厳罰を望む被告と罪を憎む法廷
「被告、シャルティ・ワイアット……」
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その事件は王侯貴族だけでなく、広く国中を騒がせ、新聞紙面を連日賑わせた。
ワイアット伯爵家夫人シャルティが、一人娘セレスティアを殺害した。
センセーショナルな事件は多くの人間の興味を引き、そして様々な臆測を呼んだ。だからこそ、貴族法廷にかけられるシャルティの裁判は多く人間の注目を受けて公開されたのだ。
シャルティは石女と婚家から蔑まれていたという。長らく子が出来ず、生家であるムルダン子爵家の両親すらも実の娘でありながら、役立たずと罵しっていたとの証言が紙面を踊った。
夫であるテードナだけが、彼女の味方であったと報じられ、その記事には賛否が繰り広げられた。ワイアット家が捏造していると懐疑的な者もいたし、熱烈な恋愛からの結婚で夫婦仲は良かったと、事実として話す者もいた。
懐妊のため、夫婦揃って努力を重ね、様々な療法や、薬、食事から生活習慣まで改善し、やっと授かったのが長女セレスティアだった。
しかし、セレスティアは重い先天障害を患って産まれた。
呼吸器不全、先進の技術で、魔導具を用いて呼吸を補助しなくては一日たりとも生き長らえることのできない子供だった。
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セレスティア殺害は、彼女が5歳を迎えた翌月の事であった。
ワイアット夫妻は協力し、懸命に娘を看護し続けた。喉に痰や唾が溜まるため、定期的に医療用の魔導具で吸引する必要があり、呼吸補助の魔導具などの貸借費用も含めて高額であったため、使用人を減らした伯爵夫妻は昼夜交代で看護をしていたという。
王都の文官として働くテードナは仕事を続けながら妻を支え、シャルティは夫の協力のもと、懸命に娘を看護した。全ては医療が発達し、娘が健やかに暮らせる日を願って。
だが、結果はシャルティは娘の呼吸補助器を意図的に外し、そして自らも自殺をはかって手首を切り、発見した夫テードナの通報により一命を取り留めた夫人は貴族法廷にかけられたのだ。
さて、この事件にはシャルティが無罪では無いかとの同情的な意見が飛び交った。
誠心誠意、娘に尽くした5年の歳月、それでも非情にも回復することのない未来に絶望し、無理心中をはかるのも致し方ないのでは、そもそも、呼吸補助器がなくては数刻も置かず死に至るなら、殺人と呼べるのか?
国内の多くの人間が判事となり、アレコレと裁きを予想しては記事が取り上げた。
巷間に流布されるそれらの予想に更に輪をかけて、多くの人間が自分の予想を語っては盛り上がるのだった。
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公判当日、傍聴希望者は裁判所の外に溢れかえった。関係者席として用意されている前列だったが、ワイアット家の前当主夫妻も、ムルダン家の者も来なかったために開放される運びとなったが、それも焼け石に水であった。
抽選に漏れた者が仕方ないと喧々諤々と論争する中で、公判は始まるのだった。
自ら証言を申し出た被告の夫テードナを除けば、両家の関係者は1人として傍聴に訪れ無かった。
家の恥を晒す場に足を運びたく無いのだろうと、傍聴人たちは薄情なと蔑んだが、事実として両家の親たちは醜聞に笑い者にされる事を忌み嫌って傍聴を断っていた。
判事の印象はその時点で最悪であったろう。審理にさいして感情は排除すべきであるが、被告に同情的になっていたのは貴族法廷の判事や書記官も同様であった。
審理が始まると証言台に立ったのは夫テードナであった。被告シャルティは被告席で顔を伏せ、暗く俯いたまま、ぶつぶつと呟いている。精神を病み、供述も儘ならない様子であった。
憔悴した顔をしていたテードナだったが、真っ直ぐと証言台に立つと、判事たちへと顔を向け、確かな口調で語り始めた。その内容は衝撃のものであった。
「愛する妻と知り合い、結婚をし、初めは皆が祝福してくれたのです。ですが、3年経って子供が出来ず、私の親も彼女の親も、妻を役立たずと罵り、ゴミのように無価値なものとして扱いだしたのです。」
