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動詞シリーズ  作者: 蛇頭蛇尾
走る
4/8

走る ④

何で。何で。何で。

 止まらない。抑えられない。

 自分の意思じゃない。こんな時間帯に、しかも制服で走るつもりなんてない。

 アパートから走り出てくるまでに、家の鍵は掛けてこられた。それが精一杯だった。

 立ち止まろうとしても、脚は反応してくれない。蛍光灯に照らされた影が見えない縄で引っ張られる。勝手に決められた行き先へ、地を蹴っていく。


 呪いは、解かれた、はずなのに。


 解呪は失敗、お姉さんはテキトーにやった? いや、成功したはず、この眼で確認した。今朝だって発現しなかった。これまで夜に起こったことはない。突然、唐突に、発生した。法則が崩れた。今までと比較にならない強い力で、動かされる。呪いの再発。

 スマホは持ってこられなかった。

 天羽さんに連絡しないといけないのに。

 原因を知りたい、相談したい、文句を言いたい。頭の中が整理できない。考えが纏まらない。

「あれ、陸さん?」

「卜部さん!?」

 すれ違った爽やかお兄さんは、お店で別れた時とは別の姿だった。いつの間にか隣町まで来ていたんだ。

「どうして、あ、」

「あの、どこへ!」

 あああ、止まらない。少し弱まった気がしたけど、抑えられない。

 様子がおかしいと思ってくれたのか、卜部さんはついてきてくれた。

「藍銅さんたちと別れてから小一時間ほど、中津さんと走りましたが、物足りなくて。一時間前からやっていたんです」

 安定した呼気で並走しながら、質問に答えてくれる。やっぱりというか、体力お化けだ。スポーツマンとしての鍛え方、地力は私と段違いだ。

 こんな形でランニングデートをしたく無かった。もっと、こう、透き通った空気の中でしたかった。なんて考える余裕が、あるのかも、あるわけない。そんな場合じゃない。

「もう少しで終わろうと思っていました。陸さんはこの時間帯まで? 夜間は控えた方が、」

「やりたくてやってません!!」

 そこで、思いついた。声を張り上げたことは後で謝ろう。とりあえず、今は。

「スマホ! 少しだけ貸してもらえますか!」

 天羽さんの電話番号は覚えている。知らない番号からかかっても、手に取ってくれるかもしれない。一度では無理でも、何回か掛ければ。

「すみません、家にあるんです」

 当てが外れた。どうしよう。でも、少しずつ波が弱まってきている。疲労が溜まってきたのかも……そうだ、電話を頼めばいいんだ。

「スマホを、取りに行ってくれませんか。今から言う番号に掛けてください、私の名前を出せば相手も分かってくれると思います。お願いします!!」

 一本道を真っすぐに進んでいると、工事現場が見えてきた。解体工事らしい。周囲に人影はない、気配もしない。これなら抑えつけながら会話ができる。

「ここに、何か用があるんですか?」

 ここまで来ると卜部さんも息が上がっていた。お互いに呼吸を整えながら、向き合った。

「いえ、何も、ないです。ちょっと、弱まった、かな?」

 今だ、この機会を活用しないと。

「○××○ー□△▽□ー○×▽□。○××○ー□△▽□ー○×▽□、です」

「えっと、?」

「さっき言ってた、電話番号です」

 ごめんなさい、卜部さん。わけがわからないと思うけど、時間がない。何とかして天羽さんに繋げて。二人には全身全霊で感謝します、それで謝ります。

「すみません、憶えきれないです」

 大丈夫、落ち着いて。もう一度、ゆっくり、伝えればいい。ゲシュタルト崩壊するぐらい数字を垂れ流せば、憶えられなかったらダメじゃん。何なら並走してもらいながらでも、

「必要ありませんから」

 チャンスを棒に振るわけには…………え、

「解除されたら困ります」

 片手で顔を覆った卜部さんは俯いて、かと思えば仰ぎ見るようにした。

「ハハハ」

 指の間から覗かせた笑みに、息を呑んだ。予兆の時とは違う別の感情が、脚を縛ってきた。

「藍銅陸。朋涛女子高等学校一年。部活動無所属、就業経験無し。成績は下位。母娘二人暮らし。深夜勤務の母親に代わって、家事の大半を担当している」

