32 水面下
「ルイ王子に陛下のことを告げる?」
ジュールは、多忙を極める宰相が自邸に戻ったところを捕まえることに成功した。だが許可を求めた提案に宰相ロランは難色を示した。それでも強引に邸のホールに入れてもらい、話を続ける。
「今は魔力の制御、術の発現に力を入れている。話してしまった方が物の道理が通じやすい」
「しかし」
「国家の機密なのは理解している。だがルイ王子は陛下の第一王子。いずれ知ることになる」
「それはそうだが。機密を知ったならば国家権力の中枢から離れて生きることはできなくなるぞ」
ロランのルイの身を案じた言いように、ジュールは乾いた笑いを漏らした。
あの双子を政争の場に引っ張り出した当人が、何を今更。
「いずれにしろ王子は取り込まれる。早いか遅いかの違いだ」
「それはつまり、国が無視し得ぬ程ルイ王子の能力が高いということか」
「多分な」
「──」
「喜べ。駒は優れものだ」
言葉に詰まるロランをジュールは複雑な気持ちで眺めた。
本当に今更だ。王子を外に出した責任を取って覚悟を決めろ。
「あの年でも自分の立場というものを理解している。アレを告げたら事の重大さを感じ取って、こちらの求めるまま秘匿するだろう」
ロランは上を向いて息を吐いた。答えはないが、了承されたと取ってジュールは踵を返す。
と、
「忘れてた。これを」
二つ折りの紙片をロランの胸に放り投げる。
「なんだ」
「闇市場で売り出される魔力関連の書籍リスト」
紙を広げたロランが眉を上げる。
「宰相閣下のご助力で購入許可を」
「随分と片寄ったリストだが」
「予算は余ってるだろ」
「闇市場で買うのは推奨されない」
「レア物だ。買い逃したら次はいつ手に入るか」
「しかしな」
渋るロランに、ジュールは屈みこんで囁いた。
「私がここに来た目眩ましに、なるだろう?」
ロランが目を開く。ジュールは頷いた。
「いるのか」
「門の手前で確認した」
それだけでロランは理解した。
「用意周到だな。了解した。予算が回るよう手配する」
「感謝する。王子は任せろ」
言い置いて、ジュールは宰相邸を後にした。
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「ロランの邸をジュールが訪れただと」
フォス公爵は、もたらされた知らせに思わず声をあげた。
フォス家はナーラ国でも最大の領地と権威を持つ貴族だ。故に子飼いの者も多く、使える人材も多彩だ。
実のところ、公爵が宮廷内のいずれの要職についているという事実はない。だが宰相ロランの執政を助け実務でもって国を司る各省の重職にある人物の多くが、公爵の息のかかった者、あるいは派閥に属している者だった。実質、国を動かすには公爵家の意向に反しては不可能といえる。
さらにフォス公爵リュシアンは用心深く、政敵になり得る者全てに自身の目となる密偵を配していた。何か異変が起きれば、都度知らせが入る。
「ただ、白昼堂々と門前に馬車を乗り付けての訪問でした」
ふむ、とフォス公爵は内容を吟味する。
「ならばまだ静観しよう。妃殿下には報せぬように。徒に心をざわつかせるだけだからな」
後日、公爵は財務省に籍を置く貴族から一つの話を聞いた。
以前から王妃へ誼を通じたいと願っている下級貴族で、公爵派を公言している男だ。
夜も更けてから密かに公爵邸の門を潜った男爵家の次男は、自身の部署に宰相から臨時の歳出要請があったと告げた。
公爵家の豪奢なサロンに引き入れられ、男は落ち着かなげに手巾で額を拭く。
夜半ということで、公爵は男を促しすぐさま本題に入った。
「何に対する支出かな」
「王立図書館の貴重書購入だそうです。特に専門性の高い書の収集と」
「宰相閣下自らが?」
「はい。文化教育面の予算は余っておりますので、財務省としては問題なく認可いたしました」
「購入書籍のリストが見たい。手に入るかな」
「は。こちらに写しを持参しております」
恭しく差し出された一枚の紙に、フォス公爵はにこりと笑んだ。
「なかなか優秀だ」
受け取ったリストに視線を走らせながら、何気なく口にする。
「今度、妃殿下のサロンで茶会が開かれる。気のおけない者達が集まる簡単なものだ。招待状を手配するから、君も来るがいい」
「ありがとうございます!」
「王妃殿下は気遣いの出来る者がお好みだ。次を望むなら上手く立ち回りたまえ」
感激に声をうわずらせ幾度も頭を下げる男に一瞥もくれず、リストを綺麗に畳んだ。軽く手を振って下がるよう示す。
感謝の言葉を唱える男が吸い込まれた扉を眺め、フォス公爵はソファに体を投げ出し息を吐いた。
「さて。これで疑念は晴れたかな」
折り畳まれた紙を玩んで一人ごちる。
リストにはずらりと魔道関連の希少な書のタイトルが並んでいた。いかにもあの魔道師が欲しがりそうな目録だった。
つまりは先日のジュールの訪いは、専門書を公費で購入する便宜を図ってもらう陳情と推測された。闇市場での取り引きは声高に言うものではないが、特に違法という訳ではない。あそこでしか手に入らぬ商品はあるのだから。
「不審な兆候は何も無し、か」
ただ、引退魔道士の頼みを宰相が二つ返事で叶えるほど近しい関係だ、というのは危険で憂慮すべき点だった。
監視を継続しなければなるまい。国王の政務を全面的に引き受けて執政しているロランは、宰相の分を弁えた極めて理性的な人物だ。だがいざ反王妃派に回ったならば、フォス公爵家にとって大きな脅威となるのは必定だった。




