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プリンス・チャーミング なろう  作者: ミタいくら
2章
44/275

43


パシリ、とナディーヌの扇が肘掛けを打つ。

主のささくれた心持ちを察して、侍女達が息をひそめる。

王妃の兄君が来られるといつもなら機嫌が上向くはずなのに、と互いに密かに溢し合う。

カツ、と今度は扇の骨を打ち付けるさまに、愈々風向きが怪しくなってきたと侍女達は浮き足立った。そこへ、足早にやってきた侍従が客の訪問を告げた。

約束のない拝謁願い。癖の強い珍しい人物だったが、偶に現れる彼を主が機嫌良く応対していたことを思い出した。

天の救けか。

そそくさと招き入れる準備をして、役目を押し付けられた一人が恐る恐る主に面会の許しを乞う。

「妃殿下。グレゴワール殿がお目通りを願っております」

「なに。グレゴワール?」

自身の思索の淵に嵌まりこんでいたのか、主はふいにうつつに戻されたような覚束なさを見せた。

少女のような幼い様に、侍女はほんの少しだけ躊躇った。

「お約束はございませんので、あの」

「よい。会おう」

一寸の間の後、王妃は選択した。



───────────────────────



「妃殿下、お目通りをお許し下さりありがとう存じます」

現れたのは、白と金の明るく華やかで豪奢なサロンに似合わぬ、歪んだ背を厚手のマントで包んだこけた頬と禿頭の男だった。

「ああ。今日はなんじゃ」

鷹揚に受けると、グレゴワールがおや、と眉をあげた。

「妃殿下にはご機嫌麗しく、あられないようですな。何かございましたか」

探るような不躾な視線。だがナディーヌは男の有能さを熟知していた。役に立つ、その一点で無礼は許せた。

顔を見ただけで何事かが起きたのではと察知する聡さに、グレゴワールに話してみようと思い付く。この男は魔道庁に属していない野良魔道師で、有用さを見込んだとある貴族がサロンに推薦したのだった。

