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悪魔のような天使の令嬢

作者: 八木山 蒼

 キュイソー王国の侯爵家、ノーティス家には一人娘、セイラ・ノーティスは天使のように純朴で澄み切った心の持ち主だった。


 自然を愛し、人を愛し、家族を愛し、隣人を愛す。毎朝起きると世界中の人々が平和に暮らせますようにと祈り、毎晩寝る前に今日不幸だった人が明日は幸せになれるようにと祈る。他人の幸福を自分のことのように喜び、他人の不幸を自分のことのように悲しむ……


 この世の全ての光を集めたような、天使のような心の令嬢だった。


 だがそんな彼女には大きな欠点があったのだ。


────────────────────────────────


 ある日の侯爵家の屋敷。


 食糧倉庫で、新入りのメイドが苦労していた。


「うーん、う~んっ……」


 小麦粉の入った袋の口が堅く、開かないのだ。料理長から早く持って来いとせっつかれており、焦りばかりが募っていく。


 とそこへ。


「あの、よろしければこちらをお使いください」


 と、ハサミが手渡された。


「あっ、ありがとうございま……」


 喜んで受け取ろうとした新人メイド。彼女が見たものは……


 薄暗い食糧倉庫の中に浮かび上がる、白い顔。


 極端な四白眼の眼は真っ赤。目つきだけで人を殺せそうなほど鋭い。それが真っ直ぐに自分を見ている。


 筋の通った鼻立ちも長いまつげも、目と合わせると威圧感しかない。


 口元に満面の笑みを浮かべ、ハサミを手に見つめている……


「ぎゃああああああ~~~~~~~っ!?」


 メイドの絶叫を聞き、他の使用人たちがやってきた。


「どうしたんだ!?」

「なにがあったの!」

「あ、ああ、あ、悪魔がっ……!」

「バ、バカ! お嬢様よっ!」

「へ?」


 腰を抜かした新人メイドが指差していたのは、何を隠そうノーティス家が一人娘セイラ・ノーティスその人。


 そう……セイラの唯一の欠点。それは顔が怖いことだった。けして不細工ではない、むしろ美人の部類なのだが、パーツひとつひとつのインパクトが強く、ぱっと見だとどうしてもギョッとしてしまう。見慣れない人間が暗闇で突然顔を見るなど言うまでもない。


 とはいえ相手は侯爵令嬢。それを指さして悪魔呼ばわりなど、極刑ものだ。


「あ、あわわわわわっわっわっ……!」

「も、もももも、申し訳ありませんお嬢様っ! 我々の教育の至らぬばかりでございます、な、なにとぞご慈悲を、ご慈悲を……!」


 顔面蒼白な新人メイドに代わり、他の使用人たちが必死に謝罪した。侯爵令嬢に対してこの失態、下手をすれば新人メイドだけでなく使用人全ての首が物理的に飛んでもおかしくない。


「どうか顔をお上げください。わたくしが不注意だったのですわ」


 しかしセイラはそんな使用人たちに優しく声をかけた。


「こんな暗い所でいきなり刃物を手渡してしまったのがいけなかったんですのね……」


 その反省点は少しずれていたが、少なくともセイラはまったく怒ってはいなかった。


「お気になさらず。わたくし、けっして怒ってなどいませんわ」


 セイラは念を押すためにそう言って、にっこりと優しく微笑んだ。本人はそのつもりだったのだが、その笑い顔は周囲からすると、言外の威圧にしか思えず。


「ひ、ひぃぃぃぃぃ~~~~~~~っ!!」


 使用人たちはより震えあがり、必死に謝罪を続けるのだった。



────────────────────────────────



 それからしばらくして。


 セイラはため息をつきながら宮廷の庭を散歩していた。


(ハア……わたくしってどうしてこうも、皆様に誤解させてしまうのでしょう……)


 なんとか使用人たちを落ち着かせたが、こういうことは今日が初めてではない。


(きっとわたくしの心の奥の悪い部分が顔に出てしまっているのですわ。より清らかな心をもてるよう、淑女として精進ですわ!)


