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動詞シリーズ  作者: 蛇頭蛇尾
走る
1/8

走る ①

妖怪の存在が明らかにされた現代社会で、藍銅らんどうりくは【毎朝走らなければならない】という妖術を掛けられた。


妖界の治安維持組織である天怪隊、派遣されてきた隊員である天羽と共に、妖術からの脱却を目指す。


 目が覚めた。

 五時。東方の光線が雲一つない空に差し込んでいた。

 気怠げに起き上がって、洗面台へ。歯磨きをしながら、眠気眼をこする。顔を洗ってようやく脳が覚醒してきた。鏡に映る茶髪少女は、昨日と変わらない顔立ちをしていた。

 コップに注いだ水で喉と胃を目覚めさせる。ランニングウェアを着て、玄関に座った。

「スウー、フウー、」

 深呼吸を一つ。時刻は、五時十分。あと数十分もすれば、いつ始まってもおかしくない。

 ニュースに目を通す。

 雪化粧をした美しい女性の顔が、人外の魅力を写真の外まで漏らしていた。こういう人の存在感って、綺麗、より怖くなるような領域に入っている気がする。この人にとっては誉め言葉になるんだろうけれど。

 五時十七分。

 山伏みたいな恰好をした背中にカラスの羽根を生やした男性が、取材陣に囲われている動画が回ってきた。マイクを向けられようと気後れせず質問の一つ一つに答えていた。どうやらこれから公開される歴史映画の役者らしい。隣では去年ブレイクした俳優の人が、自分にも注目しろーっと笑いを取っていた。

 五時二十一分。

 留学制度の対象校、と。あ、斎筏高校、選ばれたんだ。まあ、あそこは選ばれるか。でもいいなあ、ついでに私の高校も、何かの手違いで選抜されないかな。近隣のよしみで、とかでさ。

 五時二十八分。

 スマホを仕舞って立ち上がり、外に出た。扉の前で屈伸を始める。

「……」

 まだ来ない。

 腕を回す。手首、足首、首の柔軟を順番に。

 来た。予兆だ。

 微弱な電波が脚に流れ始めたところで、階段を駆け下りていった。

「 、 、 、」

 脇を通過する緑風が、声援を送ってくる。

「 、 、 、」

 一定間隔で繰り返される呼吸が、初夏の兆しを噛みしめていた。

「 、 、 、」

 山間の隙間を縫った東方からの斜線が、視界に割り込んできた。

「 、 、 、」

 私、藍銅陸は走っていた。

「陸ちゃん、おはよう」

「おばあちゃん、おはよう!」

 腰の曲がった姿勢で毎日自宅の前を掃いている、山本のおばあちゃん。去年おじいちゃんが亡くなっちゃった時は落ち込んでいたけど、元気になったみたい。

「おはよう、陸」

「おっはよう、坂口さん」

 洗車している長身のおばさん、姉御肌の坂口さんだ。たまに商店街で会って、一緒に買い物をするときもある。昨日はバイクの整備をしていた。旦那さんのじゃなくて、自分で買ったものだって。友達とよくツーリングとかしているらしい。車とかあんまり興味ないけど、手入れは大変そう。坂口さんはウキウキしながらやっているけれど。

 免許、どうしようかな、沙羅は取りに行くって言っていたけど、あった方がいいのかな。大学生になって遠出する時とか、沙羅に任せっきりなのはなあ。

 住宅街を抜けて、大通りに出る。背広姿の人たちが視界に入った。

 見慣れた背中があった。あくびを繰り返すその人は、私の住むアパートの向かい側に住んでいる。

「おはよう、おじさん。また残業?」

「おおう、陸か。おはようさん。繁忙期だからな」

「毎日言ってない? それ」

 前までこんな風に話してはくれなかった中津さんは、交通事故に遭いそうなところを助けてから、結構話すようになった。それまでにも何回か挨拶をしたことはあったけど、小声だったり、機嫌が悪い時は無視された。まあ、ウザがられていたと思う。話してみると案外気さくで、自虐的に茶化すことが多い。また一段と老け込んだ様子のおじさんは、今日も仕事が大変らしい。いつも忙しいって言うけど、大丈夫なのかな。まだ夏にもなっていないのに。

 道なりに進み坂に差し掛かったところで、一つの影が下りてきた。

「陸さん。おはようございます」

「卜部さん! おはようございます!」

 ジョギングシューズを鳴らした爽やかな顔が近づいてきた。走り始めた頃に知り合った卜部さんは、都心の方にある高校へ通っている三年生だ。本人曰く丁寧語の方が楽みたいで、私もつられて丁寧語で話している。バスケのクラブチームに集中したくて部活には入っていない。早朝の運動は欠かさなくて、ランニング一つとっても、テキトーな気持ちで始めた私よりずっと長くやっている。絵に描いたようなスポーツマンで、どんな原色のウェアも着こなせそうだ。腰の低い落ち着いた口調は、大学生だって言われても納得できる。週に一回ぐらいしか遭遇できない。初めて声を掛けられた時はびっくりしたけど、少しずつ話せるようになってきた。もうそろそろ友達口調に変わりたいな。

「今日はどのくらい走る予定ですか」

「うんん、わかんないです。疲れるまで頑張ります!」

「フフッ、あまり追い込まないようにしてください」

 あ~笑顔はヤバイ。太陽が二つになった。

 左の足首辺りには横一文字の傷がある。三年前に信号を見ていなかった子供を助けた際についたと語ってくれて、結構気にしているらしい。名誉の勲章だと思うけれどな。その話をしていた時は少し陰のある雰囲気が出ていて、より魅力的だった。ただ眩しいだけじゃない、不思議なオーラがあるんだよね。

