走る ⑤
最終話です。
【足の眼】に関しては思いつきです。近しいモデルや他作品で似たようなキャラがいればコメント等を活用して教えてください。
「 、 、 、」
吐いた息が、曲がり角に吸い込まれた。
「 、 、 、」
風を切る太股は、まだまだ疲れを見せない。
「 、 、 、」
梅雨の香りを帯びた陽気が、街の起床を促していた。
「 、 、 、」
事件から数日が経とうと、景色は代わり映えしない。
あと十五分走ったら帰宅しよう。家事と授業の復習、その他色々。バランスよくやっていかないとね。
「陸、おはよう」
「坂口さん、おはよう」
坂口さんは洗車していた。今日も佇まいがカッコイイ。あと二年経ったら、すぐに免許を取りに行く。それを伝えたら、「予行練習しとくか」ってエンジンをかけた。慌てて止めた。
教習所と合宿、どっちで行こうかな。沙羅と二人で決めよう。
「おはよう、おじさん」
「よう、陸」
大通りに出ると、背広の中津さんに会った。筋肉がついて前より身体が大きくなった。あの人が何も言わずに海外へ引っ越したことを知った時は落ち込んでいたけれど、最近ジムで新しい友人ができたっぽくて、ちょっとずつ元気になっている。今度は同年代らしい。
レンガ調の建物が見えてきた。昨日、未来の先輩とあそこで会ってきた。
『大変かもな。来年以降は倍率がとんでもない、って言ってたから』
それはそうだよね。妖怪が同級生になるんだから。今までの十倍、二十倍は見ておいた方がいい。天羽さんは誰に聞いたんだろう? どこかの記事に載っていたかな?
『推薦とかは? ウチのはそっちに出てたりする?』
ここら辺は確認しておかないと。推薦で行けるなら、その方がいい。まだ三年ある、って思いたいけど、のんびりしてられない。ただでさえ授業の遅れがあるんだから。成績を上げて推薦も取れれば、本命と滑り止めで十何個も受けなくて済む。試験費用、予備校とかも行かなくて済む、経済的に良し。アルバイト先も探さないと。お母さんに負担掛けてばかりじゃいられない。
『一般でも推薦でも、藍銅なら心配ないな。まあ、あと三年間頑張れ』
私が新入生の時は、天羽さんは四年生かぁ。多分あまり会えないかも、就活で忙しいだろうし。天怪隊にそのまま就職かな? だったら遊びに誘えたりはできそう。
今後も何かあった時にってことで、二人とは連絡先を交換した。他の人へ無闇に教えない約束をして。お母さんや沙羅、周りが私みたいな被害に遭ったら、いつでも相談できる。
今日も誰かのために、奔走しているんだろうな、あの人は。
スイーツバイキング後の経緯を話したら、沙羅は前のめりに食いついてきた。気持ちはわかるけど。非現実的で夢みたいな出来事だったし。
『天羽さんって人とも会ってみたいな』
最近彼氏と別れた親友は、次を探していた。今回は一ヶ月ぐらいだったかな、最短記録を更新したと思う。今まで通り引きずることもない。通算だともうそろそろ二十人超える、一年以上続いた人っていたかな。こういう積極性や淡白な部分は見習いたいけど、私には難しそう。
『んー、でもどうしようかな。陸の人を横取りするのもね』
なんて言っていたけど、沙羅は勘違いしている。私は天羽さんに惹かれてない。あの日のことは格好良かったし、気の良い恩人なのはその通りだけど。一緒に遊ぶこともできそうな距離感だけれど。
天羽さん、好きな人がいるみたい。お姉さんから聞いた、ショーリンさんって鬼の女性で天羽さんの上司らしい。その人を想って追いかけているらしい。どんな妖怪なんだろ。
まあそういうことで、意識されていないし残念でもない。ただの相談相手と請負人。友達のような関係にはなったけれど、そういうことに発展はしない気がする。恋愛とか、当分はいいかな。天羽さん以上の人を見つけるのって結構大変そうだし。今は勉強勉強。
「 、 、 、」
シャッターの下りた店々は、あと数時間もすれば営業が始まる。今日は何を買おうかな。メンチカツとコロッケを二つずつ、魚も買っていこう。
最近知ったんだけど、私にはファンがいる。
「陸ちゃーん」
「おはよう!」
腰の角度が小さくなった気がする山本のおばあちゃんは、掃き掃除をしていた。
事件の翌日、学校の帰り道で立ち話をしていたら、家に招かれた。
『私ね、陸ちゃんのファンなの』
甘すぎない黒飴を出されて、そんなことを言われた。
ファンと言っても、隣人として応援している、といった認識みたい。
『あの人が亡くなって、毎日がゆっくりなの』
机の上に置かれた遺影を、おばあちゃんはちらっと見た。写真の中にいる髭の立派なおじいちゃんは、生前に何回か見たことがある。笑顔なんて想像できない寡黙な人で、話したことはない。大往生だったって聞いた。
『掃除機を掛けていたら、お家が広く感じてね。ご飯も洗濯ものもすぐに終わっちゃう。前より時間が増えたわ。でもね、人と話していないと、呆けるから。掃き掃除しながら色んな人に挨拶なんてしちゃってね』
始めの頃より挨拶を返してくれる人が増えたという。子供は大きく、大人は小さく、聞こえる声量で。噛みしめるように一、二回頷いたおばあちゃんは、真っすぐに私の眼を見た。
『陸ちゃんの走っているところを見るとね、元気をもらえるの。お天道様と同じくらい、私を照らしてくれるの』
ムズムズした。こそばゆいし、気恥ずかしかった。本当は私の努力じゃないってわかっているけれど、おばあちゃんに言っても仕方がない。
『走ることをやめないで。なんて言うつもりじゃないの。ただ、陸ちゃんが元気にしているだけで、私も、他の人も嬉しいのよ』
呪いなんて無くなって欲しかった。おばあちゃんには良いように映っていた。素直に喜べないけど、嬉しい気持ちもある。
もしもあの日、走っていなかったら。呪いを掛けられなかった。三日坊主で終わって、こうして話すこともなかった。覚悟や意志のない、思いつきで始めたことに、突発的な異変が混ざり込んだ結果、それが巡って。
『辞めないよ、当分はね』
もしかしたら、呪いに掛からなくたって、続けていたのかもしれない。今もやっているわけだし。いや、これは呪いの後遺症なのかも。
どっちでもいいか。
あの時してよかったって思えるように、頑張るだけだ。
「暑くなってきたから、気を付けるんだよ」
「おばあちゃんもね!」
明日も明後日も、おばあちゃんは自宅の前を掃いて、道行く人に声を掛ける。
それだけのことで、どれだけの人が、活力をもらっているんだろう。
「 、 、 、」
私は誰かのためにやっているわけじゃない。そんな立派な心掛けなんて無い。
健康やストレス発散、自己肯定感や達成感とか、自分のためだ。
辞めようと思えば、いつでも辞められる。
一カ月後か一年後、十年後にその時が来るのかもしれない。
それでも、もう少しだけ、続けてみよう。
やりたいからやっているだけ、そう思いながら。
私は、今日も。
走る。
お付き合いいただきありがとうございました。一作目は全体で三万字近くになってしまいましたが、基本的には、作品ごとに一万字~二万字以内で収めていこうと思います。二作目、三作目と続けていけるように頑張ります。