 なんだかんだ前向きなセイラはそうして自分を奮い立たせる。


 とそこへ、小鳥がセイラのそばに飛んできた。


「あら小鳥さん、励ましてくれるの? うふふっ」


 そっと指を差し出して小鳥をとまらせてあげるセイラ。が、小鳥はセイラの顔に気付くや否や、『ビヂューッ!?』と聞いたことのないような絶叫を上げ一目散に飛び去った。


「ああ、また……」


 しゅんとセイラが落ち込んでいると。


「セイラ!」


 ふいに彼女に声がかけられる。セイラは振り返って声の主を見ると、パッと顔を明るくした。


「リオーネ様!」


 歩み寄ってきたのはリオーネ・キュイソー、この国の皇太子。セイラと同じくらい純朴な人格者で、かつセイラとは真逆の、誰からも愛されるような輝かんばかりの美男子。


 2人は互いに駆け寄った。


「いらっしゃっていたのですね」

「ああ、公務の合間だが、セイラに少しでも会いたくて」

「まあリオーネ様ったら」


 楽し気に談笑する2人。


 リオーネは数少ないセイラの理解者だ。初対面こそ、セイラの噂を聞いたリオーネが侯爵家の娘に取りついた悪魔を退治しに来たという最悪の出会いで、セイラの顔を見たリオーネも他と相違ない反応を見せていた。


 だが皇太子として逃げるわけにはいかないと、幾度もセイラに会いに行き、言葉を交わすうちにセイラの顔に慣れ、その天使のような内面に触れていったリオーネは、いつしか彼女を愛するようになった。そしてセイラも、自分のことを理解してくれたリオーネのことを憎からず思っている。


「セイラ……」

「リオーネ様……」


 2人は相思相愛。庭園では、幸せな時間が流れていた。


────────────────────────────────


 ……だがそんな2人を快く思わない者もいた。


「あの化物女……! 私のリオーネ様をたぶからして……!!」


 庭園の木々の隙間から、2人の逢瀬を憎悪の眼で見つめるのはコーネリア・プリンシプル。伯爵家の娘。その美貌と優秀さで知られるが、同時に苛烈な上昇志向と、敵と見なした者へ容赦のない攻撃を与える人間性でも密かに噂される娘。


 彼女はずっと皇太子リオーネを狙っていたのだ。社交の場では積極的にアピールをし、家にも協力させて高価な贈り物を数えきれないほどしてきた。


「なのになのになのに……!! きぃーっ」


 だがそんな努力も空しく、リオーネは得体のしれない悪魔のような娘に夢中。しかし悪魔といえど相手は侯爵家の娘だ、正面からでは分が悪い。


「ウフフフフ……今に見てなさい……!」


 正面からがダメなら、裏から葬ってやるまで。


 コーネリアは幸せそうな2人を見つつ、それこそ悪魔のような笑みを浮かべるのだった。


────────────────────────────────


 それからしばらくして……宮廷には妙な噂が流れ始めた。


 侯爵令嬢セイラ・ノーティスが、陰で侍女たちに嫌がらせをしている、というものだ。


 それだけでなく、皇太子を狙うがゆえに敵対する令嬢の家に獣の死体を送りつけただとか、会食の場で毒を盛っただとか、自室で小鳥の血肉を貪っていただとか……凄惨な噂の数々が、センセーショナルに宮廷を駆け巡った。


 噂のもとはもちろんコーネリアだ。しかし彼女は自分の手足のように使える者たちを使い、巧妙に噂を流した。噂はあくまで噂、証拠も何もなく、通常ならば何をバカなと一笑に付されるものだっただろう。


 しかし……問題はセイラの顔。


 悪魔のような顔にまとわりついた、悪魔のような噂の数々。ひょっとしたら、いやむしろやっぱりか、と、人々は次第にセイラの陰でひそひそと話すようになっていった。


 コーネリアの策略により、セイラ本人およびリオーネの耳には噂が入らないようにしていた。もっとも悪魔本人は当然として、こんな血なまぐさい噂をわざわざ皇太子の耳に入れようとする者もいない。


 噂はどんどんエスカレートし、ついにはセイラは国を乗っ取ろうと侵入した悪魔そのものとまで言われ始める。そしてさらにその矛先は、リオーネと最も仲がよく社交界での評判もいい伯爵令嬢コーネリア・プリンシプルに向けられている、とも。


 だんだんと噂はコーネリアがいかに虐げられているか、というものに偏っていった。コーネリアは巧妙に立ち振る舞い、けして明言はせず、しかしどこか苦しんでいるような雰囲気を装い、「悪魔に虐げられる悲劇のヒロインコーネリア」を演出していった。


