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居間に場所を移して、テーブルを挟み三人で向き合う。シャルロットとマクシムは揃ってメラニーの授業を聞くことになった。
「さて、魔物について一般的なお話をいたします」
そう始めたメラニーはシャルロットとマクシムに尋ねた。
「お二人は魔物についてはどのようにお考えでしょう」
「魔力を持った化け物?」
「我々人に敵意を持っているものが多いのでしょうか。言葉が通じない、その、違う生き物?」
シャルロットは何となく持つ印象をあげた。マクシムは言葉を濁した。シャルロットのように化け物と口にせず大人の配慮をしたようだ。
「まあ、一般的な印象はそのようなもので合ってます。ただ実態は少し違うというか。 魔物にはいろいろな種があります。自己の意識や意志決定があるのかも不明なただの黒い霧のようなものから、小さな虫や小動物に似たもの、そして大きな獣や猛獣の姿をしたものなど、形も能力も多様です。鳥や水生動物など、我々が家畜にしたり有用動物として共存しているものもおります」
シャルロットは目を瞬かせた。 初耳だ。そんな身近な魔物がいたなんて。
しかしメラニーは聞き手の反応に留意することなく話を続けた。
「ただ、小さくてかわいらしい姿で性質が攻撃的であったり、無害に見えて魔力が高く人を凌駕するものなど、人に有害か容易には判別しにくいこともあります。マクシム殿が遭遇した小鬼は、かなり知能が発達した攻撃性が高い種と見られています」
「人を食べる?」
「食べる種もいます。ただ平時から好戦的で人を襲う我々に害為す種は、古に討伐してしまって、王都はもちろん人の住む町や村にはおりません」
人々が生活の場で偶さか出会う森や未開発の土地に巣くう魔はほぼ無害で、人的被害を被る魔物は国外に追いやられている。普通に日常を営む人々の周辺には、危険な魔物はいない。
ナーラ国の代々の王が国の統治を進める都度、領土を管理し、魔物を人の住む町や村から駆逐した。魔道庁や騎士団の活躍で、表向きは排除が成功し、棲み分けは徹底されたのだ。
「魔物は魔力を有しております。マクシム殿が目にしたという魔は、魔力を池から得て常より強い力を有していたとか」
「池に住んでいた蜥蜴の魔物だ。強い力を持っていた」
「魔物は魔力が生きる核となります。ですから他者から魔力を吸引できたら生物としての強化になり得ます。それは、ただ餌として、また魔物の勢力の拡大、生存のため人を攻撃するのとは異なる行為です。ナーラ国の人々の一部は魔力を持っている。その身を襲うのは身体を、肉体を奪うというより、人の持つ魔力を身内に奪い去りたいという欲求の方が多いかもしれません」
「──」
二人、しんとして聞き入った。
「魔物は魔力持ちの人を襲い、力でもって奪うのですが、稀に人語を解し人と意志疎通ができる高位の魔物が存在します。そういう魔は、魔法使いを殺すのではなく心を絡めとり魔力を我が物にするとか」
「怖っ。それ、本当の話?」
「はい。高位の魔は姿を自在に変えられる者もいて、美しい容をとるとか。故に人々が魅せられて、密かに崇拝したり迷信めいた信仰を抱くそうです」
ただ、それは滅多にあることではない、とメラニーは言う。
「数多く生息している弱い魔は基本、魔力を渇望はしていますが実際に魔力を人から奪うことはありません。自然界にある微弱な魔力の残滓を集めることはしますが。受け入れる魔物にある程度、力がなければ過剰な力を受け止めきれず自らが滅するからです。ですから基本的に魔物も容易には人々を襲うことはしません。特に、ナーラ国が大々的に魔物を排除した後は。
それでも高い魔力は魔物には魅力的です。本能的に引き寄せられると聞きます。ですから隙あらば、ということはあるのです」
「じゃあさっきの、人が魅了されるような魔物は伝説みたいなもの?」
「過去にはあったという話ですが、魔物が人と関わることが滅多になくなった現在ではほぼ耳にしません。魔物が出没したという報告すらあまり上がらなくなっておりますから、日常では魔物は遠い存在になって久しいのです」
領土のほとんどを管理し、人の住む町や村では魔物を追い払った。
「では、泉に小鬼達があれ程出没したということは、我が国の守りが揺らいでいる?」
「という見方もあり得ます」
マクシムの指摘にメラニーが頷く。
「滝壺の中から出てきた蜥蜴は、以前からそこに居着いていたのだと思います。でも小鬼は、魔道庁の防御が弱まった狭間に入り込んだのではないかと」
蜥蜴の魔よりも小鬼の方が力は劣っていようが攻撃的だったと聞いている。 ちらりと隣を見ると、目が合ったマクシムが頷いた。
「小鬼よりも強い魔物が積極的に魔力を渇望 していくようになったら、ナーラ国の魔力を保有する人々の身は危険に晒されることになります。それはある意味、常に隣り合わせのものでしたけれど、防御壁の外とはいえ王都の近くでこのような有り様とは思いもしませんでした」