「うむ。大したことではないのだが」

ふと、去り際に優しく頬を撫でた兄の顔がちらついたが、胸のざわめきを誰かに言いたい気持ちが勝った。

「我に話すことでお気が晴れるなら、どのような些細なことでも仰せください」

「例の雛のことじゃ」

ぽろりと溢すと、それだけで気が軽くなる。勢いを得て、ナディーヌはすらすらと先の兄の訪問のこと、そして己の不安を全て語った。

「あのブリュノの息子が褒めあげたと言うのじゃ。孤児風情が剣に優れているというのか」

私のフィリップは師について真面目に励んでいても目覚ましい成果はあげていないというのに。

存在すら許せぬと思いながらも、気づけば我が子と引き比べてしまっている。

「さて、それは。公爵閣下のおっしゃる通り、子供の話ですからな。年下にしては、という甘さもありましょう」

「そうか。…そうじゃな」

グレゴワールの取り成しが兄の言葉と重なった。密かに望む言葉を新たに得て、安堵して縋る。


しかし続く言葉にざらりと気持ちを逆撫でされた。

「しかし、第一王子が傑物であるのは確かのようですな」

「なっ!?」

「ブリュノ将軍は末子をわざわざお相手にして熱心に稽古をつける。宰相閣下も肩入れしている。どう見ても我が国の重鎮らがあちらの王子を推しているとしか思えませんな」

「グレゴワール!」

非難するように睨めつけたが、グレゴワールは止まらなかった。

「フィリップ殿下のお立場を危うくする存在。それはあの王子しかおりませぬ」

「そなた、我がフィリップが孤児の雛に負けると思うか」

「我は欠片も思いませぬとも。ただ、陛下を囲む者達のうちに、妙な考えを抱く方がいないとも限りませぬ」

自身は潔白を唱え、しかし王宮にはフィリップの敵に成りかねない者がいる可能性を語る。

「何しろ、あちらは第一王子。フィリップ殿下より年長でございます」

「っ!」

一番突かれたくない箇所を正確に穿たれ、ナディーヌは息をつめた。

そうなのだ。

あの雛はフィリップより一歳年上。

こればかりは無視できぬ、厳然たる事実を突きつけられて唇を噛み締める。

数年前に、王が、ずっと顧みなかった双子に教育を施すよう配慮を決めた日。

あの折りの衝撃はどれほど経とうと忘れられない。そしてあの時抱いた不安は消えるどころか、絶えることなく常に燻り続けている。

王妃として国第一等の女性の地位にいながら安寧はない。時折、心弱くなった時に苛まれるのだ。

我が子が得るべき大事なものを奪われるかもしれない。

その恐怖を前に、既に頭はきりきりと痛み始めていた。

それでもナディーヌは懸命に、事を冷静に、小さい問題と考えるべきとグレゴワールに反論した。

「だが、陛下はあれの存在をただお認めになったに過ぎぬ。王宮で傍に置くのはフィリップのみ。剣が優れていたとて何になろう。王としての資質の決め手にはなり得ない」

「はっ」

しかしグレゴワールはいとも容易く笑い飛ばした。無礼にも、一国の王妃の意見を軽く打ち捨てて退けた。

「本気でそうお思いですか?ならば早晩、フィリップ殿下はあちらを担ぐ勢力に追い落とされますな。後ろ楯が事態を見誤ったばかりに」

「何を言う」

「我は掴んでいるのです。あの王子が住まう宮には、ジュール殿が魔法を行使した痕跡がある」

王都の中心、王居の内側では攻撃魔法はもちろん、他者を監視できる透視や遠視、遠耳の魔法は遮蔽魔法によって作動できない。

国の支配者層の大半が魔力を持ち、行使できるという特殊な環境であるからこそ、必要な仕組み。魔道庁が構築した王居全体を覆う、綿密で強力な防衛システムである。

この防衛範囲のうちでは、簡易魔法や治癒魔法、その他必要とされる通常魔法は問題なく発動可能だ。だが国の重要人物や機密、政府機関や騎士団に働きかける物理的心理的その他の侵略攻撃に繋がる魔法は、ほぼ全て封じられている。

封じられている、とは実は正確ではない。発動、それ自体は可能だ。だが禁じられた魔法を強行した場合には、直ちに遮蔽魔法で阻止され、魔法発動の痕跡が全て明らかになる。これにより魔道庁の魔道士は違反者を追跡できるようになっていた。

全ては、ナーラ国の中枢を担う王家と国の運営を守護するためである。

故に、基本的に王居の内側では、物理的原始的な攻撃や侵入に対する警備は怠らないが、魔法による攻撃は起こらない起こせないというのが一般的な認識だった。

「守護?衛兵の警護ではないのか」

「薄く微かではありますが、宮全体を覆う魔力の遮蔽が施されておりますな」

「なんと」

「直接的な攻撃魔法には無力ですが、人の注意や監視を逸らす軽い作用があります」

「わざわざ調べたのか?」

グレゴワールの言い様は自信に満ちており、宮の近くまで行って確めたと思われた。

「はい。密かに宮邸まで赴いて痕跡を見つけました」

この男がここまで言うならば、確かな話だった。ジュールは、先代の魔道士長は、あの孤児に特別な術を施す仲なのだろう。


だが、それでも。

ナディーヌはこの王居で我が子が追い落とされる企みが起こっていると容易には信じなかった。

「あれは、ジュールは、魔道士長を退いた折り、粗方の魔法は封じられたはずじゃ」

「粗方、ですな。ジュール魔道師にとっては残りの魔力でもその程度の術は容易であったのでしょう」

「──っ」

「まあ、それだけなら違法ではないのですが」

「そうじゃ。あれらは然程豊かでもない故、警護の者を雇う代わりを頼んだのではないか」

「妃殿下はお優しいですな。しかし、こういった積み重ねで人は動いていくもの。第一王子と関わりを持つ者が増えていく。そのような者が多く集えば当然、次は良からぬ企みが興る」

