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プリンス・チャーミング なろう  作者: ミタいくら
2章
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60 魔道士長


魔道庁の士長であるトマは、国の要職に就いているとはいえ仕事の現場は王宮にない。普段は王宮の南、官僚が政務を行う官庁の奥にある魔道庁舎にいた。

だが半月に一度、定例報告の為に王宮に伺候する。大抵は何事もなし。内務大臣に挨拶をして、細かい魔道士の出動記録や魔物の掃討結果は書面で提出するだけで仕舞いだ。後日決裁された書類が下位の官僚から戻ってくるが、不備が無ければトマの元に連絡もなく下の者が処理するだけだ。


この日もトマは王宮に詰めていた大臣に簡単な魔道の話をしただけで、書面を侍従に渡すと用は終わってしまった。

王宮の権威を示す豪華さと大きさには、トマは年を重ねても慣れることはない。地位で言えば高官の部類に入るが、姿は灰色の髪がパサつく、取り立てて優れた点のない冴えない中年の男だ。魔道士の印である暗灰色の長衣も含め、国の粋を極めた大理石の床や金細工を施した設え、絹張りの壁などに圧倒されて、場違いな気持ちがどうしても拭えない。

魔道士長として、居心地の悪さを抑えてもっともらしく伺候してるが落ち着かないのだ。だからいつも最低限の滞在で、巣である魔道庁に戻るのだった。

この日も、トマは速やかに魔道庁に向かう為に踵を返した。筈だった。



「トマ魔道士長、よろしいかな」

狙い済ましたかのような。

タイミング良く現れた姿に悪い予感がした。

ロラン宰相。

国王から国政の全権を任されている、実質的な国の為政者。

ごくりと知らず喉が鳴った。

「宰相閣下が私にご用とはいかなるものでしょう」

「ここでは少々…」

トマの問いに言葉を濁して、ロランは王宮の奥へと誘う。

拒むことは出来ない。壮麗な建物の宰相に与えられた一角、そのさらに深部に向かう背中を追った。しかし使用人が利用する通路に足を踏み入れて、トマは戸惑った。宰相が省庁の長を誘うに相応しい場ではない。

何がこの先に待っているというのか。不安が身を襲い自然、足が迷い、遅くなる。

後ろの足取りが遠く離れるのを察したのだろう。ロランが声を発した。

「このまま。トマ殿の御身の保障はお約束する」

そこまで言われては付いていくしかなかった。灯りの乏しい薄暗い狭い廊下を進む。

と、先を行くロランが立ち止まった。目的の場所に着いたようだ。背を屈めて小部屋の扉を開いた。

「こちらを見ていただけますでしょうか」

ぼうっと宰相の掌に灯りが点る。

ああ、宰相閣下も生活魔法は行使されるのだな、とぼんやりとした感想が浮かんだ。

わずかな親近感。張り詰めたものが解けたトマは、何の構えもなくその手が指し示す部屋の中を覗き込んだ。

「ひっ」

思わず、声が漏れ出た。

光を纏った指が示した床に大きな塊があった。大きな、人一人の質量のそれは、紛う事なき人間の身体。

ロランは掌に湛えた灯りを大きくした。橙色の光に照らし出されて、その姿は腰の引けたトマにもよく見えた。

「これは…」

状態保持魔法をかけられているそれは、苦悶の表情を浮かべた男の骸だった。暗灰色の干からびた服が身体に巻きついていた。

「十日程前にこの者は殺された。魔法の禁忌、下法によって」

「なんと」

遺体に対する怖じ気より、禁忌の魔道が使われたという点に心が向いた。トマは顔を引き締めてロランを見た。

「公けには出来ぬが。この男は闇の依頼を果たそうとして成し得ず、その場にて突如絶命した。任務に失敗した折の口封じ、息の根を止める呪をかけられていたとみえる」


十日前、詳らかに出来ぬ事件。

その期間に王居で起きた不測の事変といえば、王の側室腹の子が住む宮でアルノー卿がにわかに病を発した騒ぎが起きたくらいだ。一時は、引退した将軍まで駆けつける大仰な対策が取られたが。目の前の骸がそこで発見されたのならば、表に出ている以上の口に出せない事情があったのだろう。

