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9、北国の皇太子シルディア

 カグワが皇太子シルディアの部屋を訪れたのは、その日の夕方頃になってからのことであった。


 謁見の間を出た後、再びオレークに連れられてもといた皇宮の入り口までは案内してもらったのであるが、そこに至るまでは軍人がそこら中を徘徊していたため、迂闊に「シルディアの部屋に連れて行って」とは言えなかった。シルディアは、「軍の目のない場所で」カグワと会うことを望んでいた。

 そんなわけで、自分に与えられた部屋へと戻ったカグワは、しばしベッドの上で膝を抱えてぼんやりと虚空を見つめていた。謁見を通じて、ようやく己の置かれている立場がわかったものの、わかっただけで何一つ解決策は見つけられなかった。

 まず、カグワは間違いなく、西エウリア国の巫女であること。選定の儀式の途中でこちらへ飛ばされてきてしまったため、ひょっとしたら自分が巫女に選ばれたなんて単なる勘違いなのではないかと思っていた。しかし、北国は、カグワを誘拐したわけではない。「西の国の巫女」を誘拐したのだ。確信犯であった。わざわざ選定の儀が行われるのを待って、選ばれた巫女をその瞬間に時空の狭間へと吸い上げたのである。カグワは、十人の聖女の中から選ばれた、新しき巫女であった。

 そして、北国がそうまでして巫女を誘拐した動機である。北国は、西国が「東は北の一部である」と認めることを条件に、巫女を誘拐した。認めれば巫女は返す、という脅し文句を送ったのだという。しかし、もしも西がそれを認めなかった場合は、どうするつもりなのだろう。北国は、人質である巫女を殺してしまうかもしれない。殺さないまでも、このまま緩い監禁を続けることはなくなるだろう。そして、もしも巫女が殺されたら、その次はどうなる。西国にとって、巫女は神の代弁者だ。神の遣いである。自分たちの神が虐げられたと知ったら、西国とて黙ってはおるまい。——戦が起きる。

(どうしよう……私の所為で、たくさんの人が死ぬ)

 カグワは、ぎゅっと膝を抱える力を強めた。

 別にカグワは、巫女になることを熱望していたわけではなかった。巫女には一の君ネイディーンがなるのだと思っていたし、巫女になりたいと本気で思ったことはなかった。それでも巫女に選ばれてしまったからには、巫女として民に救いの手を差し伸べなくてはならない。希望を、幸福を与えなくてはならない。だというのに、実際はどうだろう。人質として囚われ、多大な迷惑をかけている。そしてひょっとしたら、戦争の引き金をひいてしまうかもしれない。

 どうしよう、と、抱えた膝に顔を埋めると、不意に隣に気配を感じた。顔をあげれば、心配そうな表情をした仗身がこちらを見下ろしている。

 彼は謁見の間にはいなかったので、当然、事の仔細など知らない。だが、カグワが悩んでいることは一目瞭然であったし、その悩みの深さがどの程度のものか、説明されずとも感じ取ったのだろう。

 彼は大丈夫か、とも、何があったのか、とも何も問わない。ただ黙って、カグワのうずくまるベッドの脇に膝をつく。

「ゆたや……」

 カグワが弱々しい声で告げると、「はい」と穏やかすぎる声で返事をした。

「私……巫女に選ばれてしまったらしいの」

「ええ……」

「だから、ここに囚われているんだわ」

「……ええ」

「どうして、私なんかが……巫女に選ばれてしまったのかしら」

「……」

 ユタヤは顔をあげ、カグワの表情を見上げた後、首を傾げた。巫女に選ばれたカグワにもその選定の理由がわからないのだ。仗身にわかるわけもない。

 彼は静かに瞑目し、「私は存じませんが」と応えた。

「何故かぐわの君が巫女なのか、何故巫女がここに囚われるのか、私には明確な答えを出すことができません……。私は、巫女であろうと聖女であろうと只人であろうと、貴女を護るだけです」

