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プリンス・チャーミング なろう  作者: ミタいくら
2章
46/275

45

文中に流血表現があります。

苦手な方はご注意ください。


男は、闇の生業をして久しかった。

手練れとの評価は、仕事の依頼人の地位を高くし報酬も相応にあがった。魔力、魔法の横行するこの国では、それ故に監視の目は厳しく市井はともかく王都、さらには王居のうちとなれば人を害する術を使うことは不可能だった。逆説的に男のような身一つ、世界中で発達した原始的な殺しの技が物を言う。


対象の住まう邸は門前の警備を潜り抜ければ人気も少なく、するすると奥へ進むことができた。この邸に張られた魔法での防御は、物理的な侵入には効かないと教えられていた。

そして遂に潜入を果たした男は、目の前の獲物のか弱さに思わず憐憫の気持ちが湧いた。これは、仕事としてはあまりに容易ではないか。この年端もいかない子供を襲うのはほんの一振りで済んでしまう。憐れなものだとほくそ笑んだ。

無論、恵まれた立場にある者へ、己が力を行使できる歪んだ優越でもある。


白い子供が二人。

奥のソファに横たわるレースを被った子は素通りして、こちらを強い藍の瞳で睨みつける剣を持った子を注意深く眺めた。

警戒も露な顔を向け、右手に掴んだ剣を正面に掲げている。

十ほどの歳の子にしては隙のない構えだが、手にした得物は稽古用の刃先を潰した剣。襲撃を生業とした自分達には縁のない玩具だ。

喉から笑いが込み上げてきた。

こんな愛玩人形など容易く屠れる。

そう思ったが一筋縄ではいかなかった。

子供二人が双子であったことで依頼の対象に迷う。だがまとめて斬ろうと瞬時に決めた。

まずは剣を持つ金髪だ。手早く済ませてしまえと無造作に踏み込んだ。

だが子供だからと軽く振り下ろした剣は、小さな身体に受け止められた。


ガキッと重い金属音に目を見開いた。白い手に握られた稽古用の剣が、低い位置でしっかりと男の剣を止めていた。

特権階級の守られるだけの子供が、まさか。

しかしまぐれにしてしまうことはできなかった。今一度、明確に狙いを定めて剣を振り下ろしたというのに、またも子供が剣で受けた。さらに払い除けられ、逆に剣を突き出された。男が怯むほど容赦ない鋭い突きだった。思わず本気で、必死で応戦していた。

傷を負わせるどころか、自分が押されている。

幾度も打ち合わされる剣。鋭い剣筋に我を忘れた。急所ではなく明確に攻撃力を断とうとする正確な狙いに震えた。

もはや当初の軽い気持ち、余裕は失っていた。

こちらの攻撃は全て弾かれ、隙を見て懐に飛び込もうとするのに、急ぎ手前に剣を引いてしのぐ有り様だ。

このままでは、いずれ人が来て仕事は失敗に終わる。

焦りを覚えて剣を突き出したが、逸ったかもしれない。

右肩をするりと伸びてきた剣先に穿たれた。潰されているはずの剣先が、スピードと体重の乗った突きで実剣同様のダメージを男に与えた。

骨を砕く衝撃。

瞬間、獣のような叫びを上げて、激痛によじれ悶えた。だが男は右肩を押さえ、眩む目を抉じ開け相手を見た。

揺らぐ視界に映る、緊張をわずかに緩めた子供の姿。白い顔にほっとした安堵が滲むのがわかった。

男はぎり、と歯を噛み締めた。崩れそうな足に力を入れる。

その時、依頼の獲物に憎しみを抱いた。

痛みでほどけそうな右手に左手を添えて一息に間合いを詰めると、子供の顔めがけて剣を力任せに振り下ろした。


ぐさ、と肉を裂く手応え。目の前の白い顔、藍の瞳が見開いたまま、血飛沫を生んだ。その赤がぱっと散る様がゆっくりと見えた。

「あ…」

金色の脅威がどさりと音を立てて倒れる。

「シャル!」

「シャルロット様!」

しまった…!

