63 眩惑
襲撃事件の後処理も終わり、ロランの隠蔽工作が完璧であると皆が感心したのは二週間程の後。
ジュールの目眩ましと口裏を合わせた宰相閣下の事実認定や報告は、詳細であるにも関わらず、真実に殆ど掠りもしていなかった。襲撃の事実は欠片もなく、ただ私用で宮を訪れたアルノーがにわかに倒れ、その場が王子王女の住まう邸であったことからブリュノまで滞在して少々騒ぎとなった、と。
事実を知る王妃やその一派は沈黙を守り、故に全ては些細な事として人々の記憶の片隅に追いやられた。
シャルロットの顔を覆う包帯が取れたのは、さらに時が過ぎてからだった。
部屋にはルイとアンヌ、侍女二人が集っていた。
シャルロットがベッドに腰掛けたところで、クレアがそっと布を外していく。くるくると巻き取られて隠されていた素顔が皆の前に現れた。
「痕が、残ってる」
取り繕えない落胆の響きがルイの声に滲んだ。
額を割り顎を切った剣先は肩口を切り裂いて終わっていた。
額がぱくりと爆ぜたことを思えば、白く薄い線が一筋、額と顎を走っているなど些細なものだろう。しかしこうして完治してみれば、シャルロットの綺麗な白い肌に瑕が残っているのは何より腹立たしい。普段見える箇所でそれだが、服に隠れた肩の傷はもっと無惨だ。赤黒いみみず腫れのようなひきつれが未だに濃くあった。
ルイの胸に悔恨の念が込み上げる。
「白粉をはたけば」
俯いたルイを気遣ってか、クレアがそっと提案するが、当人はあっさり一蹴した。
「いらないよ。稽古してたら汗で取れちゃうし、臭いからいい」
実際、白粉を丁寧に塗ったとて、シャルロットが動き体温が上昇すれば、傷は赤く浮かび上がり白い粉と相まってむしろ目立つことだろう。ただじっと部屋にいる、大人しいお姫様ではないのだから。傷のせいで行動を制限されるのが一番厭うことだ。
傷が濃くなるのを避けるため日焼けを防ぐことだけを、シャルロットは承知した。
それすらも気楽な態度の当人は気にした風もない。ようやく剣の稽古が許可されたのでむしろ機嫌が良かった。
「痛くないし体は元通り動く。ルイのおかげだよ。ありがとう」
余程悲愴な顔を見せていたのか。むしろシャルロットに気遣われてしまう。
「ルーイ」
手招きされ、座るシャルロットの元へ歩み寄ると、ぎゅっと抱き締められた。
「そんな顔しないでよ。治ったからまた剣の稽古だって食事だって一緒だ」
「でも」
言い返すルイに、何が楽しいのかシャルロットは明るく笑った。
「なあんだ。髪が短くても変わってない。うん。ルイ、大好き」
「何、それ」
今の状況からずれたことを言われて眉をしかめた。シャルロットは堪えた様子はない。嬉しそうなままだ。
「ううん。でも本当に気にしなくて良いってば。あれだけの怪我が治ったんだから」
シャルロットが口にする通り、命の危機に陥る程のその身を割る深い傷は、痛みも後遺症もない回復をみせていた。ルイの治癒魔法の成果であったのは間違いない。
だが顔を見れば傷が目につく周囲の者には、強い悔いが生まれる。
特に、目の前で怪我を負うのを防げなかったルイは自分を責めた。
事前に経過を告げられ覚悟していたとはいえ、実際にシャルロットの額を走る傷痕を見ると心が痛んだ。
そんな胸に刺さる棘を、魔法の演習を行っている中、ルイは思わずジュールに吐露してしまった。するとしばし沈思した後、シャルロットの傷の詳細を問われた。予後の経過と共に傷の大きさ長さも綿密に。
話を聞いた後、間を置かずジュールはルイを伴って宮邸に赴いた。
メラニーとクレアと共にレッスンの時間を過ごしていたシャルロットは、突然帰宅した兄と共に現れたジュールに驚いた。しかし、かつて日焼けを防いだ遮蔽魔法の威力に強い信頼をおいていたので、笑顔で迎え入れた。
「どうしたの?ジュール殿が来るなんて」
「突然押しかけて申し訳ない」
ジュールは詫びるとメラニー達の了解を得て、シャルロットをソファに座らせた。
「失礼いたします」
跪いて、シャルロットの額に左手を翳す。
その後に起きたことに一同、息を飲んだ。
