表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/31

19、愛を知らない

 少年が生まれた今より十七年も前のこと、北国ラウグリア帝国は、帝政と軍政の間で揺れ動いていた。


 北国の中で軍隊が力を持ち始めたのは、前帝が倒れたすぐ後のことである。まだ若き新帝ラプソディアには、勢いづく軍を鎮める力がなかった。政権を握る能力もない新帝ラプソディアに助言するような形で軍は実権を握り、やがて政治を操作するようになった。

 いつのまにやら、皇帝ラプソディアには、何の権限も与えられなくなった。あるのは形ばかりの権力で、実際には何一つ己の意思で決定することができない。何をするにも、必ず軍の許可が必要だった。彼が成人するのとともに迎えた妻、すなわち皇后でさえも軍の一存で選ばれたものだった。


 皇帝ラプソディアの妻、皇后は、軍のとある指揮官の娘であった。指揮官の娘を皇后にすることで、軍はますますその権力を揺るぎないものにしようと企んだ。政略結婚であった。


 皇后となった女は気が強く、己の父である軍の指揮官を崇拝し、軍の力を絶対だと思っていた。夫である皇帝ラプソディアには少しの敬愛も施さなかった。彼を己の僕のように思い、いつでも冷たくあしらった。


 皇后に冷たくあしらわれ、軍のおもちゃとされる日々に疲れきった皇帝ラプソディアはとある日、軍人の跋扈する宮殿の中で、可憐な少女と出会う。それは皮肉にも妻である皇后の妹であり、すなわち軍の指揮官の二女であった。そうとは知らない皇帝ラプソディアは、必死に軍人たちの世話をする少女の姿に一目で惚れ込んでしまい、悲劇はそこから始まった。


 皇帝ラプソディアは皇后の目を盗み、来る日も来る日も少女の元へ通った。少女は相手が皇帝と知り、姉の夫なのだと知り、とても邪険にはできなかった。そして皇帝ラプソディアが己に並々ならぬ愛情を抱いていることを知ると、「それはなりません」ときっぱりと拒絶した。少女には分別があった。どれほど皇帝陛下が己に愛を注ごうと、それが世間的には許されぬ愛であることを知っていた。故に邪険にはせずとも、強い気持ちで拒絶した。

 だが、障害のある愛とは時に異常に盛り上がるものであり、拒絶されればされるほど、皇帝ラプソディアの恋心は燃え上がった。日に日にあの少女を己の物にしたいという欲望が膨れ上がった。仕舞には、少女の拒絶も聞かず、無理矢理にも己の下へと組敷いた。少女の泣き叫ぶ声に、応える声はなかった。何一つ国政の権限を持たないというのに、悲しいことに彼は皇帝であった。誰も皇帝の情事を邪魔しようとはしなかった。


 やがて少女は皇帝の子を腹の中に宿した。それは、望まれぬ命であった。父となる皇帝ラプソディアでさえ、彼女が子を孕んだことに絶望した。あれほどまでに己の物にしたいと願った少女であるが、彼には妻皇后がおり、しかもそれは少女の姉である。皇帝ラプソディアは、取り返しの付かない現実を前にして、ようやく我に返った。そして己のやらかした事態に責任を取ることのできるほど、精神の強い男ではなかった。


 少女が皇帝の子を宿したことを皇后が知るのは、少女が子を産んだすぐ後のことであった。皇帝ラプソディアはその事実を、誰にも漏らさなかった。少女もまた、口をつぐんだ。だがしかし、己の娘が子を産んだと聞いて、父である軍の指揮官はその親を聞かぬわけにはいかない。少女は子を産んだ後、涙ながらに吐露した。——それが皇帝ラプソディアの子供である、と。


 怒り狂ったのは、皇后であった。もとより気の強い、気位の高い女であり、己の妹が夫の子を産んだとなれば、我慢できるはずもなかった。そのどうしようもない屈辱に耐えきれず、皇后は実の妹を毒殺した。もとより、仲の良い姉妹ではなかった。皇后は妹を殺しても、平然としていた。


 一方の皇帝ラプソディアは、少女が己の妻に殺されたという事実を知り、正気を失った。生来気の弱い男である。少女が己の子を宿したという時点で気が動転し、病の床に臥せっていたのだが、妻による少女の暗殺がとどめとなった。ラプソディアは精神を病み、正気ではいられなくなった。


 そしてこのような皇室の事情を嫌ったのは政権を握る軍である。これを機に皇室を撤廃することも考えたが、長年続いた帝政を打ち破るには、まだ動機が足りなかった。なにしろ宮殿の中には依然として巨大な皇宮がそびえ立ち、その中には何百という皇室の持つ小間使いを含めた部下が生活していたのである。

 そこで軍は、少女の産んだ皇帝ラプソディアの第一子を皇太子として育てあげることに決めた。相手はまだ年端もいかぬ幼子である。それを軍の一部として育てて、彼自身の手で皇室を撤廃させようと企んだ。軍による圧政では皇宮の人間は言うことを聞かなくとも、皇太子の言うことならば聞こう。そう考えたのである。

 それに反対したのは、これまたやはり、皇后であった。皇后は己の産んだ子供でもない、その憎らしき男児を疎んだ。すると、それからまもなくして皇后は謎の死を遂げた。未だにその死因は明らかにされていない。が、軍の誰かが彼女を暗殺したのであろうことは安易に予想が付く。


 そこから、軍による皇太子の教育が始められた。皇太子はシルディアと名付けられ、軍の下で教育された。今や皇室が軍なしでは生きられないこと、そして軍がこの北国を支配しているのだということ、北国の軍はこの世で最強なのだということ、様々なことを幼いうちから植え付けられた。


 しかし、シルディアが成長するにつれて、軍の予期せぬ妙なことが起こるようになった。


 皇太子シルディアが具合を悪くしたり機嫌を悪くすると、周囲の人間が怪我を負ったり、あるいは重い病から起き上がれなくなったり、最悪の場合は死に至る。また、皇太子シルディアは、彼が知るはずのないことを知っていたり、未来のことを予知したり、見た事もないものを記憶していた。最初は偶然だと思われていたが、あまりにもこのようなことが続くため、これは妙だと軍は気付いた。——皇太子シルディアは、不思議な『力』を持っている。


 シルディアの成長とともに『力』は徐々に強まり、やがて周囲に人を近づけなくなった。その恐ろしい『力』に飲まれ、凡人では長く傍にいられない。そこで、軍は、この『力』を独自に研究するようになった。そしてシルディアの持つ『力』の強さを知ると、今度はこれを軍事力の一部として使うことを決めた。こうしてシルディアは、本来皇室の撤廃とともに弑される予定だった命を、永らえることとなったのである。




 シルディアは、己の命が望まれずして産まれたことを知っている。産まれたその瞬間から、誰からも愛を与えられずに育った。故に愛を知らない。


 シルディアは、己の『力』が闇を呼び、周囲を害し、人を死に至らせることさえあると知っている。故に孤独であり、愛を知らない。


 シルディアは、全ての物事には裏があり、複雑に絡み合って世界を成していると知っている。故に己の意思で動くことを諦め、愛を知らない。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