 頭上の明かりで浮かび上がった無機質な真顔に、頬が強張った。いつの間にか、肩を掴まれていた。全身に張り付いていた汗が、上昇していた体温が、急速に引いていった。

 通っている高校しか、教えたことない。

「その顔も、愛でたくなるなあ」

 砕けた口調が、背筋をなぞってくる。粘り気を内包した眼差しが、迫ってきた。

 動けない。声を出せない。喉が干上がって、舌が回らなかった。


 誰か


 衝撃が、視界をよぎった。

 途端に鈍くなった脳の回転は、情報を目で追うことにした。

 数メートル先で、端正な顔立ちが横向けに倒れていた。水色の何かが、彼に直撃した。野球ボールぐらいのそれは、霧散した。

 物の発生源に勢いよく振り返る。薄暗い夜道を照らす白光の下に、その人は居た。

「天羽さん!!」

「遅れて悪かった。怪我は?」

 一瞬だけ振り向いた三白眼に、軽陽な雰囲気は見られない。仕事人の背中は気遣いの吐息さえ硬かった。それでも、安心感に全身が脱力した。

「どうして、」

「連絡をもらった。あの人の術式は異変を感知できるから」

 私の居場所が補足できる妖術を、お姉さんは施していた。手を重ねたあの瞬間に、無断で。

 結果的に天羽さんが駆けつけたから、文句はない。それに私だってわかっている。

 ここで決着をつけないといけないことは。

 根本的な原因を取り除かないと、被害者が生まれる。

「警察は、」

「要請してある」

 通報はお姉さんがやってくれている。本来は様々な手続きを経たうえで行動に移さないといけない。しかしそれを待っていたら間に合わないとして、天羽さんはいち早く来てくれた。

「あいつを捕えて、終わらせる」

 私を庇うようにして前に出た天羽さんは、卜部さんを睨んだ。

「化けても呪い臭いな、お前」

「……妖力。そうか。天怪隊の、」

 初対面の天羽さんを瞬時に見抜いた卜部さんは、渇いた笑みを漏らした。その左目は、異様に吊り上がっていた。左右非対称の不気味な顔の造形に、鳥肌が腕をつたった。

 卜部さん……そう呼んでいた人は、人ではなかった。

「卜部佳寿也。お前は妖狐だな」

 天羽さんの問いかけに、爽やかだったお兄さんは、溜息をついた。

「隊員気取りか、面倒だな」

 光沢を纏っていた黒髪は染料もなく雪色に変わり、頭頂部には耳が、臀部には尻尾がそれぞれ生えてきた。右目もまた左に倣ってつり上がり、蛍光に浮かぶ両眼は妖しく映えていた。好青年の風貌は、人外の徒へ転じた。彼本来の姿に戻った、と言った方がいいのかもしれない。

「妖怪、」

 画面を通して見るより、気配の差異が明快だ。似通ったところはあるものの、人間とは別の存在だと視覚が訴える。

「あの人……あの妖怪が、犯人。犯狐?」

「犯人ではある。呪いはあいつじゃないけどな。それと呼び方は何でもいい」

 私は思い違いをしていた。犯人はイコールで呪いの原因だと思い込んでいた。まさか、あの狐の妖怪以外にも、黒幕みたいなのが居るの? でも、この場には三人しかいない。

「他に誰も、」

「看破されているな、白狐よ」

 加工音声を通した妙齢女性のような声が、聞こえてきた。私達の他に、人はいない。四人目は妖狐の方角から響いてきた。

 それで、気づいた。

「目が、」

 交通事故の跡だと、信じて疑わなかった。

 一秒を掛けて、傷口は開かれた。瞳孔、虹彩、角膜。眉や睫毛を除かれた目は、私達のものと同等の機能を備えていた。そこにあるのが当然のように、左の足首に埋め込まれていた。

「足の眼。足部に寄生する妖怪だ」

 人から人へ憑りつき渡る妖怪で肉体がない。妖力が無くなれば消滅してしまうため、器を持つ存在に入り込む。妖狐は身体を間借りさせて共生しているという。

「逃げようか、足眼さん」

「人間程度、お前でも処理できるだろう」

 宿主と寄生者は一つの身体で会話していた。どうやって発音しているのか、瞬きや目を細めるたびに言葉が伝わってくる。

「どうやって、いつから」

「こういった呪いは、対象に直接触れるか至近距離まで近づけば掛けられる。早朝に出会ったって言ってたろ? その時だ」

 四月の早朝に声を掛けられたあの時、緊張する私に投げかけてきた温暖なセリフ。それらに意識を取られている隙に、埋め込まれた。週に数回の遭遇は、呪いを強化するため。談笑の裏で育てていた。