周りから上がる悲鳴に、我に返った。

対象を殺す命は受けてなかった。むしろ殺すなと命じられた。だが今の手応えは、確実に相手に死をもたらす一撃だった。



この宮に潜む前、雇い主との面談が脳裏を過る。



「では」

「暗殺となれば詮議も厳しくなろう。誤魔化すのも骨じゃ。フィリップの即位に染みをつけてはならぬ」

美しい雇い主は、不釣り合いな汚いローブを纏った男を隣に従えゆったりと命じた。

「面倒事はのちのち障りになりますからな。お方様はまこと、お優しい。さすがでございます」

「決して殺すな。役に立たぬ体にするほどで許してやれ」

傍らで追従する者に頷き、手駒の己に命じる王妃の声音は、まるで慈悲をかけるがごとき耳に絡みつく優しさを帯びていた。

「ははっ」

身を低くして受ける男の心に過ったのは微かなおかしさだった。

五体満足の健やかな少年の身体に、生涯支障の残る怪我を負わせることを素晴らしい温情のように語る主と、その命令を押し戴き必死で遂行しようとする愚かな我が身と。これを滑稽と言わずして何と言うか。

しかし雇われの身で否やはない。主の地位を思えば、命じられて辞退することは即ち自身と身内全ての破滅を意味する。

迷うな。ただ対象を倒せ。依頼通り怠りなく。それだけが生き延びる道。


だというのに。

子供を殺してしまった。感情に任せて加減すらせずに。

一心に思い定めてひたすらに身体を意志のままに動かして、それで。

砕けた肩の激痛が徐々に全身に広がっていくのを感じつつ、男は立ち尽くしていた。

暗くなる視界の中で、横たわる金髪の子供に人々が必死になって声をかけ、血止めをしている。

突かれた肩から痛みを越えた痺れが広がり、麻痺したように力が抜け落ちていく。手から離れた剣が足元に転がり落ちる。ガチャンという音が遠く聞こえた。

冷や汗がどっと吹き出て体温が下がる。ぶれそうになる意識にどうにか抵抗しようと指先に力を込めた。

「あ、う…」

「貴様ぁ!」

変声期前の少年の罵声。

それと同時に振り下ろされた剣が背中に衝撃を与え、最後の力を失う。剣で打たれた、と認識するより早く、喉が急激に圧迫されるのがわかった。

「あ、が、ぐぁ!」

王妃様…!

背中の鈍い痛みとは次元の違う、呼吸から命を奪い去ろうとする全き強い力。

首を掻きむしり、己が身を襲った異変に全てを悟った時には、命が喪われていた。



───────────────────────



マクシムは約束に合わせて宮を訪れた。

門を通り宮邸に入る。玄関口で出迎えてくれた使用人はいたが、廊下を過ぎても人気がなかった。

珍しい。普段はメラニーかクレアが対応してくれるというのに。

そんな感想を抱いたが、それは特に不思議でもない。

双子のどちらかに目が離せない出来事があったか、アクシデントが起きて少ない使用人が掛かりきりになっているか。


だったら多分、原因はシャル様だな。


くすりと笑って今日の稽古のプランを浚う。シャルロットが不機嫌だったら、ちょっと疲れるくらいハードにするのがいい。その方がいろいろ発散できるだろう。

楽しい気分で勝手知ったる廊下を辿る。結局、サロンに着くまで誰一人行き逢わなかった。

馴染みの扉を開けようとした時だった。

サロンの内側でガタン、と大きな音がした。一歩入ると床に粉々に砕けた食器と崩れたパン、零れたスープが落ちていた。

「え?」

釣られるように前を見て。

そこから先は音が消えた。


いつもの稽古で見慣れた、動きやすい男装のシャルロット。剣を持っているのもいつもと同じ。

だが剣を翳したその顔は見たこともないほど厳しかった。シャルロットの目が鋭く見つめているのは、全身暗灰色の見知らぬ男。

右肩を押さえ悶えるように蠢いている。その手にある剣がだらりと下がった。それを認めてシャルロットの顔がほっと緩んだ。

その時。

「──」

傷を負ったと覚しき男は、肩を押さえていた左手を剣の柄に添えて、シャルロットに向かい跳んだ。


一瞬のことだった。

振り下ろされ剣がシャルロットの額から頬を走り肩先を深く切り裂いた。真っ赤な血が宙に散る。

「シャル!」

「シャルロット様!」

急に音が耳に飛び込んできた。現実と思われない景色は、鮮烈な赤色に彩られ禍々しさに満ちる。

どくどくと顔の横の血管が蠢くのを感じる。目の前が眩んだ。

「貴様ぁ!」

唸るような獣のような濁った叫び。喉のひきつれる痛みで、それが自分が発したものだと悟った。

腰に下げた剣を無意識の動きで掴んでいた。すらりと抜き放って、しかしそこでシャルロットを思った。擦りきれる寸前の理性が男を殺すなと止めた。

マクシムは、渾身の力を込めて男の背中を剣で殴り付けた。

こんなにも強い怒りを持って剣を振るったのは初めてだった。


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