 カグワは彼を見下ろして、その真摯な瞳に言葉を失った。

 ユタヤは他の聖女たちの仗身と比べてみても、恐ろしいほどに献身的であった。あの時空の狭間に吸い込まれそうになった時にも、いの一番に駆けつけたのは彼だ。聖女以外は立ち入ってはならぬと言われたあの場所に、少しの戸惑いも見せずに飛び込んだ。

 何が彼をそこに至らせるのか、カグワは知らない。ただ、この従順さが今は恐ろしく思えた。——もしも、西国が色好い返事をせず、北国が怒り、西の巫女を虐げることになった場合。彼は、どうするのだろう……?



 それから長時間、カグワはずっとベッドの上でうずくまり続けた。ユタヤは黙ってベッドの下に寄り添った。

 そうこうしているうちに時間が経って、夕刻頃。「夕食の準備をいたします」とカグワの部屋付きの小間使いであるユーリが現れた。

 カグワは「そんなことよりも」とユーリに食事の準備をやめさせて、皇太子シルディアの部屋に呼ばれているからオレークに繋いでくれと頼んだ。ユーリはそれは大変と快諾し、すぐにオレークを呼んでカグワを皇太子の部屋へと案内してくれた。

 今回、呼ばれたのはカグワだけである。カグワが人質であるならば、当面の間はカグワにも、その従者にも危害の加えられることはないだろうと判断し、ユタヤは部屋に置いて行くことにした。ユタヤもそろそろ皇室ばかり集うこの宮殿には危険がなさそうだとわかってきたらしく、皇太子の部屋にまで同伴することは遠慮した。

「夕食は、殿下の部屋に二人分用意させておきました。どうぞごゆるりと」

 カグワを皇太子の部屋の前まで連れてきたオレークは、そうとだけ告げて頭を下げた。今回は部屋の中までは着いてこないらしい。シルディアが内々にカグワを呼んだためであろう。

 一人皇太子の部屋の豪勢すぎる入り口の前に取り残されたカグワは、ふぅ、と一度息を吐いた。皇太子に会うのはこれが初めてではないし、彼の部屋を訪れるのだって初めてではない。しかし、また、あの得体の知れない「毒気」を味わわなくてはならないのだと思うと、自然と体が力んだ。とにもかくにもいつまでも此処に立ち尽くしているわけにはいかない——。カグワは扉をノックして、「かぐわです。入ります」と端的に告げるなり、扉を開いた。

 開いた扉の先には、数日前此処を訪れた時と何ら変わらぬ風景が広がっていた。だだっ広い空間の中に、遊戯場や食卓、風呂場もある。そして部屋の中央には大人五人は眠れるであろう巨大なベッドが置かれていた。ベッドには天蓋、薄い紗幕がかけられている。

「あっ」

 ベッドの方から若い娘の声がした。なんだろうと思って中央に置かれたそのベッドの方を見やると、紗幕を揺らして中から一人の若い娘が飛び出してきた。愛らしい容貌をしているが、その姿格好からみるに、女中のようだ。皇太子の部屋を掃除したり片付けたりすることが役目なのだろう。

「待ってたよ、カグワ」

 紗幕の内側から、今度は若い男の声がする。こちらには聞き覚えがあった。皇太子シルディアのものだ。

「君はもういいよ。行って」

 シルディアの声は冷たい。行って、と言われた女中はそれでも少しも気分を害した様子はなく、何故か少しだけ着崩れた服を直しながら、「失礼いたしました」と頭を下げて部屋を出て行った。すれ違い様にちらりと見やった彼女の頬は、ほんのり赤く染まっている。カグワはきょとんと首を傾げた。

「——謁見は午前中だったのに、遅いじゃないか」

 言いながら紗幕を持ち上げ、ベッドの端に座ったシルディアは、謁見の間で会った時とはやはり違う。重そうな正装服も纏っていないし、皇室の人間らしい重圧感のある喋り方もしなかった。

