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12、巫女の心

 自分の主に対する忠誠心とは清らかなものなのか。

 獣人である自分に引け目のある彼が悩む一方で、その主である少女は、彼の横顔を遠くより見つめて、思う。


 ——どうも、己の仗身の様子がおかしい。


 獣人の主である少女は、即座に気付いていた。

 気付かずにおれるわけもない。なにしろ、彼とは十年来の付き合いなのだ。実のところ、彼が厨房の前の廊下を虚ろな眼差しで徘徊しているのを見たその時から、少女はその様子のおかしいことに気がついていた。

 だが、カグワのことを何よりも最優先にする彼が、自分の抱えている悩みをそう容易には主に打ち明けないであろうことは彼女も承知していた。——昔からそうなのだ。彼は余計なことを言って主に心配をかけまいとする。例えば八つの年の頃から仗身としての修行を始めた彼が他の誰よりも苦労を強いられていたことはカグワとて重々承知だ。生まれて間もない頃より様々な身体能力の訓練をさせられてきた他の仗身たちと比べ、彼の能力が当初は劣っていたことなど考えてもみれば当然のことだった。それでも彼は泣き言の一つも漏らさなかった。そして今では、他の仗身と比べてもなんら遜色ない。

 そんな彼だから、何を悩んでいたとしても、自分に相談してくることはないだろう。カグワはそう確信していた。西国から遠く離れたこの北の地で、仗身の彼にとて悩みは多くあるに違いない。その内容まではわからずとも、少しでも彼の支えになれるようにいつもの通りに彼に笑顔で振る舞おう。——よもや彼の悩みの種が自分の中にあるなどとは夢にも思わぬ少女は、そう心に決めていた。



 料理を終え、一通り厨房を楽しんだカグワは、一度ユタヤを引き連れ自室へと戻った。その時にはすでに、自室で待っていると聞いた皇太子シルディアの姿はそこになかった。恐らくオレークに言われて自分の寝室に戻ったのであろう。待たせてしまって悪いことをしたなとカグワはあの色素の薄い少年のことを思う。だが、今はそれよりも、目の前にいる長く連れ添った仗身のことが心配だった。

 部屋に戻ってからも、ユタヤはカグワと距離を取った。カグワが寝台の上に腰掛ければ、彼は離れた窓際に立ち尽くす。恐らく何か一人で考えたいことでもあるのだろう。カグワもあえてそのことには突っ込まずに、ひとまず厨房で汚れた服から着替えることにした。

 いつもカグワの服は、服飾を専門とする下働きが用意してくれていた。今も服が汚れたから新しいのを頂戴とカグワが一言言えば、彼女たちが飛んでくることだろう。だが、自ら厨房に飛び込んで自ら服を汚してしまったのに、忙しい彼女たちをわざわざ呼び出すのも気が引けた。それなので、ひとまず今日のうちは適当にそこにあるものを着てしまおうと、カグワは部屋に備え付けられた衣装箪笥の戸を開いた。小間使いたちの用意してくれる服は此処ではなくまた別の巨大な倉庫の中にしまわれているのだが、この箪笥の中にも一通りの衣服が揃えられている。カグワはその中から薄手のドレスを一枚取り出して、扉を閉めた。薄手の生地は夜寒いが、布団を被ってしまえば問題あるまい。短絡的にそう考えて、カグワは今纏っている汚れた服をその場にばさりと脱ぎ捨てた。

 暑い厨房の中で働く料理人たちは、軽装だ。それに倣ってカグワも上着や羽織ものを脱いでしまっていたために、その汚れた最後の一枚を脱げば下着姿も同然だった。とは言え、この部屋には今自分と仗身しかいないのだし、いいだろうと安易に考えて、カグワは着替えを始めた。すると、その脱ぎ捨てられた衣服の音を聞いて顔をあげたユタヤが、大きく目を見開いた。

「——かぐわの君!」

 その切羽詰まったような声色に、カグワも驚き振り返る。窓際に立っていた彼と目が合うと、青年は慌てたように目線を逸らして下を向いた。そのぎこちない仕草に、ますます拍子抜けする。

「早く衣服を纏ってください……そのようなところでお召しかえなさいますな!」

「え? ええ……」

 カグワは瞬きながらも、とりあえず言われた通りに箪笥から取り出したドレスを被る。頭を出して腕を出して、衣服の皺を伸ばして整えながら、下を向いているユタヤの方をこそっと伺った。ユタヤは困惑しきった様子で目を泳がせている。

「……急にどうしたのよ」

「……どうしたもこうしたもありますまい。着替えるのであれば、いつものように服飾の小間使いを呼んで他の部屋へ行くか、あるいは最低限そうおっしゃって下されば私の方が部屋を出ます」

「そんな今更気を使うような仲でもないじゃない。別に真っ裸になってるわけでもあるまいし……」

 カグワは小さく呟いて、ぱぱっとドレスをはたくとベッドの上に腰掛けた。さすがに真っ裸になるのであれば最低限の礼儀作法として互いに気も使うが、下着姿ぐらいではなんのそのである。カグワは脱ぎ捨てて床においた汚れた服を拾い上げると、それを膝の上で畳んだ。ユタヤは依然として苦い顔をしている。

