58 目覚め
眠りに飽いた、とぼんやりとシャルロットは思った。
ぽかりと浮かんだ気持ちに気づいたら、忘れていた目覚めを身体が思い出したようだった。にわかに意識がはっきりとしてもぞりと身体を動かしかけて、自分の身が張り付いたように固まっているのを知る。それから、頭と上半身が布できつく締め付けられているのに気づいた。
え?
驚きを口にしたつもりが、ひび割れた唇がかすかに震えただけだった。
ぱちぱちと瞬きをしたら、かすかに瞼が開いた。ぼやけた光が目に入り眩しく思う。
「シャルっ!」
馴染んだ声。だが誰よりも知っているはずのルイのそれは、悲鳴のようだった。
何でかな。
のんびりと思うシャルロットは、意識を取り戻して怒涛の現実に巻き込まれるのだった。
片目は半分布に覆われ視界が狭い。何とか開けた瞳が焦点を結んで最初に映し出したのは、もちろんルイだった。少しだけ目の辺りが落ち窪んでカサカサしていたけれど、いつもの綺麗で大好きな一番。
それから見ただけで安心できるアンヌ。後ろに控えている常の姿にほっとする。
だがそこから、ルイの息継ぎすらない言葉の奔流を浴びることになる。
シャルが目覚めて良かった、皆心配していた、本当に起きるか不安だった、アルノーが力を貸してくれた、ジュールが助けてくれた、マクシムはすごかった、アンヌがロランがメラニーがクレアが…。
シャルロットが倒れていた間の全てを語ろうというのか、ルイの話に終わりは見えない。
遂に疲れてしまったシャルロットを見てアンヌの制止が入って。メラニーの手により、半ば強制的にルイが部屋から退出させられていった。
静かになった部屋でぐたりとベッドに埋まっていると、アンヌが囁くように言った。
「本当によろしゅうございました。シャル様がご無事で、ルイ様も安心されたのでしょう。シャル様が危うい折のルイ様のお姿は痛々しい程でしたから」
ああ。
心配をかけた。
「ごめんね、アンヌ」
絶対にアンヌは口にはしないけれど。彼女自身がとても心配して責任を感じてしまったに違いないから。頬も片側は布で覆われ喋りにくい。だがせめてもと形にした。
音にしたことで意識がすとんと落ちたから、その時のアンヌの顔がどんなだったかは知らない。
丸一日経って、シャルロットは身体が回復してきているのを実感した。ベッドに転がっている無傷な脚をバタつかせる。シーツがまとわりつくのを蹴飛ばしてシャルロットは暇な時間を潰していた。
ルイは頻繁に会いに来ていた。
起きて話せる時間が増えて、シャルロットは目を開けた時から気になっていたことを最初に訊ねた。
「ルイ、その髪どうしたの?」
示し合わせていたわけではない。だが生まれた時からずっと自分と同じくらいの長さ、常に肩にかかるくらいに散っていた金髪。
それが兵士のように短く刈られていたのだ。
「切ったんだよ、シャルが目を覚まさないでいた間に」
「どうして!」
シャルロットは驚いた。髪が短くなったのは目で見てわかっていた。だが何故自分が知らないうちにそんな勝手をしたのか。
「ひどいよ。相談もなしにそんな短くするなんて。私と随分と長さが違っちゃった」
顔の半分を覆う包帯をものもともせず、シャルロットは強い口調で詰った。語気の強さほど怒っていたわけではない。
ただ揃いでいることが当たり前で、それが二人の普通だったから。ほんの少し受けた衝撃をぶつけたかった。
責められたルイは優しく、ごめんね、と言うだろう。そう思った。
しかし返った答えはひどく素っ気ないものだった。
「別に自由だよね。僕とシャルが同じ髪でいる意味なんてないんだから」
「え、」
「僕は王子で、シャルは王女だ。同じじゃない」
シャルロットは予想外の強い反応に狼狽えた。ルイはベッドのシャルロットに合わせるように屈むと瞳を覗き込んだ。
「約束して」
「何を?」
いつにない強引さに押されて、たじろぐ。
どうしたのだろう。何を言い出すんだろう。
「シャルは髪を伸ばして。今よりもっと長く、腰くらいまで」
髪を切ったルイと全く逆の姿が良いという。
シャルロットは愕然とした。
