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プリンス・チャーミング なろう  作者: ミタいくら
1章
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8


秘密の部屋の本の中でルイの知りたかった言語は、この国の古語だとわかった。

始めにアルノーはルイの簡単な学力チェックをした。これまでにどんな教育を受けたかを質問し、宮邸で読んだ本の内容を聞く。そこから、理解できそうな初見の本を書棚から適宜取り出してルイに見せる。書棚の傍らでしばしそれを繰り返し、アルノーは結論づけた。

「そのお年にしては、かなり読解力がありますな。我が国の公用語はほぼ完璧に会得されておられる」

褒められて自然に頬が緩んだ。

「アンヌのお陰です」

「アンヌ殿。あの方は何事も抜かりがないからのう」

「アンヌを知ってるのですか?」

「そのことは追々の。それで、肝心の殿下お探しの言語じゃが…」

そういえばロランもアンヌを既知の様子だった。一体、アンヌはどういう立場なのだろう。

浮かんだ疑問は、アルノーの手にしたものを前に消え去った。彼がすっと差し出したのは一冊の書。

恐る恐る手にとって、表紙を捲る。ルイには理解できない文字の羅列。しかし、何度も見返して覚えてしまったあの本の、読めずに躓いた字面と似通っていた。

「あ、こんな感じでした。……そう、これです、多分」

「ほう、やはり古語かの」

「古語」

アルノーの言葉を繰り返す。

「この国でかつて使用していた言葉ですな。古い文書などは全てこの語句で記されておる」

国語の古文みたいなものか?

ルイはかつての知識に当て嵌める。

「ただ、その頃は識字率も低く、理解している者も今よりさらに数少ない知識人に限られておりましてな」

故に難解で婉曲な表現も多用されておる。日常遣いに向かぬ取っつき難い言語ですな。

「文字自体は、殿下がご存知の現代ナーラ語とほぼ変わりませぬ。いくつか古語独特の旧字があるのじゃが、それはまあ覚えてしまえば良い。ただ文法が少々込み入っておりまして」

そこでちょっと口を噤んでルイをじっと見つめた。

「文法と申しあげて、殿下はおわかりになりますかな」

「わかります。大丈夫です」

ルイは意気込んで頷いた。

「ふむ、おわかりになるとな。そのお年頃で。……まあとにかく古語の文法は例外も多く複雑しごくで。殿下よりはるかに年嵩の学徒でも中途で投げることもある代物でしてな。なかなか骨が折れる。それでも、読めるようになりたいですかな?」

「なりたいです」

否やはない。知らず目を輝かせてルイは即答した。

もちろん努力は必要だろう。だが苦には感じなかった。あの本の解読が一番の目的だが、それとは別に、知らないものを学べることにわくわくしていたのだ。

「ほうほう」

髭をしごいてアルノーが頷く。弾む気持ちを堪えられないルイを、皺に埋もれた茶色の眼でじっと眺めた。

「なかなか。確かに面白い」

小さく呟く。

アルノーはルイを隅に備え付けてある小さな机に誘った。ベンチのような椅子を勧めて一冊の書を手に、向かい側に腰かける。

「では、さっそく始めますかな」

狭い空間で額を付き合わせるような体勢に、ルイは少し戸惑った。

この狭い部屋の手前にある広々とした空間、図書館本館内に閲覧用の机がいくつも設けられていたはず。

「ここで?」

思わず漏らした声に、アルノーは悪戯っぽく笑みを見せた。

「ここで。ここにある本は基本この書庫から持ち出し禁止でしてな。ほれ、この場で見るしかないのですぞ」

いたずらっぽく片目を瞑る。

「ま、あちらでも古語を学べる本は置いてあるのじゃが、この本の方が理解が早い。ついでにわしも付いてくる」

これでもなかなか素晴らしい先生だと任じておるのでな。

冗談めかした言い様に、ルイも気持ちがほぐれた。

「じゃあ、」

開いた頁に記された未知の言語に惹き付けられて、身を乗り出す。

だがそこでルイは気づいた。浮かれた気分がすっと消えた。

ルイが宮を出てから、どれくらい時が経っただろう。朝の早いうちから抜けたとはいえ、道に迷い衛兵に詰問され。馬車で来たが随分と時間を浪費した。

時間稼ぎをしたが、もうアンヌにも抜け出したことがバレて捜索が始まっているだろう。協力したシャルロットはどうなっているのか。アンヌは理不尽に怒りはしないが、行方を問い詰められてるに違いない。

