴をあげそうになったが、寸前のところで堪える。彼は口元を押さえて必死に前を走るオレークに続いて宮殿の中に飛び込んだ。驚きと恐怖が入り混じり、走ったために息切れして、心臓が高鳴った。

「……オレーク、今の……」

 宮殿の中を早歩きで進んで行く彼の後ろを追いながらこそっと問いかけると、低い声で答えが返ってくる。

「俺がやったわけじゃない——巫女君の仗身がやった」

 ひとまずオレークが殺したわけではないのだと知って安堵するが、すぐに愕然とした。

「……ユタヤが」

「彼は、巫女君を助けるために、囚牢を出た。その際にやったのだろう」

 オレークが早口で説明してくれる。ユーリは巫女と従者の顔を思い浮かべて、納得した。——ユーリの記憶の中では、常に二人は傍に寄り添っていた。あの従者の忠誠心は絶対だ。主である巫女を助けるためならば、他の犠牲など厭わないのだろう。

「……で、カグワ様は?」

 ユーリはオレークに追いて行かれぬようにと若干駆け足になりながらも、前を歩く兄貴分の背に問いかけた。オレークはこちらを振り返らない。

「……わからん。ただ、お前に、感謝をしておられた」

「そんな……感謝して頂けるようなことは、何も……」

「今頃、処刑場で西国への出陣決起集会が開かれている頃だ。巫女君はそこで弑される予定であったが……仗身が果たして彼女を救い出せたかどうか」

「決起集会っ? 何百という兵士がいるんだろうっ? そんな、無茶な……!」

 ユーリは思わず声を荒げた。

 そろそろ、北軍が西へと出陣しようとしていることは、ユーリとてなんとなく知ってはいた。だが、その手始めに巫女を殺そうとしていることは知らなかったし、それがまさか決起集会の中で儀式的に行われるとも思っていなかった。ユーリは、カグワのことを西からお預かりした大切な客人だと教えられていたし、そう思って疑わなかった。だって、誰もそんなことは言わなかったし、それに、カグワは慈悲深い清廉な巫女君だ。西の国では神の使いだと言われているのだと聞いたが、まさに神に仕える神聖な存在で、ユーリはあんなに清らかな人間を他に見たことがなかった。

 それなのに。

「……オレークは、最初から、こうなることを知ってたのか?」

 ユーリは、いてもたってもいられなくなって、前を歩く兄貴分に問いかけた。

 オレークは同じ小間使いでありながら、ユーリとはまるで立場が違う。皇太子の世話役であり、軍と皇太子の架け橋でもあった。軍の意向を皇太子に伝えるのはオレークの役割だ。当然、軍の考えていることを知らないわけもない。

 前を歩くオレークは、やはり、振り返らない。

「俺は……この国を、護りたいんだ」

「……どういうことだよ?」

 振り返らないオレークの表情は見えず、彼の感情は全く読めなかった。ただ、オレークは早歩きで政殿の中を通り抜けて行く。此処、王宮の中で政治の行われている政殿を抜ければ、その隣は彼らの仕える皇宮だ。

 二人はしばらく無言で王宮の中を抜けて、やがて、皇宮の中へと辿り着いた。決起集会のためであろうか、政殿の中は閑散としていたが、皇宮の中もまた、恐ろしく静かであった。掃除する小間使いの一人もいない。

 オレークは無言のまま皇宮の中をも早歩きで抜けると、小間使いたちの集う休憩所の方へと向かった。そしてその道の途中で、ようやく重い口を開く。

「……お前のことを国賊呼ばわりした軍人どもには、皆、忘却の水を飲ませた」

「……忘却の、水?」

「記憶がないということだ。つまり、お前が軍に逆らったことは、覚えていない」

 そんなことができるのか、とユーリは目を丸くした。それも、不思議な『力』の成せる技の一つなのだろうか。たびたびオレークに会うたび、『力』の話を聞いてはいたが、ユーリはその詳細までは知らない。ただ感心し、唖然とするばかりである。

「だから、お前は今まで通り、小間使いとして皇室に仕えればいい。わかったな?」

「……うん。ありがとう」

 なんだかよくわからないが、彼がどうやら自分の尻拭いをしてくれたらしいことはわかる。申し訳なく思いながらも、お礼は述べた。

 やがて、二人の前に、休憩所の扉が見えた。その見慣れたくすんだ扉を見て、ユーリはどっと疲弊した。心から安堵したためであろう。ここにきて、「今まで通り、小間使いとして皇室に仕えられる」というそのありがたさを思い知る。これまで通りの生活を送ることができることを、幸せだと思った。

 足が自然と早くなり、早く扉を開いて小間使いの仲間たちに会いたい、と願う。扉の向こうには人の気配がして、皆が集まっていることが伺えた。皆とくだらない話で盛り上がりたい。そんな日常的なことを望む。

 そう思ったユーリは扉を引こうとして、ふと、オレークの様子がおかしいことに気が付いた。

 それまではユーリの前を歩いていたオレークが、彼の後ろに回る。そして、まるでユーリを見守るかのように後ろに控えて、何故か一歩も前に進もうとはしない。

「……オレーク?」

 お前は入らないのか? と尋ねると、オレークは柔らかく微笑んだ。何か他に仕事があるのだろうかとも思うが、どうもそういう様子でもない。彼はようやく一歩前に出て、子供を慈しむかのような微笑みを浮かべて、ユーリの頭を撫でた。

「どうしたんだよ」

 いよいよ様子がおかしい。何だろうと思ってさらに問いかけようと口を開くと、それより先にオレークが告げた。

「それにしても……大きくなったな、ユーリ」

 ユーリは目をぱちくりさせた。突然何を言うのだろうと、疑問ばかりが浮かぶ。

「昔は、俺の腰程度の背丈しかなかったのに」

「……もう十年くらい昔のことじゃないか」

 オレークはユーリより五つも六つも年上だった。まだ一桁の年の頃は、オレークがとても大きく感じた。否、それは今も変わらない。今でこそ背丈はさほど変わらないが、だがそれでもオレークはやはり大きい。

「お前は大して勉強もしないから知識もないくせに、すぐに感情的になるところがある。今回の件もそうだ。俺が助けに行かなかったら、どうなっていたことか」

「……それは、……ごめん」

 唐突な説教を食らって拍子抜けするが、反論のできようはずもない。本当にオレークの言う通りであった。彼が助けに来なければ、今頃どうなっていたことか。

「これからは、きちんと勉強して知識を取り入れろ」

「……うん」

「ちなみに、東国の主食はなんだ?」

「……。……瓜って聞いた」

「それも俺が教えた嘘だ。正しくは米だ、米。覚えておけ」

 ユーリは苦りきる。ユーリがあまり勉強をしないのは、兄貴分であるオレークが勉強好きで博識で、何でも教えてくれるからだ。ユーリの知識はほとんどオレークから仕入れたものだと言える。そのオレークが嘘を教えてくるのだから、間違って覚えているに決まってるではないか。——というのは、言い訳でしかないけれども。

「とにかく……これから、北軍の戦は、泥沼化していくことが予想される。自分の身は自分で守れ」

 オレークはそう言ってユーリの肩を元気づけるように叩くと、踵を返した。そして振り返り際に、一言、残す。

「殿下を、頼んだぞ」

 ユーリはまだその時、その言葉の意味を全く理解していなかった。彼は皇太子付きの世話役だから、これからも皇太子のことを見守ってくれという意味だろうかと、軽く考えていたのだ。


 ユーリがその言葉の意味を知るのは、それから二、三日経った後のことである。

 今の彼には、知る術もない。

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