40 マクシム
騎士見習いの手伝いを終えて、マクシムは父の元へ向かった。
十歳を過ぎた頃から、特例として週に数回、見習いの補助的な雑用をこなしている。騎士を身近に見て実地に学べる、この職業に憧れ目指している者にとっては為になる経験を積む日々だ。
本来、騎士を目指す場合、十二~十四歳くらいで騎士団所属の従騎士になる。そうした見習いを経て二十歳前後で試験に合格した者が正騎士、騎士になる。
しかしマクシムは数年後、王立学校に入学する予定だった。当然、騎士の修業は休止だ。学校卒業後に復帰して騎士を目指す心積もりでいる。それを見越して、早めに見習いの補助という名目で騎士団に出入りしていた。
貴族の末端として騎士見習いを一時中断して学校に通わねばならない身には、今が頑張り時だった。
「ただいま戻りました」
「ドニ隊長から聞いている。」
父の部屋に入るとわずかに寛いだ態度で迎え入れられた。マクシムの目付役のドニ隊長から騎士団を統括する騎士団長、ひいては父のブリュノへ、と話が通っている
父親の威を借りた特別扱いだが、この際、七光りの謗りは甘んじて受けるつもりでいた。肩身が狭くもあるが、学校在籍の中断期間が課されるハンデを負うのだから、と自身割り切っていた。
「学校に行かないという選択もあるのだがな」
「わかってます」
学校に入らず、騎士として最短の道を選ぶこともできる。マクシムは遠回りを採った。だとしても今、騎士団で手伝いをしているのは無駄にならない。
いずれの選択も可能なように父は配慮してくれている。
実際、上の兄は見習いを中断して学校の生徒になり騎士としての習練を中途でやめ、卒業後従騎士に復帰して見習いに従事した。それでも二十歳を過ぎてすぐ騎士となったのは快挙だった。だが内実、人に言えぬ苦労が多々あったらしい。大変なものだったよ、とは本人の弁である。
それを間近に見て自分には無理だと感じた次兄は学校には行かない選択をした。十二で従騎士になってそのまま騎士団に入り、見習いを終えて十九で騎士になった。
今では二人ともそれぞれ騎士として実力を備え名を挙げているが、マクシムにとっては中々に考えさせられる将来の選択であった。
会話は親子が剣術指南をしている王子王女に移った。このところブリュノは王宮の任務に駆り出されることが多く、宮邸での指導が滞っていた。騎士団や軍と繋がりが深く公正な上司として長くあったので、引退しても何かと政治の中枢との関わりが切れないでいる。人望があるのも困りものだ。
頻繁に双子の殿下達と会っているマクシムが近況を伝えた。
「ルイ殿下はお前との稽古に参加されているか?」
「まあ。お忙しい方なので、極稀にですが」
父の懸念を察して安心させるよう続ける。
「お二人だけで自主的に稽古もやってるようです。シャル様が付き合わせるので結構熱心に」
お陰でルイの剣も見られる程度には上達した。もらい事故レベルの降りかかった火の粉なら、払える自信はあるだろう。
ただ苦手で不得手な気分が抜けない。周りが上級者過ぎるのだ、とは本人が言う話だ。
「シャルロット殿下は、相も変わらず剣がお好きだな」
「はい。ご自分でも反復練習を欠かさずされているみたいです。俺も負けてられないなって」
勉学に力を入れがちな王子から剣に前のめりな王女に話が移ったので、マクシムはほっと気を緩めた。シャルロットの話なら、剣に厳しい父が気を悪くすることはない。ブリュノは、彼女の剣の腕も向ける情熱も大いに認めている。
騎士団に入ることを目標に日々鍛練しているマクシムも呆れる程だ。
かつてブリュノがルイを筋が良いと評価したが、シャルロットは剣に天分があるといえた。その上での飽かぬ努力。
神も愛さずにはいられまい。
シャルロットの剣術は、既に王族の教養の範囲を凌駕していた。
先に始めて一途に剣術に邁進しているマクシムですら舌を巻く程、彼女の剣は鋭く磨きがかかっている。
「最近はますます腕をあげられて。まあ、でも三回打ち合わせて二回は俺が確実に勝ちます。たまに三回とも俺が勝つことも」
「馬鹿者が」
「え」
突然投げられた冷たい一言に、饒舌に話していたマクシムは口を噤んだ。
