66 廃屋の主
グレゴワールは王都のはずれ、人の通わぬ地にある崩れかけた廃屋を訪れた。
呼びつけた男はその最奥で、禿頭を床に額づける姿を見下ろした。
王妃に向ける恭しさと同じだが、グレゴワールにとっては全く異なる心よりの忠誠の表れだ。
そうでなければ、と壁を背にして座す男は厳しく見極める。──我らの企みが成せる筈もない。
「王宮に潜んでいる者より知らせがあった。お前の起こした波が宰相に及んで、魔道士長が国の防御を強化するよう命じられたそうだ。併せてフォス公爵の援助がある」
「それは。鈍い魔道庁にはない迅速さで」
うっそりとグレゴワールは言う。しかし暗い瞳が意外そうに見開かれて、この動きが想定外のものであると告げていた。
「魔道士長が指揮を取る、大掛かりな調査が為されるだろう。王居をうろつく不審な者は炙り出されよう」
「魔道士長など、私の敵ではありませぬが」
「実際の力の差異などどうでもよい。お前は、しばし表から去れ」
「去れ、とは」
こちらを仰ぐ貧相な顔にわずかばかり不満が滲む。恐らく、対象の心のうちに深く入り込んでいる手応えがあるのだろう。
それは重畳。だが周囲にこの関係の真の意図を気取られてはならない。
永い年月をかけた企みを果たすのが我らが使命。たかが一人の魔道師の意地などどうでもよい。
「ひとまず、東の宮から距離を置け。さすればあの女は心細さにますます精神を揺るがす筈」
「思いあまって公爵に頼るかもしれませぬ」
「よい。あの公爵は国の権力を握るには長けているが、思考が合理的だ。王妃がいかに訴えようとも理で判断する。第二王子が唯一の後継ぎと認められている現状を鑑みれば、動かぬ方が賢いとな。
それは正しい。が、女は正しいからと満足はせぬ。宥められても不安の火は消えぬであろう。災いの火種は日々育っておるのだからな。時を経るまま王妃の疑心暗鬼の闇も膨らむ。そういう形のないものが制御を失った際の恐ろしさを、あの公爵殿は知らぬ」
「では、王妃を我らから手放してよろしいので」
それでも納得のいかぬグレゴワールに男は告げた。
「王妃には別に人をつける。──だ」
「あの娘を」
グレゴワールはその名に思い当たって眉をひそめた。
無理もない。こちらの手のうちではことに地味な若い女。姿も中身も取り立てて優れた特徴のない小娘だ。
だが、あれを王妃の側につけるのは優先事項だ。この魔道師はわからずとも。
「お前の不在の間の連絡係とでも言って押しつけろ」
「それでは頻繁に呼ばれてしまうのでは」
「構わん。いかに懇願されようと、こちらの支度が整うまで、数年は放置してしまえ」
「しかし、」
役立たずの娘が放逐されては、王妃を囲い込むのに二度手間になる。
そう懸念を口にするグレゴワールに、男は首を振った。
王妃はこの魔道師に繋がる糸は断ち切れない。既に一度その手を取ったからには、便利な道具は手放せる筈もないのだ。ことに、自らを特権階級と任ずる華やかな寄生虫のごときあれらは役立つ駒を抱え込みたがる。相手を人と思わぬ故に身勝手に。
冷たく任じて、男は遂にグレゴワールを頷かせたのだった。




