71 羽根
ある日ルイは、宮邸の庭の片隅でふと上を見上げた。
はらりと空から降ってきたのは、一枚の鳥の羽根。真っ黒い風切り羽根だ。
今抜け落ちたばかりのような黒緑に光る艶々しいそれを手のひらで受け止め、空を見上げる。
無意識にこの羽根の持ち主が飛んでないかと探したが、澄んだ空には鳩一羽も飛んでいなかった。
手にした見事な羽根は地に投げ捨てるのも躊躇われて、ルイはそっと部屋に持ち帰った。
そういえばこの世界の動植物についての知識はあまりないのだった。書庫に通い始めたのも古語を始めとした語学修得の為であった。マナーやダンス、剣術は飽きるほど学んだ。魔力だ魔法という特殊技能も身につけた。国政や社会の仕組み、国の内外の地理などもある程度は把握している。けれど前世?の自分が過ごしたような動物や植物を見たり触れあったりという経験はない。図鑑というものも読んだことも探したこともない。この世界にあるかどうかさえ知らないのだ。
やはりこれは、ルイにとっての知識の泉とおぼしき彼らに聞くのが一番だ。
この歳になって尚、日々の多くを書庫通いに費やしているルイである。
今朝もいそいそと準備を済ませ、最後に机の上にあった黒い羽根をそっと帳面の白紙ページに挟むと馬車に乗り込んだ。
もはや王子の姿を見ても日常に馴染んで誰も見咎めない王立図書館。その最奥の書庫に着くと、いつもの如くアルノーが書を手に出迎えてくれた。
挨拶もそこそこに、ルイは帳面に挟んだ羽根を取り出した。
「あの、これ何の鳥の羽根かわかりますか?」
くるりと羽根を回して、アルノーと気のない風のジュールに見せる。
「殿下──?」
「それは。どこでそれを手に入れたのです」
アルノーの皺に埋もれた目が大きくなった。向こうの書棚近くにいたジュールが大股でルイの前にやって来る。
「え、宮の庭で、空から落ちてきたんです。カラスとかじゃないのか?」
「から、す?」
首を傾げるアルノーの横で、ジュールがきっぱりと断じた。
「黒い鳥は存在しない。世界のどこかにはいるかもしれないが、この国には生息していない」
「え、じゃあこれは」
黒々とした羽根を前にルイは困惑した。
どう見ても鳥の羽根。漆黒の羽弁の揃った見事な風切り羽根だ。
「私も見たことがないのだが。黒い羽根を持つのは魔鳥だ」
「魔鳥?魔の鳥、魔物ってことか」
ジュールは重々しく頷いた。
「かなり高位の魔物だ。人語を解し魔力も強い」
そんなすごい魔物がいるのか。力のあるすごい魔物が、宮邸に?いやそもそも、この羽根は魔物のものなのか。
摘まんだ羽根をしげしげと眺めてもわからない。
「偽物かも知れんよ」
じんわりとしたアルノーの言葉に振り返る。ジュールが言った。
「よく似た鳥の羽根が護りとして庶民の間では流通しているらしい。人が染めたものだが、黒い羽根は縁起物と言われていてな」
普通の鳥の羽根を染めているのか。
そうは見えないが、と斑もなく透かすと緑に光る羽根を玩ぶ。
「まじないは人心を惑わすものとして禁止されている。また黒い羽根は禍を呼ぶとして禁忌の魔道、魔術の寄せもの、依り代として使う闇魔法が存在していてな。その道では有名な魔道具扱いらしい。所有者はいらぬ疑惑を持たれるおそれがあるのだ」
羽根一つで不穏な話だ。しかし、となると結論は決まったようなものだ。
「じゃあ」
「こちらは、私が預かろう」
羽根を手に取り、ジュールは軽く左手を払った。
「余計な干渉を受けぬよう遮蔽の術をかけておく」
魔道師の術を受けて、羽根はふわりと揺れた。
土日の更新はお休みします。