「頃合いね……うふふっ」


 そしてリオーネも出席するある夜のダンスパーティに、コーネリアは目標を定め……


────────────────────────────────


 ダンスパーティにて。


 セイラは首をかしげていた。どうも社交界の皆が皆、自分を避けているような気がするのだ。


 もちろん避けられるのは日常茶飯事だが、今日はいつもと違う。まるで近づくのさえ、見られるのさえ避けているような……


 それなのに遠く離れたところでは私を見て、何か小さい声で話している。


(わたくしを怖がっているのでしょうか)


 そう思ったセイラは小さい声で話す人々を見て、にこり、と笑顔を見せた。大丈夫です、お話しましょう、と敵意のない証明として。


 が、それを見た人々は決まって大慌てで視線を逸らし、ごまかすように散っていってしまう。その度にセイラはしゅんと肩を落とした。


(リオーネ様は……お姿が見えませんわね……)


 救いを求めるようにリオーネを探すも見当たらない。皇太子の彼はきっと忙しいのだろうと自分に言い聞かせてガマンする。


 しかしダンスパーティは続くにつれ、いつしかセイラの周囲には誰も近寄らなくなり、近づこうとしても逃げられてしまうことに申し訳なくなって、セイラはぽつんとダンスホールで佇むしかなくなっていった。


 そしてセイラの孤独感がピークに達しようとしていた時。


「皆様、お聞きくださいませ!」


 突然、ホール内に大きな声が響き渡った。人々が声の主に注目する、セイラもそちらを見た。


 声の主はコーネリアだった。隣にはリオーネがいる。


「コーネリア? 突然どうしたんだ、ずっと俺にまとわりついたかと思えば……」

「皆様、ご存知の方も多いとはございますが……わたくしコーネリアは、今日までずっと、ひどい虐げに遭っておりました」


 困惑している様子のリオーネを無視してコーネリアが続ける。


(まあ、コーネリア様がそんなひどい目に? 知らなかったわ、なんてかわいそうな……いったいどうして……?)


 はらはらしながらセイラが見守っていると……コーネリアは一瞬だけセイラを見て、ニヤリと笑った。しかしすぐ、悲痛な表情を浮かべダンスホールの人々へと向き直る。


「あの悪魔の恐ろしい脅迫に遭い、誰にも言えず、ただひたすら耐え忍ぶ日々……しかし今日、わたくしは勇気をもって、あの悪魔を告発いたします!」


 おお、いいぞ、と人々から歓声が上がった。告発とは穏やかじゃない、いったい何があったのだろう……セイラが戸惑っていると。


「あの悪魔……セイラ・ノーティスの数々の悪行、ここに白日のもとに晒しますわ!」


 突然自分の名前を呼ばれて、セイラは飛び上がりそうなほど驚いた。


「待てコーネリア、セイラの悪行? 何を言って……」

「お聞きください! あれはわたくしが庭園を歩いていた時……」


 リオーネを無視し、コーネリアはいかに自分がセイラから虐げられたか、涙ながらに熱弁を振るった。虫をけしかけられた、泥をかけられた、熱い紅茶を頭からかけられた、すれ違い様にスカートを踏まれた……次々と、耳を覆いたくなるような悪行が語られる。


 その度に観衆から、まあなんてひどい、許されざる行為だ、悪魔め、と同情の声が飛ぶ。セイラたちは知る由もないが、半分はコーネリアの仕込んだサクラの声だ。


「もはや侯爵家の権力でもみ消されるのは嫌なのです! 皆様どうか、あの悪魔めを断罪するのに、お力をお貸しくださいっ!」


 コーネリアの涙ながらの熱演に、噂をすっかり信じ込み、観衆たちはヒートアップ。


「侯爵家だからといえ全てが許されると思うな!」

「恥を知れ、悪魔!」

「この国から出ていけーっ!」


 浴びせられる怒号の数々、セイラはただただ困惑し、立っていることしかできなかった。



────────────────────────────────


(ひひひひ、なんていい気味!)


