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サロンに意識のない二人と忙しく立ち働く侍女達を残して、ジュールとルイ、マクシムは居間に移動した。
その前に、とジュールは襲撃者の骸を何処かに飛ばしてしまった。
「殿下。これからシャルロット殿下を救うために、ある場所に赴かねばなりません。我らが赴く場、そこでシャルロット殿下の命を救う為に」
「どういうことだ?」
「先程の処置はあくまで時間稼ぎ。このままだと殿下もアルノーも命が消える。その前に二人を助けなければならないのです」
「方法は、あるんだな」
「ああ。今、シャルロット殿下は血を失い生命を維持する力が尽きかけています。だからアルノーの魔力を注ぐことによって今生に繋ぎ止めている。だがそれだけでは足りない。アルノーも魔力を限界まで明け渡しているのでぎりぎりなのです。あれは耄碌しているので本来の生命力は弱いですから」
「それじゃあ」
「ここまでして最低限の命の維持になる。意識が戻らない状態で精々四日保たせられるか、というところでしょう」
「そんな、」
四日、と具体的な日数で限られてルイの心が冷える。
「そして。一度命が消えてしまったら全てが終わりです」
厳しい言葉の先に希望を見出だすと信じて続きを待った。
「私は、蘇生の術は会得していない」
ジュールは断言した。
己の力をもってしても、死んでしまったら生き返らせることはできない、と言う。
「治癒魔法の最高レベルの遣い手ならば、あるいは。ただ蘇生術は公には下法とされて認可されていません。そこまでの域に至った者が在るという話も聞いたことはない」
「ジュールは違うのか?」
「私はその術法の専門ではありません。殿下は私を買い被っておられる。ここまで歳を重ねても未だ未熟者。私は、死者を蘇らせる術は持ち得ないのです」
自身の限界を、冷静に辛辣に言い切る。
「私には精々人の命の維持のために魔力を補うくらいしかできない。しかしアルノーの余剰魔力が多いといっても、人一人の命を繋ぎ止めるには足りない。命が消えるのを先延ばしにするに過ぎない。それだけ、シャルロット殿下から流れ出た命の水は多かったのです」
「じゃあ、どうすればいい?」
「足りない分を得るために、ある場所に向かいます。殿下もご一緒いただければありがたい」
「わかった」
考えるまでもなく反射的に頷いていた。シャルロットの命を救う術がある。その助けになることに自分が必要とされている。それはむしろ、今のルイにとってはありがたいものだった。
ただじっと待つばかりでは平静ではいられない。時間の経つのを喜び、また憎んでしまいそうだった。
「ただし」
ジュールは言った。
「赴く場所、目的は今は言えません。ただ助ける為、という空の約束で殿下には同行していただくことになります」
「それで僕が役に立つのなら」
記憶の中の神様の言葉と革の本の記述で、いずれ否応なしに命を張るような出来事に巻き込まれていくのだと考えていた。
その時、自分はどういった心境で困難に立ち向かうのか。
諦め?役目を与えられて仕方ないから?成り行き、それともやる気に満ちてか。
日々の中でぽかりと思考に空白ができた時、偶さかそんな風に埒もない予想をした。
だが。
今まさに、絶対的に決まった未来を覆すために、未知の場へ赴こうとしていた。
想像とか準備とかそんなものはかなぐり捨てて。恐れや戸惑いを感じないとは言わない。それでも留まるつもりは微塵もない。気は一刻も早くと逸るだけ。
もっときちんと呪語で書かれた文を読み込んでおけば、記述の内容を把握して不測の事態を考えておけばという強い後悔と、自分がもっと剣の腕をあげておけばという腹立ちと。黒く渦巻く負の感情に呑み込まれないよう、心の揺らぎを均さねばと意識する。
一筋の光は「良くやった」というジュールの投げ掛けた言葉。
「殿下の処置はあれ以上ない。最善の選択でした」
それだけが自分が今も崩れず、前へ進もうと力を振り絞る拠り所だった。
あの時の判断が、治癒魔法の作用がシャルロットの命をかろうじて繋いだ。ルイの働きは無駄ではない。
ともすれば立ち尽くし、自己のうちに逃避してしまいそうになるのを叱咤し、ジュールの示す可能性に賭ける。
シャルロットの治癒に繋がるものがある。それはルイにとっても大きな救いだった。
宰相ロランに事件の詳細を告げて宮邸に戻ったアンヌは、シャルロットが命をかろうじて留めていることに安堵した。新たに移された部屋でシャルロットと会い、傷を負った姿ながらも直接目で生存を確認できたのも大きかった。
青ざめた顔色ながらも背筋を伸ばすアンヌに、ルイはジュールと共に「とある場所」に出掛けたいと願い出た。
シャルロットの命を救うため、と正直に告げたが具体的な場所や救うために何をするかも明らかではない。当人が知らないのだから言いようがない。
だがルイ本人すら首を傾げる漠然とした願いを、アンヌは即座に受け入れ快諾した。反対されるだろうと身構えていたルイは、意外な気持ちでアンヌをまじまじと見た。
