42 萌芽
ルイとシャルロットは十一歳になった。一足先に十二歳になったマクシムは、最近は騎士見習いとしてすっかり騎士団中心の生活になっていた。
それでも宮邸でのブリュノの稽古は続いていて、シャルロットとマクシムの剣を通じた付き合いも絶えることはなかった。
騎士団で見習いの仕事を終えたマクシムは、隊長に辞去の挨拶を述べようと執務室のドアを開けた。と、見るからに高位の貴族が客人としてドニと向き合っていた。
「失礼いたしました」
急いで直立不動の姿勢を取った。
「いや、構わないよ。突然押し掛けたのは私だ」
来客用の椅子に座り鷹揚に笑う男は、ゆるりと手を上げてマクシムを誘う。豪奢なコートを纏う姿は頭から靴先まで見事に整っている。壮年と思われるが若々しく、しかも堂々としていて揺るぎない。
「まだ幼いのに立派なものだ。名前は?」
「は。ドニ隊長の元で騎士見習いをしております、マクシムです」
「マクシム?」
「ブリュノ将軍の末の子息です」
ドニ隊長がマクシムの脇に立って言葉を添えた。
「ほう、ブリュノ殿の。私はフォス公爵だ」
フォス、公爵?
どこかで聞いた名だった。いつ、どこでだったか。後で誰かに聞こうと思いつつ、隊長を振り仰ぐ。
「ドニ隊長。では、本日は失礼いたします」
「ああ、もうそんな時間か。殿下によろしく申し上げてくれ」
「殿下、ね」
聞き咎めた公爵が一瞬、目を細めた。
「彼は第一王子殿下の剣友なのですよ」
「ふん、やはりな」
鼻を鳴らすような頷きに、マクシムは体を固くした。フォス公爵の纏う雰囲気ががらりと変わったと感じたのだ。端的に言えば、ひどく酷薄で傲慢な感情がこの公爵の身を満たしたかのような。
公爵が椅子から立ち上がり、こちらに歩み寄る。
「王子は、どんな子供かな」
ぐっと距離を縮めて、公爵は見下ろした。恵まれた長身の体躯は、年の割りに成長著しいマクシムを余裕で見下ろした。にこやかに湛えた笑みは、しかし刃物のような冷やかさがあった。
マクシムは頬を引き締めた。
「殿下は。」
素晴らしい方です。とても優秀です。
言いかけて、留まった。フォス公爵という名前の記憶に、負の印象が纏わりついていたのだ。
「父が剣を教えているので。俺は稽古に付き合っています」
それだけです。
口の中だけで唱える。目は反らさない。眼差しに力は込めない。淡々と見つめるだけ。
「殿下の剣の腕はいかがかな」
「あんまり…負けてます、いつも」
シャル様に!
心の中で言い切る。
嘘は言ってない。ぐぐっと公爵の目を見返す。ルイ様より濃くて暗みを帯びた青。
「そうか。君は賢いみたいだね」
ふ、と笑って公爵は姿勢を起こした。視線が外れて、マクシムはそっと息を吐く。
「行きなさい。急ぐんだろう」
「は。ありがとうございます」
今一度礼の姿勢を取ると、マクシムは早々に退散した。
宮邸を訪問したマクシムはサロンに落ち着くと、そこでフォス公爵の名を出した。首を傾げるシャルロットの後ろで、顔を強張らせるメラニーを認めた。
「王妃殿下のご実家、公爵は兄上です」
言いにくそうに告げられて、あっと気がついた。
父に覚悟を問われた時に出た名前だ。
ルイとシャルロットの存在を快く思わない人達。
大好きな二人は、何もせずとも生まれてきたというだけで厭わしいと忌避され呪われる。マクシムには想像しがたいが、王家を巡る権力争いの一端としては、よくあることだと言う。
しかし、ならば公爵の問いに乗らず余計なことを話さなくて良かった。
気遣うようにこちらを窺うメラニーに安心してもらおうと、努めて朗らかに告げた。
「あまりこちらのことは言わなかったよ。あちらは聞きたそうだったかもしれない」
片目を瞑って見せると、メラニーはようやく自然な笑顔になった。
───────────────────────
「ブリュノの末息子に会ったよ」
マクシムというらしい。
フォス公爵は、密やかに王妃の住まう東の宮に足を向けた。兄という立場で頻繁に訪ねているが、今日は取り巻きの目から逃れたかった。
人払いした広いサロン。王妃は聞き慣れない名前に怪訝そうに顔をしかめた。
「ブリュノの?」
雛と縁を結んでいる息子と思い至って、ナディーヌの眉が跳ね上がった。
「雛との付き合いは続いているね」
「その息子は、あれらについて何か言っていたのですか、兄上」
兄が人目を避けて会いに来た、その意図を悟って咳き込むように問う。
「なかなか。子供なのに尻尾は出さなかったよ。ブリュノの血を引くだけはあるということかな。でも、後で騎士団で聞いたんだ」
「おっしゃって。隠さないでちょうだいな」
気が急くナディーヌが今にも立ち上がらんばかりに身を乗り出す。それを軽く手のひらで制した。
「落ち着いて。ブリュノの息子は既に将来の騎士として有望だそうな。血は争えないということだね。それで」
感じやすい妹をなるべく刺激しないように優しく告げる。
「見習いをしている騎士団でも可愛がられているのだが、剣術を褒められるたびにこう謙遜するらしい。自分より年下でもっとすごい奴がいるんです、と」
もちろん、子供の言うことだがね。
そっと付け加えたが、ナディーヌの顔はたちまち強ばった。
「それが、あの孤児の雛だと?」
「まあね。そうとしか考えられない」
「──っ!」
紅い唇が歪み息が漏れた。握りしめた白い拳が揺れるのを公爵は両手で押し止める。
「あまり思い詰めないように。まだ不確定な要素だ。例えこの話が事実としても殿下には関わりがない。万が一我らの脅威になると判明したら我が家が動く。妃殿下はお心安らかに」
ナディーヌがかすかに頷いたのを認めて、白い頬を伸ばした指先で撫でた。
「いいね。動く時が来れば、私が動こう。ナディは待っていればいい。全て良いようにする」
念押しをしてフォス公爵は御前を辞した。