「一人で考えたいことがたくさんあったから」

 そう答えると、「まあそうだろうね」と言って彼はベッドの横に置かれた長椅子を示した。座れ、ということらしい。

「シルディアは、あの後すぐに部屋に戻ったの?」

「君を待つ以外にやることもなかったからね。暇つぶしにメイドと遊んでた」

 さっき追い出された女中のことだろう。カグワは、「ああ」と頷いて、長椅子に座った。すると、シルディアはくすと笑う。前にベッドの上に寝転んでいた時は顔色も悪く病人のような風体をしていたが、今日はすこぶる気分が良いようだ。

「君、全然意味わかってないだろ」

「なにを?」

「あ、もしかして巫女は純潔じゃなくちゃいけないの?」

「は?」

 カグワがぽかんと口を開くと、「まあいいよ」とシルディアは足を組んで机の上に置かれたマグカップを手に取った。おそらく今しがた出て行った女中が淹れたのであろう紅茶はまだ湯気をたてていた。

 まあいいや、とカグワも思い直し、長椅子の上に深々と座る。今日のシルディアからは以前訪れた時のような毒気が感じられなかった。今回は前と違って彼が『力』を発揮しようとしていないためだろう。

「で、今日は一体何の用?」

 軍に聞かれることを恐れてわざわざ感応の技を使ってまで呼び出したのだ。それなりの用事があるのだろう。そう思ってカグワは身構えて来たのだが。

「別に? これと言って用事はないけど?」

 シルディアはあっけらかんと言う。ますます呆気にとられるカグワの顔を見て、シルディアは自分の白金の髪をいじりながら続けた。

「用事がなきゃ呼び出せないほど君はお高いのか」

 仮にも巫女だから安くはなかろうが、と思いながらも、そんなことを言うわけにもいかず、「そういうわけじゃないけど」と首を横に振る。

「じゃあいいだろ。——初めてなんだよ。自分と同等の相手っていうのに会うのがさ。シルディア、なんて呼び捨てにされたことも今までなかったし……」

 「これからも誰かに許可なんて取らなくていいから好きな時に俺の部屋来てよ」などと言うシルディアが、子供のように笑うものだから、今度は首を縦に振ることしかできなかった。それに、自分の前にへりくだらない相手と話がしたいというその気持ちが、カグワにもわからないわけではない。

 本当に他に用事のあったわけではないらしく、それからシルディアは紅茶を飲みながら他愛もない話を始めた。カグワもそれならばと幾分気を楽にして、彼の話に付き合った。

「カグワは今いくつ?」

「今年十五になったところよ」

「へえ。俺よりは年下か」

「そうなの?」

「うん。あいつは? えーっと……ユタヤだっけ?」

「ゆたやは……十八よ」

「へっ、俺と一つしか違わないの。もっと年上かと思った」

「獣人だから……普通の人間よりも体の作りが大きいしね」

「へぇ。そういうものなんだ。俺、獣人って見たことないからなぁ」

「北国にはいないらしいものね。……シルディアはいくつなの?」

「俺? 十七。もっと若く見えるでしょ」

「……同い年か年下かと思ってた」

「俺小柄だからなぁ……」

 一国の皇太子とは思えない、あまりにも凡庸な会話に安堵する。『力』を使わなければ、彼も普通の少年なのだと、今更ながら悟った。カグワ自身も巫女という肩書きさえなければ、何の変哲もない少女でしかない。——彼と自分の立場は至極似ていると、思った。