報じられているゴシップが事実だったと傍聴席がざわめき、判事長は木槌を打って静寂を呼ぶ。
「私は何とか妻の名誉を守り、幸せな家庭を取り戻したくて、親たちに抗議しましたが、あんな女を選ぶなんてと言われ、彼女の親には出来損ないを娶らせて申し訳ないと頭を下げられました。それでも、彼女が子供をもうければ、もしや私に種が無いのではと、医者を巡りました」
自身の不名誉すら誠実に話すテードナに傍聴席はゴシップを楽しむ余裕を失っていく。娯楽のように消費することへの後ろめたさが、傍聴人にある種の罪悪感を抱かせつつあった。
「やっと産まれた娘でした。病があっても、可愛い可愛い娘だったのです。ですが……」
テードナは震えていた。表情の見えない傍聴人たちは哀しみに泣いているのかと思った者もいたが、判事たちはその顔に怯えた。
百戦錬磨の判事たちをしても、心の臓を握り潰されると思う程に、その目は怨嗟に渦巻き、平静を維持しようとして、内に抑えた感情から、鳴動するように震える筋肉が小刻みに体を波立たせる。
「ゴミがゴミを産んだ。私の両親も彼女の両親もそう吐き捨て、孫を慈しむことはありませんでした」
ゴミと発した時、彼の声は聞き取れないと思う程に低く、地鳴りのように喉の奥より絞り出すかのように苦しく、そして深く吐き出された。
「私には彼女の気持ちはわかろう筈も無いのです。それでも真相を詳らかにせねばなりません。この事件の犯人は私です。彼女を苦しみから解き放ちたくて、彼女が疲れて眠っている時を見計らい、呼吸補助器を外し、彼女の腕を浅く切ってから通報するつもりで、誤って深く切りすぎたのです。彼女が死ななくて良かったと思っておりますが、彼女の支えであった娘ティアを失わせたことは、償いきれない重罪です。どうか、厳罰を」
傍聴席は上へ下へと大騒ぎになる。木槌の音が何度となく響き、判事長の声が回数を増すごとに音量を上げていき、やがて水を打ったように静まり返った。
言い切ったと言った風に憑き物の落ちた顔をしたテードナに、しかし待ったをかける者がいた。
「私が殺したのよっ! 私なのっ! 嘘をつかないで、私なのっ! 」
立ち上がったシャルティは頭を掻き毟ると制止することも間に合わない程に突然と夫テードナに詰め寄った。
「あの日、帰って来た貴方に、すこし看護を代わってと言って、貴方は疲れたと言ったの。寝かせてくれと。でも、すぐに表情を変えて、ごめんと謝って、君も疲れてるのにと……」
テードナは言葉に困っているようだった。何と返すのが正解なのか。
「私はゴミだったわ。娘を押し付けて、私の満足のために貴方に苦労を強いたの。だから、いなくなろうとした。勝手なことをして、娘を殺したのよっ! 私は死刑になるべきなのっ!」
錯乱していると判断した判事は、警護の者に拘束するように伝えたが、夫テードナはシャルティを抱き締めると。
「ゴミな訳があるか。私がもっと早く、両親に見切りをつけ、爵位も仕事も捨てて、君と娘のために生きるべきだったのだ。ただ、それでは生活に不安があって、踏み出す事ができなかった。全ては私の不甲斐なさゆえだ。だから、私は君を助けようと凶行に及んでしまった。狂っていたのだ。君は優しさゆえに、私を庇おうと記憶違いを起こしているのだ」
声を上げて泣く妻を抱き締め、必死に声を届けようと一言一言を噛み締めるように語りかける夫に。
「違いません。私は娘と死んで楽になりたかった。ごめんなさい」
か細い声でそう言ったのだ。
判事は2人を被告席に座らせると、判事数名により、協議をし、結論を書き起こしていく。
半刻程が経ち、判事長は判決を言い渡すことを述べた。
2人は同時に立ち上がろうとして、判事長より、そのままで良いと言われ座りなおし、そうしてより、主文の読み上げが始まった。
判事長オンバート・ヴェルナス、壮年の小柄で痩せぎすな彼は、しかして国一番の碩学と、そして篤志家であり、清貧を尊ぶ司法の頂点として、出自の低さを補って余りある男である。
見た目に迫力はない。だが、その佇まいに傍聴人は息を呑んだ。本来ならば、被告が立っている筈の証言台を真っ直ぐ見据え、淡々とした口調で語りだした。