アンヌはゆるい笑みを浮かべた。
「ジュール殿の判断は恐らく正しいのです。あの方の眼には私共が見えぬモノが見えております。あの方が救える手段があると言うならそれが最善。アンヌは従いましょう」
そこで薄く疲れたような息を吐いた。
「ただ、御身を第一と考えて下さいませ。恐らく、ルイ様は王都のはずれにある森に向かうのだと思います」
「森に?」
アンヌには心当たりがあるようだった。宰相に会いに行ける立場故か、かつて王の近くで母に仕えていた故か。
「ええ。ジュール殿がお連れになるというなら安心でございますが。万一事が不備に終わってもすぐお戻り下さい。
ルイ様まで危うくなったら。アンヌは考えるのも嫌でございます」
宮邸に、さらに訪問者があった。
ブリュノだ。
ロランによって秘密裏に招かれた元将軍は、事件を知って強く憤った。
出迎えたルイに対してかろうじて最低限の礼を保ったが、長年、剣を指南していた教え子の命が危うい現実は、歴戦の将軍に深い衝撃を与えた。
将軍は眠るシャルロットに面会し、額から肩に至るひどい傷に事態の深刻さを悟った。隣室に同じく意識を失って寝かされているアルノーも見舞い、ジュールに治癒の展望を尋ねる。
「殿下の治癒が叶うのは最長でも四日。それが期限です」
「短い。あの森までの距離を鑑みればもっと猶予が欲しい。もう少し長くはならんか」
「アルノーを犠牲にするなら、あと二日は延ばせますが」
目的達成の困難さに時の猶予を願ったブリュノに、淡々とジュールが実情を提示する。
「馬鹿な。アルノーはもちろん救う。当たり前だ」
「ならば。二人共に蘇りのおつもりでしたら、やはり四日がぎりぎりとなります」
いかがか。
ブリュノは唸った。
王女の傷の深さ、失った血液と昏倒した時間を考慮すると、ジュールの措置は最適だった。そして今、作られた猶予の時間でとある手段を成功させるために「あの森」へ向かうことが決まっていた。
ジュールとブリュノの会話で自然と出てきた行き先。アンヌの予測は正しかったとルイは知る。
ただ、その「森」が何なのか、ルイにはわからない。
ジュールがシャルロットの命を救う最終手段と断じ、ブリュノが納得する場所。ただの森ではないのだろう。
しかし森は王都のはずれだという。
往き来するだけでかなりの時間を費やす。ジュール達が移動する距離を考えると、時間はあまりにも短い。ただ往来するだけ、というわけではないのだ。
条件の厳しさに、ブリュノが眉間の皺を深くした。
友の生死をいとも簡単に口の端に上らせて、ジュールは眉一つ動かさない。
己の師の変わらぬ表情に底知れないものを感じて、ルイは身震いした。
「四日で、戻ってこれるのだな?」
「もちろん。森で半日足止めされても間に合いますよ」
重々しい念押しにジュールは躊躇いもみせず即答した。じっとその顔を眺め、深い吐息をついてブリュノはルイに向き直った。
「宮の守護に我が手の者を配すのは無論のこと。アルノーを見舞うという名目で私がしばし滞在して警護にあたります」
暗殺者が死んだとなれば首謀者は事の詳細を知ろうと、あるいは今一度襲撃を試みようと手の者を寄越すこともあり得る。さらなる襲撃を断念させる為、将軍の滞在を明らかにするというのだ。元とはいえ歴とした将軍がいる宮に間諜を放つのは危険が大きい。まして再び暗殺者を派遣するのは無謀だ。成功したとしても事が公けになってしまう。秘密裏に邪魔物を排したい側にとっては諦めざるをえない。
「そう考えれば、四日という短さは幸いかもしれませぬ」
呟いて、これまでただぼんやりとルイの後をついて回っていたマクシムを、ジュールの眼前に押しやった。
「お連れください。万一の際の盾くらいにはなりましょう」
「ブリュノ殿」
「己が身を呈してでも殿下の身をお守りするよう、言いつけてあります」
ばん!と息子の肩を盛大に叩いた。
「王女殿下の側にいたとて、打ちひしがれるばかりで邪魔なだけです。少しでも体を動かしている方が、前に進んでいる、事態が良くなっていると信じられるでしょう。力仕事でも汚れ仕事でも何でもやらせて下さい」
「ご子息は、それでよろしいのか」
言い差して、ジュールはマクシムに向き直った。
「マクシム殿」
悄然と肩を落としていたマクシムはびくりと震えた。
「あ…」
「しっかりしろ!」
「俺は、何も出来なかった」
いつもは明るいマクシムの、見たこともない程弱い眼差しが左右に彷徨う。光を弾いてよく動く瞳は今は暗く陰っていた。
「──襲撃の際の話は侍女殿から聞いた。シャルロット殿下が斬られたのを前にして、お前は混乱したな。だが敵と対峙したお前は、それでも襲撃者を打つにとどめた。激昂しながらも殺さぬよう考えて動いたのだ」
しかしブリュノはゆっくりと事実を提示することで、息子の背を押した。
「お前はぎりぎりの状況の中で正しい判断をした。それは騎士として相応しい振る舞いだ。誇りに思って良い」
ルイには、マクシムの瞳にほんのり光が戻ったように見えた。