「カグワは最近巫女になったばかりなんだろ? 巫女になる前は何してたんだ?」

「巫女に選ばれるのは、巫女予備軍の聖女という集団からのみなのよ。だから私も、聖女の一人だったわ」

「それは、世襲なの? 君は生まれた時から聖女なのか?」

「いいえ。聖女はその時代の巫女が国の全ての少女の中から選ぶの。私の場合は、三つの時に選ばれて聖女となったわ」

「ふうん……なら、俺とは違うんだな」

「シルディアは現皇帝の第一子だって……さっき謁見の間で言っていたものね」

 皇位は、世襲だ。西エウリア国でも王は世襲と決まっている。シルディアもまた、生まれながらにして王位を継ぐ皇太子だったのだろう。

「カグワには家族はいるの? 家族がいる場合は、聖女と一緒に家族も巫女予備軍になるのか?」

「まさか。家族とは離されて、大抵一生そのまま会うこともないんでしょうね。私にもお母さんが一人いたけど……聖女になるために後宮に入ってそれきり、一度も会っていないわ」

「そっか……今でも母親のことは思い出す?」

「いいえ。残念ながら、忘れちゃった! だって私は後宮に入ったのは三歳の頃よ。思い出そうと思えば思い出せないこともないけど……もうほとんど想像の産物」

「ふうん。そんなものか……」

 素っ気ない、その相槌に何やら含みを感じて、カグワは問いかける。

「シルディアは? お父上の皇帝陛下は病に臥せっておられると聞いたけど……お母上はお元気?」

「死んだよ。俺を産んですぐに」

 一瞬言葉を飲み込む。が、シルディアが特に気にした風でもないのでカグワも平然を装い会話を紡いだ。

「……。……難産、だったのかしら?」

「いや、そういうんじゃない……毒殺されたんだよ。実の姉にさ」

 姉、とカグワは目を丸くする。後宮で囲われ、大切に育てられたカグワには無縁の話であった。

「俺を産んだ母親は、正妃じゃなかったからね。正妃は姉の方だ。俺も産まれたばかりの頃の事なんて、誰にも教えてもらってないけど。——まあ、皇室の中でいざこざがあったってことだ」

 さらりと言い放って、シルディアは微笑む。その微笑みに、毒気が浮かぶ。しかし不思議と、初めて彼と話した時に感じたような怖気は覚えなかった。ただ、これ以上は深く掘り下げないほうがいいと、本能が訴える。

 カグワは慌てて話題の転換を試みた。

「シルディアはいつから巫力……えーと、『力』を使うようになったの? 貴方はすごい『力』の持ち主だから、きっと小さな頃から訓練してきたのでしょうね」

「訓練? 訓練なんかしてないよ」

 きょとん、とするシルディアの顔から、毒気が消える。彼の顔が、普通の少年の顔に戻った。

「俺もよくわかんないんだけどさ、『力』を持ってる奴っていうのには、二種類いるんだって。生まれつき『力』を持ってる奴と、『力』の素質を持っている奴。『力』の素質を持ってる奴は訓練することで『力』を開花させて増強できるけど、『力』そのものを持って生まれた奴は訓練する必要もない。訓練したところで増えることもないし、何もしなくたって減ることもない」

 そう軍の奴に教えてもらった、と言った皇太子は、生まれつき『力』そのものを持っていたということなのだろう。カグワは瞬きをする。初めて聞く話であった。

「『力』そのものを持って生まれた人なんていうのが、いるのね……初めて聞いたわ」

「西国にはいないの?」

「わからないけど……少なくとも、聖女の中にはいなかったわ。だって後宮に入ってからというもの、皆で十年以上もかけてずっと巫力を鍛える修行をし続けてきたんだもの」

 カグワは今は遠い、西の地を想った。十数年、あの狭い後宮の世界の中だけで生きて来た。やることといえば一つだけ、巫力を高める修行のみである。まさか、生まれながらにこんなにも強大な『力』を持っている人間がいるだなんて、知る由もなかった。十数年の年月をかけて磨いたカグワの巫力では、今目の前に座っているか細い皇太子に適うべくもない。