これまでずっと外見をお互いに寄せていたのに。髪色は成長するに従って違いがでてきたから、長さだけは同じでいたかった。違えていく容貌に沿って気持ちまでもが離れていく気がした。
何か理由を。
ルイの望みを止める理由が必要だった。焦ってシャルロットは反駁する。
「でも。邪魔だし面倒くさいよ。稽古できなくなる。そんなの、嫌だ」
捻り出したのは剣の稽古に相応しくない、という些細なもので。
「メラニーに結んでもらえばいい。崩れたら僕が直してあげる」
ルイに簡単に封じられてしまう。にべもない口調には譲る気が僅かもない。
「でも」
「シャルが伸ばさないって言うんなら、僕はもっと短くするよ」
「……」
それはほとんど脅しだった。ルイの綺麗な金髪を何より気に入っていたシャルロットは、反論の術を失くした。
「──わかった」
そう言うのがやっとだった。
「それから」
まだあるのか。
嫌な予感しかない。
シャルロットはのろのろと顔を上げた。包帯のせいで視界が限られ、ルイを正面から見ることができない。だがこんな気持ちではそれがむしろ救いだった。
「部屋。シャルと僕、今度から分けてもらうようアンヌに言ったから」
「何それ」
「もう一緒に寝る歳でもないだろ。いい機会だし、シャルと別々の部屋を作ってもらった。メラニーとクレアが荷物も運んでくれたから、シャルも動けるようになったら見に行きなよ」
ルイは淡々と告げる。
これもまた二人の大事な部屋のことなのに、知らないうちにアンヌやメラニー達と示し合わせて勝手に進めてしまっていた。
シャルロットはひどくショックを受けた。
こんなにも自分を無視した真似をするなんて。
今までにないひどい態度だと思う。だがその理由に思いあたることがあった。
ルイは怒っているのだ。自分がうまくやれなかったから。襲撃者を挑発したのに返り討ちに遭った。剣術ができると鼻にかけていながら、へまをして皆に迷惑をかけたから。こんな包帯だらけの有り様になったから。
悔しくて自分に腹も立って、シャルロットは下を向いた。布で巻かれた身体が惨めに思えて、視界に入った毛布を両手で絞りあげるしかできなかった。
───────────────────────
「シャル、驚いていたな」
シャルロットの部屋を後にして、ルイはひとりごちる。
自分の冷たいともいえる態度に呆然とした顔を思い出す。少し心が痛んだ。
ここまで強引に意志を通したのは、大昔の宮邸からの脱出以来だと思う。
瀕死の重傷から目覚めたばかりのシャルロットに対して酷なやりようだった。だが髪も部屋替えも譲るつもりはない。
目覚めた本人は治癒魔法によって痛みをあまり感じないから自覚はない。だが頭も顔も、そしてベッドに横たわる夜着に隠された肩も包帯で固く鎧われているのだ。魔法の助けを借りて尚、そうしなければ危うい程、命の危険に晒された。
シャルロットが二度と自分と間違えられて襲撃の対象とされないように。それだけを最優先してルイは行動した。
兄妹で部屋を別にしたいとは、シャルロットが目覚める前にアンヌに話していた。
暗殺者の襲撃。シャルロットの負傷。
ルイが治癒魔法を駆使して、かつての王立魔道庁の士長が禁忌の森の秘匿の魔力を取り込んで不可能を可能とした夜。
遂にシャルロットが命を取り留めて宮邸が安堵の空気に包まれた時。そこで全てが幸せで完結したわけではなかった。
ルイの切迫した訴え、双子の区別を明らかにする意図。「敵」が標的を見誤らないようにという考えは、しかしアンヌからすれば諸手を上げて賛同できるものでもない。
それはつまりは標的=ルイの存在を明らかにして、ただ一人を的にしようというものだからだ。シャルロットを守ろうとするルイもまた、アンヌにとっては大切な保護対象なのだ。
明敏な彼女は恐らく全てを正確に察していたはずだが、口に出しては当たり前のようにこう言った。
「お二人とも順調にお育ちでございますから。そろそろ別でお過ごしでよろしいかとアンヌも思います。お髪については、ルイ様のお好みでご自由に」
そうして、シャルロットが目覚める前にルイの髪はごくごく短く刈られ、双子の部屋は別々になった。
ルイに後悔はない。