「何で、私に」

「偶然見かけたんだ、君を」

 柔和な表情で話に割り込んできたその人は、歌うように両手を広げた。

「走る姿が輝いて見えた。路傍の石どもには無い、惹きつけられるものが」

 称賛を拍手に乗せる妖狐に、掌が無意識に閉まって、奥歯を噛んだ。

 嬉しくない。喜べるはずがない。

 道に咲いていた野花を、綺麗だからと写真に撮った。この人は、その程度にしか捉えていない。思いがけない出会いと称して、ターゲットにされた。

「私は誰でも良かったのだがな、呪いが強くなれば」

「だったら、」

「君も続けたかったでしょ? だから足眼さんに掛けてもらったのに」

 応援してあげたのに、なんて言いそうな口ぶりだった。

 目をつけられたのは、運が悪かった。

 どう考えても、この人たちが悪い。どう分析しても、この妖怪たちが原因だ。

 自分を責める必要なんて、全くもってない。そう片付けてしまえば、楽だけど。

 それでも、考えてしまう。始める日をズラしていれば。朝じゃなくて夜にやっていれば。心機一転、思いつきを行動に移さなければ。軽い気持ちで始めなければ、こんなことには。

「藍銅、」

 何もしなければ、周りに迷惑かけなかったのに。 

「あいつら殴ろう」

 耳に滑り込んできた声音は、軽い調子だった。目線を上げたら、怒っている人の顔が、そこにはあった。声音は無理矢理明るくしていることに気づいた。一切笑っていなかった。

「身勝手な妖怪に振り回されて、不運だったな。大変だった」

 取り繕っていない、言葉尻には、配慮の念で包まれていた。

「何も悪くない。悪いのはあいつらだろ」

 きっぱりと、断言してくれた。それだけでも嬉しかったのに、続けてくれた。

「恥ずかしいこと言うとな。数回の早起きで俺は結構辛かった。呪いの所為もあるけど、あれを続けてるのは本当にすげえ。尊敬してる」

 下心や他意などなく、淡々と褒めてくれた。視線を合わせてくれないところを見ると、照れ臭く感じているのかもしれない。

「捕まえてくる」

 駆け出した天羽さんを、ただ見送った。無意識に口端が上向いていたのは、彼の言葉によるものか、背中の頼もしさに対してか。多分両方だろう。

 

  *


 殴って蹴っての応酬は学校で見たことはあるけど、子どもの喧嘩でしかなかった。

 人と妖怪が闘っている姿は、スポーツ、興行を目的とした格闘技とは、また違う。観戦したことはないけれど。

 蒸気のような青白く光る妖力をお互いが全身に纏っているから、明かりから外れても十分に視認できる。一瞬毎に二人は攻防を繰り返す展開の早さには、目が追い付かないけれど。

 妖怪は真正面から対抗した。人間を相手にして逃げる選択肢はないように。

「グ、」

 浮かべていた笑顔は、余裕は、十秒もすれば消えていた。

 素人目で見ても、天羽さんが優勢だってわかる。拳を伸ばし足で蹴り上げたりと、妖狐が一撃を当てる間に、天羽さんは数回攻撃を当てている気がする。暗いところだと妖怪の方が有利になりそうなのに。

「ガ、」

 腹部に拳のめり込んだ妖狐は、短く呻いた。倒れずに反撃しようと、冷静に対処した青年にカウンターを喰らった。耐え切れなさそうに距離を取って、集めて丸めた妖力を投げつけた。