「あの、僕、もう帰らなくちゃ。実は誰にも言わないで出てきてしまってて、今頃宮で騒ぎになってるはずで、」

言って、広げていた帳面を筆記具とまとめる。

「せっかくいろいろ教えてくださったのに、ごめんなさい。続きは今度…」

せめてもと詫びるが、自分でも次があるかも、いつになるともわからない。そんな半端な状態に情けない気持ちになった。

乱雑に集めた帳面に両手のひらを押し付けて俯く。

「ごめんなさい。ありがとうございました」

くっと唇を引き絞ってから、改めて言葉を紡ぐ。残念さを押し殺すルイを、アルノーは不思議そうに見つめた。

「ああ!」

頓狂な声を出す。

「あー、言ってなかったかの」

悲壮な雰囲気をまとうルイに、初めて緩い雰囲気を崩して慌て出した。

「大丈夫じゃ、心配いらぬ。殿下はここに居て良いのじゃよ」

「?あの?」

ルイは怪訝な面持ちでその様を見上げた。アルノーは申し訳なさそうな笑みをみせた。

「アンヌ殿にはロランが知らせているはずでな」

だから、急いで帰らなくても良いのじゃよ。

「──ほんとに?」

アルノーの言葉を理解して、ルイは口を開ける。それが事実なら願いが叶う。

強ばっていた肩の力が抜けた。

「大事なことを言い忘れておった。まことに申し訳ありませぬ、殿下」

額を擦り、アルノーは詫びた。

「ロランがうまくやっております。ご安心くだされ」

「……そうなんですか?」

「あいつはそういうことは得意でしてな。なかなか腹黒い。じゃが、こういう時は実に頼りになる。任せておけば間違いない」

ルイはロランの思慮深さを感じさせる威厳のある顔を思い浮かべた。

今日知り合ったばかりだが、衛兵への振る舞いやルイの為に尽力してくれたこと。振り返れば頼もしいのは間違いなかった。また、アンヌを納得させられると信じられるのも、多分、彼以外有り得ない。

ルイが頭の中で考えていることをアルノーは覗き見たのか。ふふふ、と含み笑いしてみせた。

「さて、こうしておる間にも時が流れております。せっかくの機会。無駄にしてはもったいない。なに、帰りはロランが馬車を寄越すと言ってますのでな。殿下はそれまで存分にここでお過ごしにならんかな?」

わしが管理しておるので、この中では自由にやれますぞ。

ロランという男の底知れなさ。権力を持つ彼は、自身が口にしたことは叶えてみせるのだろう。その彼が任せろと言うなら、多分信じていい。

そしてアルノーからの抗いがたい書への誘い。未知の知識が目の前に並べられたまたとないチャンス。

今日だけは、甘えてもいいかもしれない。

知り合ったばかりの大人二人の言葉をここは信じることにして、ルイは目の前で始まった個人授業に思うさま没頭することにした。




いくら取り出しても尽きることのない本の山と、問えば的確に疑問や躓きを解いてくれるアルノーのお陰で、ルイは濃い学びの時を過ごした。

だがアルノーがまず教えたのは、何故かルイが望んでいた古語ではなく、この国の簡単なあらましと首都の概要だった。最初は戸惑ったが、生まれ住んでいるのに知ることのなかったこの国の一端をわかりやすく説かれるのは興味深く、ついつい夢中になった。

ルイとシャルロットのいる国はナーラ国という(ことすら実は知らなかった)。政体は王政で、現王はルイ達の父親だ。ナーラの首都はサギで、その中の一画は広く城壁に囲われている。そこは国民が住まう都市とは隔絶された王宮を中心とした権力と政治の中枢であり、王族と政府関係者、大貴族の住まい。王居と呼ばれ、名はサギドという。

「それがここ。今いる王立図書館と、殿下のお住まいもありますぞ」

生まれ育った場所の名を初めて知った。同時にルイが宮の外を歩いていたら衛兵が飛んできた理由も。

サギドは首都──王都サギに住まう民と完全に隔てられた支配階級の空間だ。皆、馬車か馬で行き来し、小さな子供が一人歩きしている場所ではない。身元不明な者もいない。見つけたら、それは即不審人物、要警戒対象だ。

しかしサギドはまた、国民に王をアピールする場でもあるらしい。広い王居の中には公園や巨大な噴水も整備されていて、特別な行事の際には民に開放するという。その時には国王が王宮前まで集った民に姿を見せる。また王宮の反対側にある森と見まがう緑の奥には学校があるそうだ。

このように、簡単に都の説明を受けた後で古語の初歩を学んでいく。

ルイが読み書きできるのは一般的な現代ナーラ語だけだった。

旧字を教えてもらい帳面に書き写す。基本の字に旧字を組み合わせた特殊な構文や慣用句をほんの少しだけ習う。わずかにかじっただけで、文法の難易度が高いのが知れた。すぐに読みこなせる代物ではない、手強い言語だ。

アルノーが選んだ勉強に適した指南書の参考箇所は、初歩でもかなり難しい。頭は新たに得た知識でぱんぱんで、かっかと血が巡って暑いほどだった。それでも限られた貴重な時を無駄にすまいと、また帳面の空白にペンを傾ける。

次へ、さらに次へ。

「殿下、それくらいで」

遂に止められて顔を上げれば、少し困ったようなアルノーが髭をしごいていた。

「そろそろロランの馬車が来る頃合いじゃ。終いにしてお帰りになるがよい」

アルノーの顔に苦い笑いが浮かぶ。中途で終わる不満がルイの顔に出ていたらしい。

「そんな膨れっ面をなさっても駄目じゃ。お帰りなされ」

ぽんぽんと肩を叩かれる。

「今日はほんのさわりというところじゃでな。またいらしたら良かろう」

そこまでされて、ようやくルイは諦めて体を起こして片付け始めた。もう日が傾いている。

そこで昼ご飯を取らずに午後まで過ごしていたことに気づいた。古語に夢中であったので平気だったが、アルノーまで昼抜きにさせてしまった。

ルイは申し訳なさで居たたまれなくなる。しかしアルノーはその点には触れず、恬淡として言った。

「帰ったらアンヌ殿とお話しなされ。殿下がきちんと話せばわかってくれよう」

ルイは、師の言葉が現実になるのを心から願う。書庫にいる間、ずっと付き合ってくれたアルノーに最後にしっかりと頭を下げた。


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