ゆっくりとからみつくような声音でグレゴワールは言葉を紡いでいく。

「我が実家が、兄が手を回している。監視の目は堪えずあの者共を見張っておる。不穏な魔力の行使を確認したなら、魔道庁に圧力をかけよう」

「フォス公爵の手配に抜かりがあるはずはございませんが」

ナディーヌが頼りにする公爵の名にグレゴワールは一定の敬意を払う。

しかし。

「魔道、魔法の領域は公爵の管轄外ですからな」

公爵の手を離れた問題とナディーヌの心に杭を打つ。それでも王妃は、魔道庁にはフォス家の力が及んでいることを主張した。

「それは、トマが動くはず。魔道庁の士長じゃ、何とでもするであろう」

「トマ殿ですか」

グレゴワールが唇を歪めた。公爵に対して見せた遠慮や恭しさは消え、あからさまな軽侮の念が面にのぼる。

「トマ殿の斡旋した魔道師で、王子殿下の魔力教育は上手くいきましたかな。あの方肝煎りの者とかいう、ね。しかし正直に申しまして、よろしくなかった。トマ殿の人選ミス、失態であった」

びくり、とナディーヌは身を震わせた。


かつて、フィリップに早期に魔力を使いこなして欲しくて、渋るトマに命じて能力が高い闇魔道師を探させた。秘密裏に魔法発現の学習をさせたい一心だった。

だが結果は散々で、ナディーヌは魔道師の力不足を罵り放逐した。

四年の長きに渡り信頼して任せていたというのに、失敗に終わったのだ。

そうして、魔法発現どころか母に対する態度も冷えたフィリップを、兄の助言を元に遠巻きに見守っている。今はただ、我が王子が成長して自然と魔法発現させることを祈るばかりである。

能力不足の魔道師をフィリップに宛がったのは、トマが悪い。

苛立ちと憤りと。しかしトマは現状、ナーラ国で一番の魔道師。フォス公爵家子飼いの魔道士長なのだ。

我が実家が動かせる魔道庁の長、トマ魔道士長は信頼に足るのか?

知らず、疑いの芽を心に育てられて不安がよぎる。

トマに任せて大丈夫なのか。気づいたら全ては手遅れだった、ということになりはしないか。

そう考えると、急にいてもたってもいられなくなった。



手のひらにある扇を玩んで心を静めようとする。

パシリ、パシリ、と乾いた音がサロンに響いた。しばし黙ってナディーヌの為すがままにしていたグレゴワールは、その音の狭間に入り込むように口を開いた。

「我ならば。王子殿下の御為、今この場でも動いて見せまする」

扇を開く手が止まった。

「まことか」

「はい。我の持つ限りを尽くして」

「いや、駄目じゃ。王居のうちは人を害する魔法は使えぬ」

「承知しております。我の知恵をお使いください。妃殿下のお望みを叶えて差し上げます」

「私の望み」

「妃殿下。我にお命じになれば、あの宮邸に籠る子らなど簡単に滅しますぞ」

「それは出来ぬ。陛下がお許し下さらぬ。それでは、フィリップが王太子になれなくなる」

仮にも王子の名を冠した者を亡きものにしては周囲が厭う。疑いだけでも人心が離れる。それでは、フィリップは望まれる王にはならない。

「ならば、二度と剣を持てぬよう利き腕の腱を断つか、顔にひどい傷をつけてはいかがでしょう」

「なんと。恐ろしい」

「表に立つのが苦痛な程に醜い赤黒い傷を顔に残すのです。我らが殿下と並ぶのを恥じ入る程のご面相になれば、自然、後押しする者も消え失せましょう」

具体的な傷、負わせる障害の程度を語られナディーヌは目を背ける。だが制止の言葉は出なかった。

そこでグレゴワールは最後に正しい道に留まる機会を差し出してきた。その選択を採るのはとても簡単だった。

「お嫌でしたら、我にお命じください。ただ去ね、と」

サロンを去る間際の、兄の顔が浮かんだ。

だが遂にナディーヌは、ただ一言を音にすることはなかった。


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