52 森の中
「これは…」
少し手前で馬車を降りた一行は常世の森に着いて。
鬱蒼と木々の暗く繁る先を進んでいくと、ごろごろとした岩が重なる箇所があった。何の変哲もない硬い岩肌。その一つ、窪みの角をジュールは押した。特に力自慢でもない魔法使いが掌を押し当てただけというのに、重い音と共に岩がずれてぽかりと洞窟の入り口ができた。
ルイとマクシムが目を剥いて見つめるのがわかったか、ジュールは振り返り笑んだ。
「私が岩を動かしたのではない。魔術だ。しかもこの鍵となる箇所は、次に来た時にはまた変化している。覚えても無駄だ」
森に入ることが出来て、この岩場まで行き着くことも有り得よう。だが普通の人間には入り口は見つけられない。ルイとマクシムも再訪は不可能だった。
暗い入り口から洞窟に入った。
ひんやりとした少し湿った空気。
暗闇を明るくしたのはジュールの従者だった。光の魔法を掌に発現させて一同の進む先を照らし出した。そこは森の木や草の生い茂る世界とは一変した、石と土で構成された空間だった。
冷えた暗い岩の道を、従者を先頭にジュール、ルイ、最後はマクシムの順で下りていく。
「この先に行きます」
岩肌が整えられていた坂道が途絶え、天井からはつららのように石が垂れ下がっている。石筍も石柱もあって長い年月をかけて浸食されて複雑な洞穴空間があった。
流れ石の壁を見つつ石筍の卵のようなでこぼこを踏み越え地下洞窟を進むうち、ルイの前を行くジュールの背中から苛立ちがのぼる。次第に顔は見えぬのに怒りが伝わってきた。
「魔道庁は、魔道士長は何をしているのか」
遂に吐き捨てるような尖った声が放たれた。
その意は明白だった。
ジュールが告げた通り、この先にはナーラ王国と王家にとって最重要な機密の隔離箇所が存在する。その秘匿の場に至る道は、徹底的に管理され監視と整備と、国に所属する者の手が入っている筈だった。
だというのに。今侵入している不可侵の筈の道が、まともに管理されていないのだ。
ルイも、歩く道が荒れて幾年も人の手が入っていないと感じた。天井から下がるつららが途中で折れて落ちたものが放置されている。岩肌も欠けて崩れたまま、道が大小の石で瓦礫の溜まりになっていて、通路としての用途が果たされない。岩とも呼べる大きさの石を跨ぎ、踏んだ石灰が崩れ足がずれるのを踏みしめて行くしかない道行き。さらに年を跨いで往来がないと示すように、大きな石柱までも折れて道を斜めに塞ぎ、先頭の従者がそっと手で支えて一同が潜り抜けねばならないこともあった。道の所々では水が溜まり、わずかながらも苔むしていて、滑りやすい石のあちこちに足を取られないよう注意が必要だった。
ナーラ国にとって王家にとって大事な泉であるのに、長らく放置されていたとしか思えない。
現魔道士長はフォス公爵の派閥だが、王国の魔道庁の長である。国の要所の管理をしていないとはさすがのジュールも想定外だったらしい。
一旦進むのをやめたジュールがルイを振り返った。
「殿下、お気をつけください」
「ジュール?」
「ここまで魔道庁が管理を怠っていたとなると、本来いる筈のない魔物が巣くっていてもおかしくない」
「魔物が、いるかもしれない?」
「はい」
言ってジュールは列の先に佇む従者を手招いた。
「この男はレミ。私の側付きで攻撃魔法を善くします。特に光と火魔法の力が強い。魔物に有効です」
初めて名を告げられ、影のようだった従者をルイはまじまじと眺めた。
従者、レミは茶褐色の短髪に灰色の瞳の若い男で、ジュールに合わせるような暗い色のローブ姿だ。彼は軽く目礼をしただけで顔を洞窟の先に向けた。
「この先にいるのかな」
背伸びしてレミの視線の先を見通そうとしたが、周囲を照らす光の向こうは闇が勝ってわからなかった。
「王居の防御壁外になるので、魔物は制限なく活動できます。この複雑な地形の何処に潜んでいるか」
そう忠告するとジュールはルイの後ろを見た。
「マクシム殿は剣をこちらに」
言って視線を投げたジュールの動きが止まる。ルイが後ろを振り返ると、マクシムの顔が緊張に強ばっていた。顔色もひどく悪い。
ジュールは声を落として尋ねた。
「マクシム殿は、実戦の経験は」
「ないです」
応えたのはからからに乾いた声だった。
「その年では無理もない。ただ、この先進む中で襲いくるものに躊躇っていたら、命を失う。ルイ殿下もだ。それから、我らの帰還を待っているシャルロット殿下も」
ジュールの言葉に目を見開き、マクシムがごくりと唾を飲み込んだ。
「向かって来るものは全て切り伏せる強い気持ちを。そうでなければ全てが無に帰す」
いかがか。
惑うことを許さぬ強い蒼の眼差しがマクシムを射た。ぎゅっと一度目を閉じて、マクシムはジュールを真っ直ぐに見つめた。
「できます。敵は倒せます。俺は、騎士だから」
「結構。では剣を」
ジュールが求めるように右手を開いた。マクシムは剣帯から外して剣を差し出す。稽古用ではない真剣だ。
「魔物を切り殺せる力を付与します」
右手で支えた剣を覆うように左手が滑る。束の間、ジュールは瞼を伏せた。
空気が一筋揺らいだ。
ルイの目には一瞬だけ剣が光の粒子に覆われたように見えた。
「これで良い。マクシム殿、お願いします」
「はい」
既に光のベールが消えている、元の変哲もない剣を握り、マクシムは力強く応えた。
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