「三回試合って二回勝てただと?騎士の面目はどうした。恥じる心もなく誇っているのか」
父の厳しい声音。容赦のない断罪に項垂れた。
「同じ稽古をしたとして、殿下は王族。剣で身を立てる御身ではない。拠って立つ場が違うのだ。剣一つでお仕えするお前が、守護するお方に三回に一度も負けて何の意味がある。一緒に鍛練をしてそのザマならば、寝る間を惜しんで剣を振れ」
「父上」
「圧倒的力量で主君を守る。例え主君が優れた剣士であってもだ」
ブリュノの叱責を聞くうちにマクシムの心が冷えた。両の拳を握りしめる。
「申し訳ありません。俺の心得違いでした」
「わかれば良い。ただそれも、お護りする相手が王子殿下の話だ」
ふう、とブリュノは溜め息を吐いた。
「え」
「王子殿下が剣を善くする。その殿下をお前が剣でお護りする。盾となる、これは良い。しかしシャルロット殿下は王女だ」
びんと腹の底に響く声がマクシムを打つ。
「確かにシャルロット王女殿下には剣に天賦の才がある。並みの剣士が敵わないほどの、な。しかしだからと言って、王女殿下に剣を取らせてはならん。例え非常な強さを誇っていたとしても、王女殿下が剣を腰に佩く必要すら無い守護をしなければならぬのだ」
「父上」
常にはない真摯さが滲んだ言葉に、自ずと気持ちが改まる。
「マクシム、精進しろ。お前はもっと上を目指せるはずだ。努力で王女殿下を凌駕しろ」
「はい。──誓って」
「無論、王子殿下も守護し奉る。両殿下を守り抜くことこそ、お前の第一の務め。騎士としての誉れとせよ」
父の自分への叱責と鼓舞は、騎士を目指す息子へのものとして正しい。だがブリュノは、敢えて護衛の対象に双子の殿下の名を挙げた。
もちろん、ナーラ王国の騎士として、王家に連なるルイとシャルロットは違わず主で守護し奉る存在だ。数年来親しく交わることを許されている身として特に思い入れも強く、心のうちで最優先護衛対象だ。
しかし本来であれば、騎士の剣を捧げる対象は祖国ナーラ、そして国の具現化された主、崇敬の相手となるのは志尊の位にある国王陛下である。
だが父の言葉は、明確にルイとシャルロットの二人を守れと命じていた。
念押しのようなそれは、いささか過剰に感じた。
あたかもあの二人に具体的な敵がいるかのような、マクシムが身を挺して守らねばならない未来を想定しているかのごとき指示。
「父上?あの…」
マクシムが戸惑いを隠せず見上げると、ブリュノは静かに頷いた。
「高貴な生まれには政治的思惑がつきまとう。殿下の存在を良しとしない勢力もいる。対抗する勢力が起こればそこには争いが生まれる。剣しかやらぬお前にも聞こえてくるものはあるだろう。ルイ殿下とシャルロット殿下の身の上の不安定さを」
騎士団で小耳に挟んだ国王陛下の周辺にまつわる噂話。それは、王宮に仕える騎士だからこそ知り得る内輪の事情で、そこではルイとシャルロットの存在も語られていた。
「陛下に認められたとはいえ、両殿下は未だ国民には披露されておらず、王妃殿下との間に儲けられた第二王子フィリップ殿下が唯一のお子として知られている。そしてフィリップ殿下には王妃のご実家、この国で一番の大貴族フォス公爵家がついている。王妃殿下を始め、あちらの方々にとってルイ王子殿下シャルロット王女殿下は目障りな存在なのだ」
騎士達の間で極々たまに口にされる噂。語られる王家の後継争い。それは本当なのだろうか。
通いなれた宮邸は特別豪華でも大きくもなくて、中に住まう双子の二人だけが特別な存在で。それすら、マクシムの気持ちが傾いているから、という形のないものが理由だ。
なのに、あの二人がそんなナーラ国そのものと言うべき王家を揺るがす存在なのか。
しかし実感の湧かない息子に、父は容赦ない選択と覚悟を迫る。
お前はどこにつくのか、誰を守るのか。
誰を守るために、強くなるのか。
「俺は」
舌で唇を湿して、マクシムは父に自身の決意を告げた。
答えなんて最初から決まっている。
あの二人に出会った時から定まっていたのだ。
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