「まず、この事件について、多くの調査員が証拠と証言を集め、この審理の前にそれらは精査されていることを前置く」
すでに審理は尽くされ、この法廷は最後の仕上げとしての確認だったと判事長は告げた。
「その上でも、被告シャルティとその夫テードナの証言を裏付けるものはない。どちらが殺害せしめたのか、それはわからない。それでも言える事はある。どちらであったとしても、殺害当時、犯行に及んださい、その人物は錯乱状態にあり、精神を病み、心身を大きく毀損していた。そして、その犯行はおのれの欲の為ではなかった。
審理の結果を言い渡す、判事長オンバート・ヴェルナスの名において、被告シャルティ・ワイアット及びその夫テードナ・ワイアットを無罪とする」
その言葉に法廷は大きく揺れたが、それ以上の衝撃が判事長の口から発せられる。
「私の権限を逸脱しているため、両家に関する裁定はこの場にて行うことは叶わない。だが、この事件の真の加害者は両家の親達であったことは疑いようも無い事実である。シャルティの尊厳を踏み躙り、懸命に生を紡ぐ幼い孫を侮辱した事は、貴族の名誉を傷つけ、その品位を貶め、その存在に疑義を生じさせる大罪であると云わざるを得ない。このことを持って、私は自身の職責を賭けて王宮に対して査問委員会の招集を提言する」
法廷は蜂の巣を突付いたように騒乱に包まれる。
法廷への入場許可を受けていた記者たちは忙しなく我先と外へと飛び出していく。
第一報を報じるのは自分だと記者たちは躍起だった。
木槌の音が響くなか、閉廷と静かに宣言した声は掻き消されていた。
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王宮、王家も主要な貴族家もことの対応に頭を悩ませた。すでに庶民たちは査問委員会がいつ開かれ、両家の親たちがどのように処罰されるのかで盛り上がっている。
さりとて、王家も貴族たちも、これを査問に掛けることに難色を示していた。大小はあれ、覚えのある事なのだ。たまたま悲劇が起きて騒ぎになったと、処罰すれば、遡って非難を受ける恐れも、この先に同様な事柄で裁かれる恐れもある。
こと、ここに至ってまだ、彼等は問題の本質から逃げていた。
庶民が飽いて、事態が鎮静化するのを待つうちに、騒動は拡大の一途を辿った。当然に開かれると思った査問委員会が、その兆候すらない。全く言及がないことで、庶民の怒りは爆発した。
開かないと言って非難を受ける覚悟も、開く道義心も持たぬ王侯貴族に為政者の資格なしと、王宮の周りを庶民が囲む。
地方にあっても、領主の館に同様の集会が散発し、そして当該両家の家には石が投げ入れられるに至り、ついに判事長オンバート・ヴェルナスが王都最大手の新聞社へと、自らの声明を寄稿した。
〜 騒動を起こした責を取り、自らの首を文字通りに捧げることを条件とし、査問委員会の開催を請願致します。 〜
ただの一文であったが、この正義の声明に庶民は沸騰した。判事長オンバート・ヴェルナスの助命と、これを持っても査問委員会の開催に言及しない王宮への非難は日増しに高鳴り、公判より二月を経て、ついに査問委員会は開かれた。
さっさと片をつける。それだけだった。
両家は爵位を取り上げられ、親たちは追放の憂き目に合う。厳しいとの声は無かった。
尋問はおろか召喚すらなく、王とその側周りのみで性急にことは決められた。
テードナ・ワイアットには新たな爵位が与えられ、王都の職もそのままに復職するようにとの沙汰が決まった。
オンバート・ヴェルナスについては、王国の良心であるとし、王侯貴族の権威と品格、その地位に付随する価値を正しく守り、貶められることを防いだとして、報奨が決定した。
全ては庶民たちに阿った結果である。いち早く事態を鎮めなければ、暴動すら起きかねないと、国の上層部は危機感を抱いたゆえの結果だった。
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オンバート・ヴェルナスの権限によって、ワイアット夫妻は保護され、匿われていた。
全てが片付くまでは、生家を含めて彼らを害する者がいても可怪しくないとの判断からであったが、査問委員会が開かれたことで、夫妻の保護の名分が失われた。
