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黒い魔物に宝剣を突き立てた。狙いは外さなかった筈。
なのに魔物は消え、さらにルイまでも魔法のようにいなくなった。いや、魔法、魔物の魔力の為せる術に違いなかった。
シャルロットは呆然とした。
あの魔物がルイを拐ってどこかに消えてしまった。
それでも、主のいない部屋で自失していたのはほんの少しだ。
急いで窓を開けて外を探した。ガタンと派手な音がしたが、気にする暇もなかった。
いない。
魔物は闇色だったが、ルイは白くて金色だ。いたらわかるはず。空も地も、どこかにいないか懸命に目を凝らした。だが真っ暗な夜が広がるだけだった。
目の届く距離にいない、手の届かぬところに連れていかれた。
明らかな喪失に、すっと体の血が下がる心地がした。足から力が抜けていくのをぐっと床を踏みしめて堪えた。
ルイ。
一刻も早く助けなければ。
頭にあるのは一番大事なことだけだ。
唯一を取り戻すためなら何でもする。
ほんのわずかに躊躇い逡巡したが、一人では何もできない。自分は外への連絡すらできないのだ。
シャルロットは素早く決断した。
「起きて、メラニー!」
廊下に出て小走りで侍女の部屋を訪ねると、焦る気持ちを抑えて扉を叩いた。
「シャルロット、様?」
夜着に薄物を羽織りながら現れたメラニーは、深夜だというのにいつものきちんとした佇まいを保っていた。
「今すぐジュールに会いたい。急ぐんだ。お願い」
「ジュール殿に?いかがしましたか」
驚いた顔をしたメラニーは、シャルロットの必死な様子に頬を引き締めた。
「ルイが消えた。魔物に連れていかれたんだ」
「!アンヌ様は」
「アンヌにはまだ言ってない。後でちゃんと言うから。とにかくジュールの助けが必要なんだ」
「──わかりました」
静かに頷くと、メラニーが右手を開いた。掌の上でふわりと空気が揺らぐ。風のように流れが出来て消える。
それがジュールの従者に繋がる魔法だと、シャルロットは知っていた。
ほどなくして宮邸、ルイの部屋に供を連れたジュールが音も立てずに現れた。連絡はうまくいったようだ。
「シャルロット殿下」
軽く礼をして、即座に本題に入る。
「魔にルイ殿下が連れ去られたとか。まさか、黒い魔でしょうか」
「うん、全身真っ黒の女だった」
「鳥ではない?」
「違うよ。私より少し年上くらいの、変わった容姿の人間の女。でも影がなかった。それで私が剣で倒そうとしたら、ルイと消えてしまった」
その時、ルイが女を庇って一緒に消えたことは告げなかった。一瞬の印象だ。見間違いかもしれないのだ。だから不確実な話はジュールには言わなかった。
「殿下。一つ申し上げたいことが。まず最初に剣を振り回すのはお止めください。何者かもわからぬのに危険です」
「でもルイが」
「王女殿下が先頭に立つ必要はありません。何かあれば、まず人をお呼びください」
「…わかった」
ジュールの言い様は不本意だったが、協力を求めている身だ。素直に聞いておく。
「黒い女。真っ黒というのはあまり見ない色です。魔物だというなら、黒魔鳥ではないでしょうか」
「黒魔鳥?」
「少し前からルイ殿下の周囲に出没していた魔物です。羽根を殿下が拾っています。幻の魔物なので真偽が疑わしかったのですが、こうなると話は違ってくる。部屋にまで侵入していたとなると、殿下にかなり執着しているのでしょう」
「全然、知らなかった」
ルイが何も教えてくれていなかった事実にショックを受ける。だが続くジュールの言葉に飛びついた。
「黒い魔が黒魔鳥ならば、追うことができます」
「本当!?」
「ルイ殿下から羽根を預かっておりますので」
「じゃあ、」
勢い込むシャルロットをジュールは制した。
「さすがに魔物の元に一気に翔ぶことはできません。でも場所はわかるので、このレミと共にすぐに救出に向かいます」
「私も行く」
即座に言うと、ジュールは溜め息をついた。
「殿下」
「止めても無駄だよ。私もルイを助けに行く」
「振り切ったとしても、大人しくお待ちいただけないと承知しております」
眉を下げたジュールにしては珍しい顔だった。
「え、じゃあ」
「私の指示に従うという約束を守って、ご自身を第一にされるならば」
「やった!」
「はい。メラニー殿、よろしいですね」
ジュールに問われたメラニーもなんとも言えない顔つきだった。それでも諦めたように頷いてくれた。
「アンヌ様には、私が叱られます」
シャルロットは、メラニーに感謝を込めて抱きついた。




