76 不審
前世の記憶があるだけでなく、この世界の元となるゲームを知る彼女と出会ったことは、ルイにとって大きな出来事だった。
突然奪われた平凡な日常、与えられた世界でのシナリオ。よく知らない「ゲーム」について一人抱えていた不安も、好きなだけ零すことができる。
正直、気まぐれなサヨは知っているはずの未来についてまともに答えも返さなかったが、それでもゲームの世界という認識を共有できるだけで心強かった。記憶が甦ってから長年一人煩悶していたことを話す相手がいる、それは他の誰にも出来ないことだったから。
サヨの訪れはルイの未来への展望を少しばかり明るく変えた。
「ねえ」
「なんだ、シャル」
日が落ちかけた夕方。剣の練習を終えたところで、シャルロットが呼び掛けた。マクシムはいない。二人だけの自主練習だ。
ルイは少しだけ身構えた。
今日の練習は少々上の空だったからだ。咎められたら謝るしかない。
しかしシャルロットから出たのは意外な問いかけだった。
「ルイ、何か変わった?」
「そうかな。特に何もないと思うけど」
思いもかけない指摘。戸惑いが先に立った。汗を手でぬぐいながら答えると、シャルロットはじっとルイを眺めた。
「やっぱり変わった。ちょっと雰囲気違う」
はっきりと言って、サロンの隅で二人分の手拭いを用意していたクレアを顧みた。
「ルイ、変わったよね」
同意を求められ、クレアはぱちりと瞬きした。
「ねえ、クレア」
せがまれて、クレアは年若い主の一人を見定めることにしたようだった。
手拭いを差し出すため近寄って覗き込む。落ち着いた茶色の瞳にまじまじと見つめられ、ルイは居心地が悪くなった。
気まずさを誤魔化すように受け取った手拭いで雑に顔を拭く。
そんなルイを一通り撫でた視線を外すと、クレアはゆっくりと口を開いた。
「そう、ですね。少々感じが変わられたかもしれません」
シャルロットが強く頷く。
「でしょ!」
「でも。おかしいことではないですわ。ルイ様も十三歳。少しずつ大人になられてるのでしょう。シャル様と違ってくるのは当たり前です」
クレアの感想に、シャルロットは納得がいかないようだった。ぷくりと不満そうに頬を膨らませる。
「違うのに。そういうことじゃないんだってば」
「シャル。大丈夫か?」
なんだか苛立っているようなのを気遣ってルイが声をかけると、シャルロットは大きく後ずさった。大袈裟な反応に鼻白む。魔物みたいだ。
「なんだよ。シャルの方がおかしいんじゃないか」
強い口調で言うと、シャルロットは大きな目を吊り上げて睨んできた。
「絶対、何か変わったって。ルイ、少し変」
それだけを言い捨てると、シャルロットはくるりと背中を向けてサロンを出ていってしまった。
「変なの」
変わったのは、おかしなのはシャルロットの方だとルイはため息をついた。
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違和感の形をうまく言葉に出来なくてシャルロットはもどかしい。
夕飯を食べたら、もうルイとは一緒にいられなかった。やることがあるとかで、早々に部屋に引き取ってしまったから。仕方なくシャルロットも自室に帰った。だが夜も更けて寝る時刻を過ぎても、気持ちが落ち着かなかった。
ごろりと部屋のベッドに横になって考える。
クレアはああ言ったが、歳を取ったからとかそういった順を追ったものとは違うのだ。
確かに、襲撃事件の後からルイはシャルロットと区別をつけるように、外見も言葉遣いも変えた。髪を短く刈り、言葉は少しだけ粗野になるよう努めている。
だから違和感はその延長であって、シャルロットの気のせいと言われてしまえばそれまでだ。
でもルイは、前とは異なる反応や態度を取っているみたいなのだ。急に別人になった、というのでもない。そんな大きな変化ではない。
ほんの少しの、微妙なズレ。
そういえば、最近なんだかルイは素っ気ない。これも些細な違いだ。ただ夜、自室に行くのがちょっと早いとか、夜半まで二人で過ごす時間がないとか、そんな程度のもの。
クレアはわかってくれなかった。でもメラニーに言っても首を傾げられるか、呆れられる。
大抵の人には、基本、シャルロットよりルイの方が信用がある。
じゃあルイより自分と仲良しの人間に聞けば、と考えて答えに詰まった。騎士団の業務が忙しいマクシムはいろいろと無理だ。見習いになって早数年。段々忙しさが増している。そんな中でも週に数回、時間を作って訪れてくれているのだ。ルイの微細な変化に気づけるとは思えないし、大事な稽古仲間を自分のわずかばかりの引っ掛かりで煩わせたくはない。せっかく会えた貴重な時間は密度の濃い稽古に費やしたい。
親友を引っ張り出すのを早々に諦めて、また考える。
ルイとの距離が今までと違う。
幾度思い返しても、シャルロットの気のせいとは思えない。
大人になるから、で正しいのか。自分は寂しいのか。
ごろごろ、ごろりと転がって、シャルロットは遂にベッドの端から落ちた。勢い余って、地べたでもくるりと一回転して床に顔がついて止まった。握っていた毛布が引きずられて絡んでいた。
「私がおかしいのかなあ」
床にぺとりと顔をくっつけて呟いた。自分でも情けない声だったので、そのままじっと動かなかった。
と、耳が小さな音を拾った。
床につけてなければ聞き取れなかった、かすかな物音、話し声。
シャルロットはそっと体を起こして、音のした先を見つめた。
行き当たる壁の向こうは、ルイの部屋だった。
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