「もう暫くはゆっくりと休んで良いのだが」
ヴェルナス判事長はそう告げて、2人を留めようとした。まだ、事態が完全に落ち着いてからで良いとして、療養を名目に保護を延長しようと考えていたのだが、これ以上は迷惑をかけられないと、丁重に断れてしまった。
2人は遠縁を頼って他国へと移り住むという。深々と頭を下げ、何度も感謝を述べた2人は去っていった。
「遣る瀬ないものだ」
ヴェルナス判事長は独りごちた。
実のところ、シャルティ夫人の犯行だった事は明白だった。
いくら財政難から使用人を減らしたといって、介護の補助を含めて使用人は複数名在籍しており、なにより、前伯爵夫妻、テードナの両親とは同居していたのだ。
セレスティアの看護を補助していた使用人を含め、何名かの使用人は自分がやったと証言してもいたが、複数の証言と現場の証拠から、シャルティの犯行は疑いようも無いものだった。
それでも、テードナは妻を庇った。
法に則るなら、シャルティは貴族子女の殺人罪であり、テードナは偽証と犯人隠避である。そして、両家の両親にその責を問うなど出来はしない。
だからこそ、法を逸脱した自分は、その首を差し出すことで王に特赦と特段の配慮を促したかったのだ。
ヴェルナスはそう考えて、結局は自己満足だったと項垂れる。
王国の良心とは何の皮肉だろうか。確かに良心ではあったが、それはもっと矮小な個人的なものでしか無かった。
天より授かったと感謝し、心の底から愛してセレスティアと名付けた愛情深い2人は、本当に障害を抱えた娘を大切にしていた。
その証言は山とあり、だからこそ、使用人すら自らを犠牲にしようとした。
あれだけ愛が深かった2人ならば、無理に子供を求められなければ、養子をとっても幸せに暮らしたのでは無いか。
両家の両親とて、孫が欲しいと思う気持ちを理解出来なくはない。だが、なぜ、シャルティの尊厳を踏み躙り、テードナの心を理解しなかったのか。
この事件で2人は被害者であり、真の加害者は両家の両親ではないのか? その想いが、ヴェルナスには付き纏い、離れることが無かった。
関係者の召喚もなく、自分すらも呼ばれなかった査問委員会にて、正義は語られたのか。民衆の後押しがあったからこそ、2人に救いの道は拓けたが、その民衆は真に正義を思っていたのか。
烏滸がましいとはわかっていながら、そんな事が去来しては詮無いことと、また項垂れる。
「もう、ずっと辛気臭い顔は止めてください判事長」
執務室に入って来たのは若き判事であるバーナードであった。
「すまないな。あれは正しかったのかと」
普段なら、結審したことの是非を今更蒸し返すような愚痴は口をつかない。思考に耽り過ぎていたことに焦ったヴェルナスだったが、何と名指していなかったことで、幾分か心持ちが軽くなる。
だが、バーナードは鋭かった、と言うべきか、この所のヴェルナスを観ていればと言うべきか。
「私は正しかったと思いますよ。たとえ、法から逸脱するところがあったとしても」
気付かれてしまったかと、臍を噛んだヴェルナスだったが、もう仕方ないと、ならば、その理由を問うこととした。
「何故かな? 」
余計なことは言わず、端的に問うヴェルナスに、快活な笑顔でさも当然というように即答するバーナード。
「シンプルに考えれば、なにも悪いことをしていなかった者が無罪になって、悪いことをした者が罰された。至極真っ当な結果ですから、判事長がそれを為したのなら、判事である私にはそれが正しい道です」
竹を割ったように一切の考慮のない真っ直ぐな物言いに、ヴェルナスは呆然としたが、ややあって力が抜けたように息を吐くと。
「あー、そうだな。なにも悪いことをしていなかった2人の幸せをただ祈ろう。君の言う通りだ。非難なら私が被れば良い。それが司法の長としての私の責務だ」
バーナードは思った。
法が正しく作用するための、最も大切な指針として、この方の在り方を学べることこそが、正しい義への道なのだと。
だからこそ。
「そうですよ、判事長、貴方は我が国の良心なのです。間違いなく、私達の希望です」
そう、屈託のない笑顔で励ますのだった。
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