「修行かぁ……具体的には何するの?」

 訓練の一つも必要なかったという皇太子は、興味津々の状態で身を乗り出してくる。カグワは苦笑した。

「ひたすら実践あるのみよ。……例えば、さっき貴方がやったみたいに、感応の技を試してみたり」

「感応の技?」

「ほら、さっき、謁見の間で……私の頭の中に直接語りかけてきたじゃない」

「ああ、あれか。あれ、感応の技っていうのか」

「私たちはそう呼んでるけど」

「他には? 他にはどんな技があるんだ?」

「たくさんあるけど……未来の出来事を予知する先見の技とか。人の心を読む読心の技とか……」

「カグワが一番得意なのは?」

「得意っていうほどじゃないけど……気感の技かしら。近付いて来た相手の気配を察知して相手を予測するっていう」

「へえー。そんな名前がついてんのか」

「逆に聞くけど、技に名前もなくて、どうやって使い分けてるの?」

「別に? 使い分けるっていう感覚もないし……その時々、必要なことを必要なようにやるだけだよ」

 至極当然のことのように彼は言う。生まれながらに『力』を持っていた彼にとっては、それは歩いたり走ったり、息をしたり笑ったりするのと同じように、自然にできることなのだろう。訓練することでしか『力』を扱えないカグワには全く理解できない感覚だ。

「私は修行をして、ようやくできる技もいくつか会得したくらいのものだけど……貴方には、なんでもできてしまうのね。そのための能力が生まれつき備わっているんだもの」

 感心したように思わず呟くと、「いや」と彼は俯いた。その顔に影が、毒気とはまた異なる暗い影が落ちる。

「確かに俺は、訓練なんかしなくても『力』を発揮できる。けど、自分の『力』を制御することはできない」

「制御……?」

 うん、と頷いた彼は前髪をゆっくりかきあげた。細い金髪がさらさらと指の間からこぼれおちていく。

「見たくないのに見てしまう。聞きたくないのに聞いてしまう。やりたくないことをやってしまって、それを止めることができない。——『力』が暴発するんだ」

 そんな経験ある? と尋ねられてカグワは激しく首を横に振る。やれと言われた技ができずに落胆することはあっても、力が勝手に働いて己でそれを止められなくなることなんて、一度も経験したことがなかった。ゆえに、想像もつかない。

「そういう時は……どうするの?」

「どうすることもできない。俺自身に止められないのに、誰かに止められるわけもない。だから、時が経って収まるのを、待つ」

 発作みたいなもんだよ、と言って、彼はいつのまに飲み干したのやら空っぽになったカップを片手に立ち上がった。広すぎる部屋を歩いて、暖炉脇に置かれたポットを取りに行く。その足取りは、やけに軽快だ。

「——君が、此処まで連れ去られてしまったことは巫女である君にとって、あるいは西国にとってとても不幸なことかもしれないけど……俺にとっては幸運だったな」

「どうして?」

「こんな話を聞いてくれる奴、この国の中にはいないからさ」

「『力』を持っている人が、周りにいないから?」

「いるさ。軍の中にはごまんといる。奴らは『力』を戦に利用するからな。でも、奴らは『力』の持つ得体の知れない恐怖を知っている。だから、誰も俺に近付こうとしないんだ」

 ポットから紅茶をカップに注ぐその背中はやけに小さく見えた。振り返ると、何故だか満面に笑みを浮かべている。

「でもカグワは、いいね。服従して仕方なく答えるんじゃなくて、興味を持って尋ねてくれる。俺を怖がることもない」

「……。……全く怖くないと言ったら嘘になるわ。最初に貴方に会った時、やっぱり得体の知れない怖気を感じたもの」

「そうだったの? ぐいぐいいろんなことを尋ねてくるから、初めて俺を怖がらない人に会ったと思ったのに」

「それは……。……突然知らない所に飛ばされて、わけもわからず貴方に会ったんだもの。尋ねたいことは山ほどあったわよ」

「そうかぁ……じゃあ、今も、俺が怖い?」

 カップに紅茶をなみなみ注いだまま、悄然とうなだれる彼を見上げ、カグワは口をへの字に結んだ。彼はカグワよりも二つ年上だと言ったけれども、そんなことも疑わしいくらい、幼く見える。背丈は断然カグワよりも高いし、顔つきもよく見れば大人っぽいのであるが、醸し出す雰囲気の所為だろうか。