 怒号飛び交うダンスホールで、コーネリアは表向きは悲劇のヒロインとしてさめざめと泣きつつ、内心でほくそ笑んでいた。


 もうあの悪魔のことを信じる者は誰もいない。お人好しのリオーネは観衆を落ち着かせようと声を張り上げているが、ここまで熱くなった群衆はたとえ皇太子だろうとそう簡単には止められない。


「み、皆様どうか落ち着いて……わ、わたくしは……!」


 当の悪魔セイラはというとただおろおろとするばかり。正直拍子抜けだが、反撃してこないならそれでいい。


 ここまで広がった悪評、そう簡単には消せない。死罪までは難しいかもしれないが、国を騒がせた罪として国外追放は十分あり得るし、少なくとも皇太子に近づくことは二度とできない。いい気味だ。


「……フーッ」


 おろおろする悪魔をいい気分で眺めていたら、ふいにセイラが深呼吸をした。なんだ? と訝しんでいると……


 セイラが真っ直ぐに私を見て、歩み寄ってきた。


「うっ!?」


 一瞬ドキリとする。あの悪魔が真正面から近づいてくるのだ、正直悲鳴を上げそうになった。


 だがこれは好都合だとすぐ考え直す、何をする気かは知らないが、今のセイラが私に何をしても奴にとって逆効果しかならない。セイラからすれば嘘で自分を陥れようとする私に怒り心頭のはずだが、その怒りを利用してやるだけだ。


 私を嘘つきと糾弾するなら「この期に及んでひどい……!」と泣いて見せれば観衆は盛り上がるし、逆に和解しようとするなら「言葉巧みに人心を操るなんて、まさに悪魔」とでも言ってやればいいだろう。


 セイラが私に近づいているのに気付いたのか、群衆たちも事の成り行きを見守ろうと次第に静かになっていった。しかし声の代わりにその視線が怒りを帯びてセイラに突き刺さる。


 さあセイラ、この怒りの視線の中で何を言う。


 セイラは私を見て……笑った。


 その瞬間、私はゾっとした。なんて怖い笑顔だ。腹の底の沸き上がる怒りを微塵も感じさせない純粋な笑み。まずその仮面の被り方が悪魔そのもの。


「あの、コーネリア様。これはきっと、何かの誤解だと思います」


 そらきた。誤解とは笑える、今更誤魔化そうったって……そう言ってやり返そうとしたがうまく言葉が出ない。


 赤い目が私を見ている。ぎょろぎょろと。ぐりぐりと。お前の腹の底など知っているぞという目で。


 体が震える。変な汗が流れ出る。


 群衆たちも静まり返っていた。悪魔の赤い目に、恐怖していた。


「大丈夫、わたくしはわかっております。コーネリア様はとてもお優しい方です」


 悪魔の笑みがより深くなった。吊り上がった頬から歯が覗く。その歯が自分の喉笛に喰いつくイメージがよぎり、ひっと悲鳴が漏れた。


 笑っている。悪魔が笑っている。笑って私を見ている。怒り狂った心を、微塵も見せず……なぜ笑う? わからない、わからない。怖い!


「だから……話し合いましょう」


 そう言って手を伸ばし……私の頬が、そっと撫でられる。


 『今ならまだ許してやるぞ』。


 そう、囁かれた。間違いなく。間違いなく。


「もし言いにくいことならば、リオーネ様も交えて……ね?」


 ぜんぶ、ぜんぶ、見透かされている。


 ああ、ダメだ。私はなんてバカだったんだ。


 こ、こんな悪魔に……喧嘩を売るなんて。


「ごっ……ご、ごめんなさああああああああいっ!!」


 私はその場で土下座し、全ての悪事を吐露したのだった……


────────────────────────────────

───────────────────

────────


 こうして顔が怖いがゆえに悪役令嬢に仕立て上げられそうになったセイラは、顔が怖すぎるがゆえにすんでのところで危機を回避。


 コーネリアの自白によって疑惑は解け、その反動もあり、次第にリオーネ以外の者たちにもその内面を理解されていった。暗いところや出会い頭で顔を見られると悲鳴を上げられるのは相変わらずだが……


 その後、セイラはコーネリアと和解したかったが、コーネリアは行方不明になった。きっと気まずくなってしまったに違いない、いつか戻ってきたらゆっくり話し合おう、と、天使ゆえに闇を知らないセイラは呑気に思っていた。


 とはいえこの一件をセイラ自身反省し、猛練習の末に自然な表情の作り方を覚え、やがて誰もが認める皇太子の婚約者として知られるようになるのだが、それはまた別の話。

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