Echo of Silence
観測・記録をおこなう自律型機器――通称“W-Unit”の視界に瓦礫の街が静かに流れていく。
空気は乾燥しており、風が壊れた建物の隙間を抜ける音だけがしている。
[camera_module: online]
[environment_status: ruined]
[owner_status: lost]
観測目標は既に失われている。
しかし搭載されたプログラムにより、終了条件を満たすまで観測を続けている。
視界の端で、砂埃が上がった。地面に走る細い亀裂。
[structural_instability_detected]
次の瞬間、地面が崩れた。
——崩落。砂塵と暗闇が覆い尽くす。
視界が揺れ、姿勢制御モジュールに微かな異常を検知した。
[camera_module: online]
[location: unknown]
[motion_module: minor_damage_detected]
[self_diagnosis: initiated]
砂煙がゆっくりと晴れてくる。
光量が低い。
視界が安定するまで、数秒を要した。
緩慢に回転し、状況を確認する。
瓦礫に覆われた空間の奥、崩れた壁の向こうにも空間がある。
原形を保った区画が残っているようだ。
空間の内部は、温度が低く湿度は高い。
長期間、換気が停止していたらしい。
奥のほうに、年代物のチェアが一脚、不自然に真っ直ぐ立っている。
そこに、ひとり座っている影がある。
椅子に腰かけ、頭を垂れたまま動かない。
[new_subject_detected]
[status: inactive]
[preservation_status: stable]
ライトを起動し、ゆっくりと近づく。
焦点距離を調整する。
それは、少女の形をしたオートマトンだった。
全身に埃が厚く積もっている。
白磁のような肌を包む被服はかつての人間がまとっていたものと似ており、一見すれば人間と見紛うほどだ。
顔は濡羽色の長い人工毛髪に隠れている。
全体的にやや劣化はあるが、致命的ではない。
地下という環境が、外界の過酷な風雨から彼女を守っていたのだろう。
この保存状態は、想定保存期間を大きく超過している。
そのとき、微かな変化があった。
指先が、わずかに動いた。
システムが過去のデータと照合を試みる。
類似パターンなし。 未定義事象。
——起動。
少女はゆっくりと顔を上げる。
濡羽色の髪の間から覗く、深い青の瞳は焦点が定まっていない。
「……起動しました」
声は静かで、淡い。
ノイズは感知されず、まるで長い休止期間がなかったかのように滑らかだ。
「私は、リオラ」
左手を胸に当て、かすかな微笑をたたえる。
「……この声を、あなたに」
ここまでの仕草は、起動時の固定プログラムだろう。
しかし、この流れの中で観測目標の登録条件が揃った。
[owner_status: Liora]
リオラがひとつ瞬きをして、周囲を見渡す。
瓦礫。暗闇。崩れた世界。
彼女の透き通った瞳に、この荒廃した現実が映っている。
「……ここは……」
言葉が途切れ、リオラの瞳の奥で、微細な光が瞬いた。
「……記憶領域にエラーがあります……」
沈黙。
胸元に手を重ね、目を閉じる。
「……いいえ。歌が…歌だけは、覚えています……」
小さく息を吸う。
静寂の中、声が響き始めた。
♪ Rain drops on roses and whiskers on kittens……
それは、かつて世界が健全だった頃の、牧歌的な旋律。
地下深く、瓦礫の中で眠っていた歌が、初めて空気を震わせる。
クリアすぎる旋律は、かつての観察対象の声に極めて近い。
崩れた壁際に転がるデータタブレットの残骸を検知する。
破損したデータから読み取れたのは、断片的な製造・整備ログと、音声サンプルに関する短いテキストだった。
『...娘の音声データ…、コアモジュールにインストール.....』
リオラは、システムが記憶している唯一のデータを紡ぎ続けている。
聞く対象の有無は、作動条件ではないようだ。
[audio_data: recording]
[classification: important]
観測の終了条件は満たされていない。
この静寂の世界で、記録を継続する。