「少しは羞恥を持って頂かないと困ります」

「なにを今更……後宮にいた頃は、一緒に川で禊もしたじゃない。それこそ真っ裸で」

「何年昔の話だと……しかもあの後、私は多方面からこってり叱られたんです」

「そうなの? 私はロマーナに怒られただけだったわ」

 懐かしいなぁと過去を思い起こしてカグワは笑う。

 あれはいつの頃のことだろう。ユタヤが後宮にきたばかりの頃のことで、ただひたすら川の冷水に浸って巫力を蓄えるという修行が辛く、少しは気が紛れないだろうかと思ってユタヤを誘ったのだ。まだ後宮の常識に疎かったユタヤは主である聖女に誘われて断れるわけもなく、己には何の意味もなさない修行に付き合ったわけである。

「あれはまだ男も女もなかった幼き頃のことです。けれど今は違います」

「違わないわよ。あの頃から私たちの関係性は何も変わってないわ」

「違います。あの頃私は八つ、貴女には僅か五つだった。あれから十年の月日が流れました」

 ユタヤが渋い顔をして言うので、相変わらず真面目なんだから、といつもの小言と同じように笑って流した。カグワは畳んだ服をベッドの上に置いて立ち上がる。少女は窓際に立っている青年の隣に並んで、小高い窓枠に腰掛けた。

「それだけ長い付き合いってことじゃない。私は気にしないわ」

「かぐわの君が気になさらなくとも、私が気にします」

 またそんなことを、と笑ってカグワは窓枠に腰掛けたまま足をぱたぱた泳がせた。が、隣に立つユタヤの目を見て、思わずその足が止まる。彼はまるで追いつめられたみたいに、必死で、縋るような目をしていた。それはいつものような苦言を呈する眼差しではない。——どうにもこうにも、様子がおかしい。

「——どうかしたの?」

 カグワは、そう問うたところでユタヤが何も答えてはくれないであろうことを知りながら、問いかけた。案の定、ユタヤは「別にどうもしませんが」と口ごもる。しかし、その眼差しは明らかに妙だ。まるで何かを恐れるかのような、怯えた目をしている。

「ずっと他国に囚われたまま……疲れてしまったのかしら」

 適当に言い繕って、カグワは隣に立つ青年の顔に手を伸ばした。いつもの通りに彼の顔を撫でる程度の接触を試みると、何故だろう、ぴくりとわずかにユタヤが身を引かせた。まるで躊躇するようなその動きに、カグワは面食らう。今まで一度だって、彼に接触を拒絶されることなんて、なかったのに。

「……ゆたや?」

 ユタヤは何も言わなかった。ただ拒絶するような所作をしてしまったことを後悔するように悲しい顔をして、下を向く。そして申し訳なさそうに首を横に振った。「なんでもない」という意味なのだろう。

(なんでもないわけが、ないのに)

 彼に触れるはずだった手のひらを引っ込めて、カグワは自分の胸の前を押さえた。なんとも妙な空気だ。気まずい雰囲気がその場を支配していく。

 と、それをまるで見計らったかのように、突如扉をノックする音が響いた。

「——失礼します、ユーリです。夕食の用意をしに参りました」

 その音と声が、いい具合に気まずい雰囲気をかき乱す。カグワは「はーい」と不自然なほどに明るく答えて、窓枠から飛び降りた。ユタヤもどこかほっとしたように外を向く。

 丁寧にお辞儀をしてから入室してきたユーリは、二人の間に流れた気まずい雰囲気には全く気付いていないようだった。取り繕えたことに安堵しながら、カグワは「あ」と思い出したように声をあげる。

「そうだ、きっと今頃シルディアも夕飯を食べ始める頃よね!」

 その台詞が少し芝居じみていることに、恐らくユタヤは気付いているだろう。カグワがこの気まずい空気を流そうとしているのだと、彼もきっとわかっている。

「ええ、そろそろ殿下のお部屋の方にも夕食の当番をしている小間使いが向かっている頃ではないかと」

 そんな主従の動きに気付かぬユーリは、妙にはしゃぐカグワを見て笑って答えた。彼も、料理人づてに聞いたのかあるいは他の小間使いから聞いたのか、カグワがシルディアの夕飯を作る厨房に篭っていたことを知っているに違いない。

「じゃあ、ちょっと私、シルディアの所へ行ってくるわ! もしも味が悪くて料理長が怒られてしまったら可哀想だもの。帰ってきたら、夕飯を食べるから!」

 カグワがそう言うと、ユーリは「わかりました」と了承した。

「ではそれまでに夕飯の支度は整えておきますね。どうぞ行ってらっしゃいませ」

 軽く会釈したユーリのその後ろに、窓から外を眺めているユタヤの後ろ姿が覗く。カグワはなんとはなしにちらりと彼の後ろ姿を見やって、それから外へと飛び出した。ユタヤは一度も、彼女の方を振り返ろうとはしなかった。

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