37 治癒
夕方。
ルイが書庫から帰宅すると、シャルロットが居間にいた。いつものようにマクシムと剣の稽古をしたらしい。
これからドレスに着替えるというので一緒に居間を出る。シャルロットは廊下でぐん、と伸びをした。
「った」
かすかに顔をしかめたシャルロットに、ルイの目がその原因を探す。袖を捲り上げたままの右肘を、わずかに擦りむいていた。
「シャル、怪我してる」
「え?あ、本当だ」
指摘するとシャルロットは腕を曲げて覗き込んだ。肘の皮が剥けて薄い赤がみえる。
ルイは周囲に視線を飛ばした。
人影はないが、この廊下は大きい窓を通して庭からよく見えることを知っていた。
「ちょっとこっち来て」
怪我していない方の腕を引いて無人の小部屋に入る。
「ルイ?」
「肘のところ、よく見せて」
「かすり傷なのに」
意図はわからないまま、シャルロットは素直に肘を眼前に差し出した。
ルイは、白い腕の曲げた先、そこにそっと手を翳した。慎重に、静かに意識の上で呪術語の治癒の画を描く。緊張のせいで口の中が乾いて上手にできない。
そう不安が過った時、ちり、と掌に波動を感じた。
と、捲れた傷の薄紅が端から真珠色に染まっていく。ちりり、と微かな音がして、白く淡い光が瞬いた。捲れた皮が白く繋がって膜を張り。
そして。
「うわああ」
シャルロットが息と共に声を吐く。
擦り傷は綺麗に消えていた。かすかに見える白い跡だけを残して。
「治った!これ魔法?魔法?!」
起きたことが信じられなくて、シャルロットは肘を振り上げて覗き込む。それからルイに目を輝かせて問いかけた。
「うん。上手くできて、良かった…」
咄嗟に治癒魔法をかけることだけを一心に思い詰めたが、よくよく考えてみれば失敗する可能性だってあった。それを思えば浅はかだった。
もう一度、患部を確認する。さっきまであった白い跡すら消えた、綺麗な肘があった。
良かった。
安堵の息を溢して、シャルロットに顔を寄せた。
「内緒だよ」
そっと口止めをするとシャルロットは唇を引き結んで何度も頷いた。
興奮で顔が紅潮している。
「すごい、ルイ」
ささやくような声は少し震えていた。
「ん」
その震えに、シャルロットの感動と喜びが滲んでいるのがわかって、ルイは嬉しかった。かつて見せたカーテンを動かす魔法の時とは比べ物にならない喜びだ。
初めて成した治癒魔法がシャルの為になるものだったのが、純粋に誇らしかった。