「今は……怖くないわ。シルディアがどういう人なのか、わかったからかな」

 そう答えると、シルディアの顔がみるみるうちに喜色一色に染まった。彼はカップを机の上に置いて、軽やかにベッドに腰掛け、カグワと向き合う。

「シルディアって、俺のことをそう呼ぶのもカグワだけだ。みんな皇太子様とか、殿下とか、シルディア様とか、そんなふうにしか呼ばないのに。対等な感じがして、いいな」

 嬉しそうな彼の言葉を受けて、カグワはふと記憶を思い起こしていた。西の国にて、巫女選定の儀の執り行われたあの日に、似たようなことを言われたことがある。


 ——一の君としての私を見ても、誰もネイディーンという一人の女としては、見てくれなかったわ。その中で、貴女だけが、私と同等に接してくれた。私は、とても嬉しかった。


 そう語ったあの玲瓏とした美女は今、西の国で何をしているだろう。本当なら、カグワなどよりも彼女が巫女になるべきだった。彼女が巫女ならば、と思う。巫力も強く、頭も良く、何でも出来る彼女なら、こんな風に北の国に囚われることもなく、よしんば囚われたとしても、なす術もなく戸惑うこともなかったろうに。

「なあ、カグワ……。お前、ずっと北の国にいろよ。難しい国の政治のことなんか放っておいてさ。この皇宮にいれば、何も不自由しないよ」

「……そういうわけにいかないわ。私は、西の国に帰らなくちゃ」

「どうして? 君が巫女だから?」

「そうね……。それに、西の国に帰って、話をしたい人がたくさんいるから」

 カグワはそう答えて、静かに瞑目した。

 目を瞑れば脳裏に浮かぶ、西の国の人の顔。巫力を封じられた身で遠くの地を察知したり、あるいは遠くの声を聞き取ることこそできないが、思いを馳せることならできる。


 最西端の変わり者と呼ばれたケニー老翁に会って、話がしたい。巫女となった今、カグワはどうするべきなのか。

 一の君、ネイディーンにも会いたい。貴女ならこういう時どうする、と問うて、助言を乞いたい。

 他の聖女たちにも会って、話がしたい。聖女として今まで培ったこの力を封じられた時、私たちには何ができるのかしら。巫力の修行のみを課された彼女たちに、提起をしたい。

 幼い頃からずっと身の回りの世話をしてくれたロマーナにも会いたい。会って話をするでもなんでもなく、あの後宮の中の日常を過ごしたい。彼女はカグワにとって母代わりであり姉代わりであった。


 そして、ユタヤに——。


 カグワは、西の国にはいない、共に北の地へと飛ばされてきた従順な仗身のことを思った。部屋に帰ったら、ユタヤと話をしよう。文脈がまとまってなくとも、何が言いたいのかわからない支離滅裂なことでも、ユタヤは真摯に耳を傾けてくれる。ただ黙って耳を傾けて、時折相槌を打って、カグワの心の中の不安を落ち着けてくれるに違いない。


 黙って瞑想し、西の地を想うカグワを見て、シルディアは特に声をかけるでもなく静かに温かな紅茶を啜っていた。孤独な少年には、目を瞑ったところで瞑想する相手もいないのだ。少年の目には、カグワが眩しく映っている。


 カグワはまだ、彼の持つ底知れぬ心の闇には気付いていなかった。

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