 難なく避けた天羽さんは距離を詰めて、更に追撃を加えた。妖狐の攻撃もいくらか受けていたけど、動じないで攻め立てた。

 天羽さんつっよ。こんなに戦える人だったの。本当に天怪隊なんだ。大学のことを話していた時と、雰囲気が別人レベルだよ。

 戦うことなんて稀だなんて言っていたけど、本当なのかな。天羽さんにとって、話し合いがイコールで先頭なのかもしれない。

「白狐、きさま、人間に、」

 攻撃を受ける度に呻き声や低温といった雑音が声質に混ざる足の眼に、痛覚は共有されているらしい。

 肉体から離れようとしない。一度腰を下ろした場所からは、簡単に移動できない。妖怪同士の契約みたいなもので制限されている。と、天羽さんがいつか言っていた気がする。

 轟音が鳴り響いた。

「藍銅の呪いを解け」

 顔に重い一撃をもらった妖狐は、数メートル宙を舞って、仰向けに倒れた。上体を起こした苦悶の表情で、鼻血を垂らしながら大学生を睨んだ。

 しかし、私に焦点を合わせると、途端に目元を柔らかくした。生々しい傷跡を見せつけるように、口元を歪めた。

 狂気の矛先を向けられて無意識に後ずさった。気づくのが遅れた。

 左膝が、こっちに向いていた。

「呪いは、今、ここで」

 妖狐の足首が、微細な光を放った。

「藍銅!?」

 二人に背を向けた私は、走り出した。

「な、なん、」

 脚が。足が。勝手に。やばい。どうやって。

「車に飛び込め」

 後ろから響いた音声に、血の気が引いた。大通りまでの一本道は、そう遠くない。

 無理矢理顔だけを振り向かせれば、妖狐がお腹を抑えながら反対方向へ走り出していた。

「お前、」

「宙を舞う娘は、美しかろうな」

 はしゃぐような、吐き捨てるような、女性の笑い声が木霊した。

 前の方へ顔を戻して、もう一度後ろを向けば、天羽さんが追いかけて来ていた。

 一秒と待たずに決断し、私の方へ駆け出した。二者択一を迫られて、こっちを選んでくれた。

 私を追いかければ、その隙に犯人が逃げる。犯人を捕まえたようとすれば、私は道路に飛び出している。それをわからないはずがない、理解した上で行動していた。

 彼の善性は、迷わない。天怪隊の隊員として、一人の人間として、手放しに尊敬できる。

 本性が気高い、心優しい彼の先で。

 悪辣な笑みを嘲笑に重ねる者を、視力が捉えた。追い詰められていた状況を脱したことを確信し、余裕を浮かべていた。

 瞬間的に沸き起こった怒気が、歯ぎしりに乗った。反射的に、叫んでいた。

「あいつを捕まえて!!」

「何言ってんだ! お前が、」

「私みたいな人、もう出さないで!!」

 足音が途絶えた。天羽さんは追いかけることを止めたらしい。

 それでいい、そうしてほしい。これ以上、犠牲になる人を生まないで。天羽さんなら犯人を捕まえられる。この機会を逃したら駄目、有効活用して。

「はっ、はぁっ、」

 顎が震えて、歯鳴りがした。

 本当は怖い。どれだけ強がってみても、目尻に溜まった水滴に本音が落ちる。

 無理やり転んでみようにも、意思が腰辺りで遮断される。

 車やバイクのエンジン音が、段々と大きくなってきた。

 飛び込みたくない。打ちどころが悪かったら ̄ ̄

「抵抗しろ! 一秒でいい、止まれ!!」

「そんなこと言われても!」

 情けなかった。覚悟したつもりの精神は、あっけなく助けを求めていた。

 百メートルを切った。止まらない。今まで培ってきた抵抗力が、通じていない。

 一秒だけ止まったって、何の意味もない。

 私にだって考えはある。今閃いたばかりの作戦が。飛び出す瞬間、両脚を畳んでドロップキックするようにぶつかりに行けば、命は助かる。足が使い物にならなくなっても一か八か。失敗の可能性が高くても、どうにかして。

 骨折以上の大怪我は避けられない。それでも、走らなくて良くなる。

 そうだよ、何で私が、こんな目に。

 気まぐれに始めて、数日もしない内に辞めるはずだったのが、呪いを掛けられて。

 こんなことに巻き込まれて。

「藍銅!! お前の足は誰のだ!!」

 本当に、意味がわからない。

 こんなのおかしい、納得できない。

 私が、私の足が、犠牲にならないといけないの!