元将軍が必要な程の。

王族の住まう場で起きたからと、宰相自らが動いて事の対処にあたっていたのはそういうことだ。

隠された裏にあるものがぼんやりと見えてくる。

「トマ殿にはおわかりになるか」

言われて、トマは引き寄せられるように骸の前に跪いた。

「保持魔法は、宰相閣下が?」

「いや、私の部下でそちらに長けているものがいる。彼に頼んだ」

「かなり、高度に状態が維持されています。部下の方は優秀だ」

「そうか。この状態のままで調べられるかな」

「保持魔法の要素で判じは難しいですが、何とか」

「うむ、どうだ」

トマはゆっくりと骸を覗き込んだ。既に死体への嫌悪より、下法が施されているかを知りたい欲求が強くなっていた。

醜く歪んだ表情から意識を反らして全身の視認を終えると、恐る恐る手を伸ばした。至近に掌を当てて、微弱な魔力を骸に放つ。パチパチと小さな反発を感じた。

常に馴染んだ魔道とは異なる発動。トマが触れ得ぬ未知の魔法。

恐らく、

「これはまさしく」


「何をしておいでか」

言いかけた先を、びんと張った声が切り裂いた。

トマは飛び上がりそうになったが、ロラン宰相は落ち着いた態を保ってゆっくりと振り返った。

「これはフォス公爵閣下。わざわざこちらまでお運びとは珍しい」

「珍しい組み合わせのお二人が奥へ行くのをお見かけしたので。それで、何をしているのだ」

フォス公爵は、言うまでもなく国一番の大貴族で王妃の実家、その実兄である。

そして、トマの後ろ楯だ。公爵家の引き立てがなければ、貴族としては下位の一介の魔道師が魔道庁のトップになることもなかっただろう。

トマは言いかけていた言葉を引っ込めて様子を窺った。

急いで追ってきたのだろう、公爵の珍しく緊張した面持ちを見れば、不用意な発言は控えるべきだった。

宰相はといえば、特に気にした風もなく落ち着いている。不意打ちに簡単に動揺するトマとは大元の出来が違うのだ。

「あまり、見ても気分の良いものではない」

すっとロランが灯りを大きくした。トマは急いで影となっている自身の身体をずらした。公爵の視界に骸が入る。

フォス公爵は一目見るなり嫌悪の色を浮かべて口許を手で覆った。

「なんだ、これは」

ざっと後ずさってロランを非難するように見た。

「宰相殿。王宮にこのような不浄のものが在るのはいかなるわけか。魔道士長をここまで引き入れたのは貴殿であろう。つまりこの死骸は、宰相殿が所以の者というわけか」

「不浄の者を引き入れたのはお詫びいたす。しかし、この者は重大な事件の実行犯なのです。しかも、現場で死に至った。それは命を下した者の口封じと私は見ております」

「なん、だと!?」

謝罪の言葉から一転、語られた事実に公爵は顔を険しくさせた。

「重大な事件とは、どのような。宰相殿はご存じなのか」

「十日程前に、ある場所でこの者は人を襲った。何者かに雇われての決行と思われるが、事は成らなかった。失敗し捕らえられるかというその場で、男は禁忌の魔道で苦悶の末死んだ」

「…それで、その魔道の種や遣い手は辿れたのか」

低く探る口調。その視線が魔道士である己に向けられているのに気づいた。問い詰められているのは自分だと悟って、トマは注意深く答えた。

「いえ、私の判じでは禁忌の下法であるとだけ」

「それはまことか。トマ殿の見立てではそれ以上のことはわからぬと?」

横からロランが質す。

「は。先程言いかけたのはそのことで。保持魔法がかけられているのもありますが、私は闇魔法には元々見識がないのです」

「それは…魔道庁の長としていかがなものかな」

ロランの懸念はもっともだった。実際、トマの弱みでもある。

「申し訳ありません。私は禁忌の魔道には手を染めていないのです。ただ、魔道士長として、行使された下法を阻止する力は常に維持するよう努めております」

「成る程。魔道士長の信条はわかりました。貴方のお力はこの国においては絶大。今後も期待しております。

ただ、今一度、魔道庁にて下劣な考えを抱く者、禁忌の魔法を試みる者が国に蔓延らぬよう監視を強化願いたい。さらには王都、魔道庁が防御壁を巡らしている場において、不測の事態が起きぬようよくよくお改めいただきたい。いかがか」

「それは、もう」

宰相閣下が魔道庁の現状に何か不満を抱いているのはわかった。回りくどい奥歯に物の挟まったような言い方だが、トマに、魔道庁の管理に改善を求めている。それ程に、国内で魔道の不備が、綻びが生じているのだろうか。

「魔道庁に戻り次第、魔道士を集めて担当の地域をさらに重点的に目配りするよう通達致します」

「よろしくお願いする」

宰相の意図に叶おうと、出来得る限りの対策を提示した。次第点とは決してなるまいが、ロランは頷いてくれた。


一つ話が終わったと見て、二人の会話を黙って見守っていた公爵が、口を開いた。

「宰相殿。それで、この罪人はこれからいかがするのかな」

少しばかり早口だった。本当は一番に確かめたいことであったに違いない。それはロランも承知の上だったろう。ふ、と笑みをわずかに浮かべて言った。

「特に何も。奇しくもこの者の存在、禁忌の魔法の行使の事実を、トマ魔道士長だけでなくフォス公爵閣下にもご承知いただきましたので、これ以上は。罪人と言えども死者。死して既に十日以上過ぎております。さすがに埋葬してやらねばなりますまい」

「そうだな。それが良い」

これ以上の追求はしないとのロランの明言に、公爵の固い顔から力が抜ける。強く頷くフォス公爵の整った顔に安堵の色を認めながら、宰相は知らぬ素振りでトマに向き直った。

「トマ殿のお力でもって国の魔道が悪しき者を排除し、二度とかのような下法が使われぬよう望みます」

「それは確かに。私も心より願う」

公爵の言葉は真実であったに違いない。


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