第2話「忘れられた誕生日」
朝の教室はいつもより静かだった。
窓の外から差し込む光が、黒板のチョークの粉を淡く照らす。紗夜は席に座り、昨日の記憶をログに書き込む作業を続けていた。誰も覚えていない、彩音の小さな事件。落としたスマホ、忘れられた誕生日、些細なすれ違い――すべてが消えかけていた。
「紗夜、またスマホ?」
海斗が隣に座り、机に肘をつく。彼の明るい声はいつも紗夜を少しだけほっとさせる。「昨日のこと、なんで覚えてるの?」
紗夜は手を止めずに答える。「覚えてるだけ。」
海斗は不思議そうな顔をするが、深くは詮索しない。紗夜の“普通じゃないところ”は、幼馴染でさえ完全には理解できなかった。
放課後、彩音がやってきた。目にわずかな涙を浮かべ、声を震わせる。「ねえ、私の……誕生日、覚えてる?」
紗夜は淡々と頷く。「覚えてるよ。昨日、君は一人で教室に残ってた。」
彩音の表情がぱっと明るくなる。「本当に? 誰も覚えてなくて……」
「私だけ。」
紗夜は短く答え、スマホのメモを彩音に見せないまま書き込む。フォロワー0の匿名アカウント――それが紗夜の“証人”だった。
その夜、家に帰ると通知の音がしなかった。昨日と同じ、静かな異変。
「誰かの記憶が、また……」
紗夜はため息をつき、机に向かう。今日あった小さな出来事を、すべてログに書き込む。彩音の誕生日のことも、クラスで起きた些細な事件も、消えかけていた瞬間を丁寧に拾い上げる。
画面に文字を打ち込みながら、紗夜はふと思う。
「どうして、私だけ覚えてるんだろう……」
それは疑問であり、恐怖でもある。自分だけが世界の“記憶のアンカー”だと気づいたとき、紗夜の胸に冷たい孤独が流れた。
深夜、窓の外には都市のネオンがきらめく。
スマホの画面に淡く映る自分の顔を見つめ、紗夜は決めた。
「消えた記憶を、全部残す――たとえ、誰にも理解されなくても。」
そのとき、部屋の扉がかすかにノックされる。
「……誰だろう?」
ドアの向こうには、黒いコートの影。御園玲だ。
「ようやく見つけた、君の能力――興味深い。」
紗夜は背筋がひんやりとするのを感じた。覚えている者として、ただ黙って立つしかない。