「~~~~~~!!!」

 右足で思いっきり地面を蹴って、飛び上がる。叩きつけるように足裏を着地させた。

 痺れが足全体を這いずり回った。

 一秒、静止した。

「藍銅、ごめん!!」

「っっあ、」

 後頭部を、殴られた。何かがぶつかった。次に、背後から突然蹴られたように、ふくらはぎに衝撃が走った。倒れ込みそうになった地上で、小さな炸裂音がした。

 浮遊感が全身を包んだ。


「藍銅、おい、」

 瞼を開けると、天羽さんの顔があった。彼の頭の奥では、夜空が広がっている。

「あ、り、がとう、ございます」

 大通りまであと数十メートルのところで、抱っこされていた。童話のお姫様みたいに。

 両の膝裏と肩に回された腕は、安定感が凄い。

「悪かった、こんな止め方で。頭の方は痛むか?」

 間に合わないと判断した天羽さんは、身体を覆っていたエネルギーの一部を、手から発射したのだという。

 後頭部に当てて私の体勢を崩す。そして足を転ばせる。倒れそうになった私の下にいくつかのエネルギー弾を炸裂させて、数メートル宙に浮かんだ私を、キャッチしたんだ。道路に飛び出さえしなければ、車に轢かれる心配はないから。

「少し、ぼうっとし、」

 あの一瞬で考えて実行した決断力は、結果的に上手くいった。

「藍銅が抵抗したお陰で、狙いやすかった」

 たった一秒の硬直を、この人は活かしてくれた。積み上げてきたものが無駄ではなかったと褒められたような気がした。ほんの少しだけでも、貢献できたんだ。

「犯人、は」

「あっちで倒れてる」

 脚が動き出す素振りは、微塵もない。ただ、プラプラと揺らされていた。

 それにしても、どうやって。私とは逆の方角へ走り出していたのに。

 私を気絶させた後に追いかけて、追いついた。 ってことなのかな。

「藍銅にしたように、妖力を当てた。より重たいやつをな」

 私と同じようにしたっていうと、両手を広げた状態でってこと? イメージしたら、ちょっと噴き出しそう。

「ごめん、藍銅。こうなるのはわかってた」

 妖術の消失は術者本人が知覚できるものらしく、それを利用した。専門家による解呪を把握した犯人は、また接触してくる。犯人をおびき寄せるために、警戒心を持たないよう私には秘密にしていた。

 私は囮にされたんだ。今更言っても仕方ないけど。終わったわけだし。

「虎助君―!」

 背負われて一本道に戻っていると、反対の道からお姉さんが現れた。天羽さんより遅れて到着したらしい。膝に手をついて息を荒くした彼女は、人間に似た人物を引きずっていた。縄で縛られた狐目は、憎々しげにこっちを見上げていた。思いがけない妖力の飛来に直撃した妖狐は、満身創痍のところをお姉さんに捕まえられた。

「え、陸ちゃんどうしたの。だ、大丈夫?」

「ええ、何とか。藍銅のことお願いできますか」

「はーよかったぁ。大変だったね。怖かったでしょ」

 お姉さんに肩を貸される形になると、良い匂いが漂ってきた。桃みたいな香水をつけているのかな。

 両手両足を縛られた状態で身体をよじらせる妖怪に、天羽さんは近づいた。

「次は芋虫に化けるか?」

「見下ろすなよ、人間が」

 忌々しい、と呟いた妖狐と足の眼は、何もできはしない。お姉さんが持ってきた縄は、妖力を封じる妖術が編み込まれているものらしく、彼らは力が出せない状態という。

 あれほど瑞々しく、清爽なオーラを纏っていた面影は、消え去っていた。

 こうなってくると、少し可哀想……でもない。全然そんなことない。この二か月間のことを回想すれば、同情なんてない、憐憫さえ湧かない。卜部って人は、いなかったんだ。

「藍銅、」

 三白眼の目配せに数秒停止して、思い出したように頷いた。

 意識はハッキリしている。蛍のように淡い光をお姉さんが頭に掲げてくれて、痛みは引いていった。妖術って凄すぎない? これあったら病院とかどうなっちゃうんだろ。

 狐とその足首に備えられた三つの瞳が、私を見上げて口々に暴と罵を垂らした。

 あんまり耳に入ってこない。十数分前の恐怖や怯えは、全部飛んでいった。

 そういえば、無抵抗な相手にやって大丈夫なの? 憲法とか法律とか刑法とか、そこらへんに触れるんじゃ。妖界の法やルールだって、重要視されているはずだし。

「虎助くん、この前の件だけど」

「あ~、あれですか。別に気にしないですよ、俺もミスりましたし、」

 尋ねようとした途端に背中を向けてきた二人に、軽く笑みが零れた。

 まあ、いっか。

「よぉし」

 腕を上げた。開いていた掌を、ぐっと丸めて。

 

 天羽さんほど良い音は鳴らなかった。


 頬を撫でてくる夜風が、随分と心地良い。

 

 サイレンの音色が、遠くの方から響いてきた。








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