小一時間、メラニーは魔物について語って臨時の授業を終えた。大まかな内容で申し訳ない、実際に目にしたことがないから机上の知識だけ、自分の知っているのはこれだけなのだ、と謝罪の言葉を残して。
シャルロットは予定外の座学で頭がぱんぱんになっていた。それでも興味深い話だったので夢中で聞いてしまった。
魔物。
シャルロット自身は目にしていないからあくまで話の中、本の中の生き物だ。それでもルイやマクシムは実際に遭遇して戦った。現実の出来事なのだと自身に言い聞かせる。
マクシムはと言えば、やはり思うところがあるのか少し考え込んでいるように見えた。
残された二人でサロンに移って、残りの時間で剣の稽古をするために素振りを始める。
しばし無言で剣を振った。 無心で腕を振っていると気持ちが静まり感覚が研ぎ澄まされていく。頭が冴え冴えとし、何処からの攻撃にも対処できそうな気持ちになる。その瞬間がシャルロットは好きだ。
一心に剣を振るい、ようやく手を止めた時には、かなりの時間が過ぎていた。 顔を上げると、既に回数をこなしたマクシムが手拭で汗を拭いていた。額に滲んだものに気づいて、シャルロットも手拭を取る。
「マクシムは力も強いし、やっぱりさすがだな」
「力があっても使いこなせないと。シャル様は型が崩れないから重心安定してる。軽さを生かして戦うのも有効だ」
「ありがと。でもマクシムには敵わないよ」
言って額の汗を押さえる。 用意されていた水差しから水をカップに注いだ。
「ふぅ、疲れた」
一息に水を飲み干して、人心地ついた。
改めてメラニーから聞いた話を整理したくなった。隣で剣を再び取ろうとするマクシムに声をかける。
「どう思う?魔物のこと」
「森の中は、かなり侵入をされてる、魔物の棲みかになってると思います。それがどの程度かはわからないけど」
「そうだね」
「魔道庁の護りがなんで効いてないのか、その辺はジュール殿とかロラン宰相や父が調べると思う」
「うん」
「でも王居の防御は完璧に維持されているから、魔物はここには侵入できない。宮邸を襲えるのは今のところ魔ではない」
「つまり、人間の方がよっぽど怖いってことか」
「はい。魔物を倒すためには剣に魔法をかけてもらう必要があったけど、人間なら普通に戦える。だからやっぱり、稽古が一番意味のあることだと俺は思います」
「だよね。やっぱり練習がんばろう」
言って、シャルロットは気になっていたことを口にした。
「ねえ。メラニーの魔法ってどんな感じなの?マクシムは前から知ってたの」
「あ、あー、あれか。いや、全然知らなかったです」
マクシムは頭を巡らせて思い出したようだ。
「メラニー殿の声が聞こえてきたのは騎士団の仕事が終わって片付けの最中で」
「いきなり聞こえたんだ。驚いた?」
「びっくりして、空耳かなって」
少し周りを見回してしまった、とマクシムは言う。
「騎士団ではあんまり魔法使う人もいませんし」
「そうなの?」
「もちろん任務の必要に応じて使用するんですけど、見習いレベルだと全然関係ないです。あくまで剣が主体なので」
「騎士だもんね」
「はい。それできょろきょろしてたら、また声がして。伝達魔法です、お知らせがありますって」
「うわ、すごい」
「それで何となく聞かなきゃな、って静かに耳をすませてメラニー殿の言われることを聞いて。魔物のこと教えてくれるって言うので、俺急いで向かいますって言って。それで終わりです」
「はあ。魔法、本当に便利だね」
「はい、すごいです。こちらに向かう途中、父に会ったんです。メラニー殿の能力はかなり高いみたいで。父の話だと今はジュール殿の従者、レミ殿とも連絡が取れるようにしているそうです」
「それって」
ルイにも聞いた、森まで同行した魔法使いの側近の名前だ。
「もちろん、あの襲撃事件を受けての措置です」
シャルロットの知らぬ間に周囲の大人はいろいろ動いているようだ。
「ロラン宰相もアンヌも、最初から能力をわかっててメラニーとクレアを宮邸に採用したのかな」
「だと思います」
ロランの推薦で、アンヌはメラニーとクレアを宮に入れた。
「アンヌの人選ってちゃんと意味があるんだね」
「そりゃあ、アンヌ様のやることは間違いないですよ」
「だね」
当然のように言うマクシムにシャルロットは頷く。
ダンス専門の教師を招く話は立ち消えとなった。宮に新たな人を入れるのを避けたのだ。今後もクレアが指導するという。がんばります、と明るい侍女は茶色の瞳に決意を漲らせていた。
守られている。
でも、だからこそ自分も力をつけて戦えるようにしたい。 マクシムに告げるとちょっと呆れたように溜め息をついた。
この前のヘマのせいで 皆、シャルロットが前に出ようとするのに良い顔をしない。ただマクシムはシャルロットの気持ちをわかってくれるから。少し間をあけたけれど、いいですよと言ってくれた。
「うーん、じゃあ今日はちょっと変えて自由に、不意打ちありでやってみる?」
「うん、何でもありの打ち合いもやろうよ」
「面白いかも」
二人で盛り上がって、その後の稽古は熱が入った。