「げへえ、ただいまー」

 足の疲労が限界にきたところで、ようやく終わらせられた。 

 布地と肌を汗が接着させてくる。もうそろそろ、スパッツと離れる頃かな。

「お帰り。食べたら台所に置いてくれればいいから」

「ありがと」

 言って、お母さんは、布団に潜っていった。

「いただきます」

 朝食を手早く口へ放り込み、洗い物を終わらせ、ささっと身支度を整えて、私は家を出た。

 錆がかった歯車のような足を必死に動かして、乗車時刻ギリギリに乗り込めた。

 

 *


「起きろ~、体育だぞ~」

「ね、むい」

 頭を揺すられて見上げると、友人の顔が映った。

 おっとり目な木根原沙羅(きねはらさら)は、唯一同じ高校に入った中学時代からの友達で、今は私を起こす係になっている。前までストレートだった髪を巻いて、くびれのあるボブになっている。今日もリップの乗りが良い。

 三限目が終わっていた。学校に着いてからの記憶が全然無い。始業のチャイムが鳴ったところまでは覚えている。

「今日はどうだった?」

「一時間半」

「……伸びてるね」

 私の境遇に理解を示してくれる友人は、大股を開くようにして座り、背もたれに頬杖をついた。日に日に可愛さが増しているのは、一週間前に付き合い始めた人の影響かな。身長は私の方が高いけど、沙羅の方が随分と大人びている気がする。やっぱり化粧の違いなのかなあ。

「返事は? 来た?」

「昨日来た」

「え、どうだった」

「明日伺います~みたいなこと書いてあった」

「よかったじゃん。原因、わかるといいね」

「うん」

 急いで立ち上がって、更衣室へ向かった。早くしないとまた先生に嫌味を投げられる。私だけだったら別にいいけど、沙羅まで巻き込むのはよろしくない。


 *


「行ってきます」

 朝六時半。あと一時間もしたら起きてくるお母さんに小さく告げて、家を出た。

 あと二時間もしたら発汗量が数倍に増えそうな今日は、どれぐらい走ればいいんだろう。

 一時間半以内に終わらせられればいいんだけれど。

 徐々にスピードを上げて、ダッシュを何回か繰り返す。止まると昨日のことが思い出されるから、なるべく考えないように。

 敬うべき先生から頂いた、苦言の皮を被った言葉の数々。小言に小言、小々言の嵐に、三十分は晒された。

 寝てばっかりの生徒に注意するのは当たり前だけどさ。仕事のストレスを発散しているように思えてきた、最近なんて特に。まあ、その一つが私だと思うけれどさ。

 寝たくて寝ているわけじゃない。疲労が呼んだ睡魔には勝てないんです。頑張って抵抗しても、授業内容は左から右に流れていくだけ。午前を犠牲にして午後は起きているんだから、それで許してほしい。私なりの処世術、ならぬ授業術だから。

 どうにかしないといけない。成績なんて見ていられないぐらい落ちている。数理はまだしも国英であんな点数を取ったこと無かったのに。

 走りたくて走っているわけじゃない。こんなこと、本人が一番辞めたいと思っている。

 どうにかできるならどうにかしたい。解決方法を知っているなら教えて欲しい。

「おはよう、おはようー、おはよう~」

 入り組んだ住宅街のランニングコースをなぞって、その都度近所の人たちと二言三言交わしていたら、一時間経った。あと三十分ぐらいしたら、家に帰れるかもしれない。

「おはようございます」

「あ、おはようございます!」

 車が二台ぐらい通れそうな道に出ると、背後から声を掛けられた。

 黒と灰色の無地で固めたスポーツウェアを着用した、ツーブロックに三白眼の青年だ。ここ数日で見かけるようになった人だ。多分、同い年か一個上。多分違う高校。この近くだと、秋澤高校かな? 今まですれ違う時に挨拶した程度だったけど、今日は同じコースなんだ。偶然かな、タイミングよく後ろに来たような。

 並走してきた……え、隣で走るの? 

「すみません、今日の放課後って時間ありますか?」

「え、」

 一瞬だけ喉が固まって、変な声が出た。お互いに立ち止まろうとしない。私は止まれないんだけれど。数秒して、青年は続けてきた。

紗伊呂(さいろ)喫茶店は知っていますか? 笠芽(かさめ)駅近くの」

「あ、え、ええ。知ってます。巌戸麺(いわとめん)の二つ隣ですよね」

 入ったことはないが、外装は朧気に浮かんでくる。コーヒーと堅めのプリンの写真が引っ提げられた立て看板があったはず。喫茶店の隣の隣にある巌戸麺っていうラーメン屋さんなら、何回か食べに行ったから覚えているんだけど。

「そうそう、そこです。放課後、午後四時にどうですか?」

「習い事があって、」

 体よく断ろう。嘘も方便だ。まともに喋ったのも初めてなのに、いきなり誘われても。

「それなら仕方ないです。時間のある時って何曜日ですか? あなたの脚のことで聞きたいことが、」

「部活もあって、時間は無……何て?」

「あなたの、脚について」

 こっちに顔を向けない青年を、二度見した。

 何故、そのことを知っているのか。

「驚かせてすみません、天怪(てんか)隊です」

「あな、たが」

 まさか、この人が。今日に来るとわかっていたけれど、こんな形で会うなんて。

「詳細はお店で話しましょう」

「わかり、ました、今日の四時、紗伊呂喫茶で」

「はい、それじゃあ」

 突き当たりに差し掛かったところで軽く会釈したその人は、右方向を選択した。

 反対側に進んだ私は、顔だけを振り返って、距離の広がっていく彼の背を見た。


 アスファルトから立ち昇る陽炎とは違う、何かが揺らめいているように見えた。


 

全五話から成る一作品目です。よろしくお願いします。

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