ジュールの掌から軽い圧を感じたか、わずかに体が後ろに揺れた、後。
シャルロットの肌が雲母のような鈍い光を帯びた輝きに包まれたと感じた後、ふわりと光の粒子が舞ったのだ。
そして。
皆は目を疑った。ルイは目の前の光景が信じられなかった。
光の魔術とも呼ぶべきか。特殊な光の粒子がシャルロットを取り巻き、乱反射して肌を輝かせる。淡く真珠のように輝く白い肌に傷痕はない。
「これは一体…」
「シャル様の傷が、消えました」
クレアが漏らした言葉に、え、とシャルロットが額を手で触って首をかしげた。
「いや、殿下。残念ながら治癒はしておりません」
事態が飲み込めない曖昧な顔をしたシャルロットに、ジュールは首を振った。
「え、でも」
「元通りのお肌が」
「傷はなくなっております」
ルイ達が声をあげたが、傷を消してみせた魔法使いは頷かない。
「眩惑の術だ。近寄ってみるがいい」
言われてルイは、シャルロットに息がかかる程の近さで顔を覗き込んだ。
「あ」
きらきらと淡い乱反射で紛れているが、白い額には見慣れてしまった一筋の線が浮かんでいた。視線をずらせば、顎のところにも線は変わらずに存在した。
「禁忌ではないただ高位魔法だな。しかも永続的ではないものだ」
さらり、とまたも左手を閃かせると、シャルロットを取り巻いていた真珠色の光が霧散した。
「「まあ…!」」
アンヌ、メラニーとクレアが感嘆の声をあげる。
光の魔術ではない。光の魔法は万物を正しい形に戻すもの。
これは眩惑の術。人の目を惑わして視界に映る画を惑わす力。
それでもルイは魅了された。
治癒が追いつかないのならこれを。シャルロットがいずれ人の目に晒される場に立つ頃には、ジュールの手を借りずとも自分がこの術を施せるようになりたい。
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書庫へ通う日常に戻ったルイは、ジュールに乞い特に技を磨くことに専念した。
望みを叶える為に。
シャルロットが外の世界に出た時、華やかな光が彼女を包み、眩い姿に瑕の一つも見えぬように。一つの誤謬もなく、完璧に。
人体の完璧な再生、さらなる高度な治癒の術を身に付けるには力が足りない。だからせめて、シャルロットが外の心ない者達から無用な謗りを受けることがないようにしたかった。
先にシャルロットの傷を綺麗にした魔法は、ジュールがかけたものとしては不完全だった。近寄れば傷は見えるし、術の有効時間もある。
永続魔法ではない、とジュールは軽く告げた。
だがこの欠けた点が、人の姿を一部とはいえ変幻させられる高位魔法が禁忌ではない所以だ。この魔法の本来の作用では永続的にかけられるものも、また至近でも完全に欺く術もある。ジュールは恐らくそれを習得している。
だがその行使は許されない。
許可魔法の規制。
貴族同士の婚姻が彼らの権勢に大きい意味を持つこの身分社会。釣書の内容で当人の価値が変動する世界で、容姿を変えられる魔法は制限が必要だった。実像を判別できぬような継続的な魔法を人にかけるのは禁忌に入る。外見を魔力で変貌させることは事細かく制限される。
などと堅苦しくあげているが、つまりは傷物や容貌に難のある未婚子女を魔法で誤魔化して高値で売りつける、結婚詐欺紛いの縁談の阻止、それに伴う貴族間の紛争の防止。
ジュールレベルの魔道師は、恐らく永続的に周囲の眼を惑わす術をかけられる。治癒魔法は得手ではない、とのことだが眩惑の法は高位魔法で駆使できるのだろう。禁忌であるから行使しないだけ。
成長と共に、ルイはそんなこの国の綺麗ではない裏側の実態も知ってしまう。
魔法を駆使する者が支配する、ナーラ王国。
しかし内情は、国の頂点に立つ王は魔力を持たず、王家の力の源泉の周囲は魔道庁の管理不行き届きで魔物が出没する始末。魔道の発展は貴族のエゴで歪み、庶民への教育普及は制限されている。
不安定な世はどうなるのか。
ゲームが始まって、主人公が全てを救っていくのか。
わからない。
ルイは今出来ること、魔力魔術の研鑽を重ねることに力を注いだ。
土日の更新はお休みします。




