257 騎士と馬車
視点が騎士に戻ります
ジャックは息を飲んだ。
馬車から姿を現したのは、王国の第二王子、フィリップだったのだ。
思わずと一度目を瞑って見直した。だが馬車の階に立つのは黒茶の髪、冷えた蒼の瞳を持つ紛うことなき王子だ。
騎士の端くれとして、王宮の儀式や公的なパーティーに列席している。その際、幾度か見たことがある。そうでなくとも、王子が十を過ぎた頃からは市井に国王一家として肖像が出回っている。よほど世情に疎いものでなければナーラ国の民は、次期国王と目されているフィリップの姿を知っていた。
しかしこんな場所にいる筈のない人物だ。
いや、王妃の私的な馬車を使用するのに、これ以上相応しい人間もない。ただ、第二王子は確か、聖なる乙女の儀式の番として祈りの館に詰めているのだ。だからやはり、ここにいて良い筈がない。
ぐるぐると巡る疑問は放り捨てて、ジャックは跪いた。深く、一礼する。
「フィリップ殿下──!」
それは最早本能に根差したもの。国王とそれに連なる方々には最敬礼を向ける、それがナーラ国が誇る騎士団の根幹だ。違えようのない敬意と忠誠の対象に自然と頭が下がる。
「騎士ジャックか」
「は」
「何故、このような場所にいる」
先を越された!
ジャックはぐっと唇を噛み締めた。
主要街道とは違う寂れたこな道に夜半、いる理由。それはジャックこそ問い質したいものだ。そして自分がいる理由は秘密にしたい。
だがその思惑はこの王子には完全に見抜かれていた。主筋にこうも正面から問われては誤魔化すこともできない。
「先の学校襲撃の件で、国内にいる魔道庁に属していない魔道師を調査しております。不審な繋がりはないか、不正に手を染めてないか、禁忌の術を試みてはいないか、と。この道に連なる村に魔道師が三人居着いたと報せがありまして、昨夜遅くに魔道庁の魔道士と二人で訪れました」
結局、長々と自身の任務を語ってしまう。
「彼らには万一に備えて事前通達無しに訪ねます。隠蔽や逃亡を阻止する為に。それでも大方はまともな者達です。ただ、今回は違いました。我々が身分を明かした途端、彼らは魔法で攻撃してきたので魔道士と共に二名の魔道師を取り押さえました。ただその隙に一名の魔道師が逃亡して、足の速い私が単独で追いかけることになったのです」
「それが、そこの者か」
王子が地に倒れた魔道師を示す。ジャックは頷いた。
「はい。明らかに王宮に叛意のある者。捕えて事情を聞かねばなりません。しかし、まさか逃げる途中で王家の馬車を襲うとは想定外でした」
「なるほど。魔道士と騎士を見て逃げるのならば、後ろ暗い身の上ということだな。王家に害意があるか」
「こちらの馬車は知識がある者が見たら所有者がわかりますから」
「そうだな。行き合ったところで、突然、馬車を足止めをされた」
「は」
さりげなくフィリップ側の事情が語られる。ジャックは神妙に受け止めた。話してくれるならありがたく拝聴する。真偽の程は後で検証すれば良い。
「妙に突っかかってきてな。どうなることかと思っていたら、お前が追いついたというわけだ」
「それは、間に合って幸いでした」
己ごときが割って入らなくとも、その後の展開を見れば充分に対処できたであろう、とは口にしない。
頷いて、フィリップは言葉を探すように視線をさ迷わせた。唇を湿して言葉を継ぐ。
「それで。魔道師はどうなった」
ジャックは少しばかり戸惑った。攻撃を仕掛けた側に立つフィリップは、魔道師の状態を承知と思っていたのだ。急いでさっき確かめた容態を告げる。
「ああ、あの、気を失ってはおりますが、命に別状はありません。焦げてぼろぼろになっているのは服で、当人は軽傷どまりかと」
「!そうか、やはりか」
ほ、とフィリップのしかめた眉がわずかに緩んだ。ちらり、と奥を振り返った。馬車の中に火魔法を放った者がいるのだろう。とても力の強い魔法使いだ。
魔道嫌いの第二王子の元にそのような手練れがついているとは意外だ。
そんな心の動きが面に出ていたのかもしれない。フィリップが何気ない風を装って体の向きを変えた。馬車の中は背中で塞がれ、全く窺えない。
触れられたくない、ということか。
察して、ジャックは敢えてわかりやすく馬車から視線をずらした。
「軽傷ですが、意識が戻るには時間がかかりましょう」
「ならばその魔道師の処遇は任せる。元々お前の獲物だ。あの者を連れて魔道士の待つ村へ戻るがいい」
「訊問はしてよろしいのでしょうか」
王子が車内にいたことをあの魔道師が察知していたのなら、面倒なことになる。逮捕したら証言は記録に残るし関係者は閲覧可能だ。祈りの館で聖なる乙女の守護をしている筈の第二王子が王都を脱け出していた事実を、ここだけの話には決してできない。
「構わない。あの者は母の馬車を見つけてその真意を探ろうとしていたに過ぎない。…かなり執拗であったがな」
あっさりとフィリップは承諾した。その様からして、魔道師は誰を相手にしていたか本当に知らなかったのだろう。
「王妃殿下におかれましては、あらぬ疑いをかけられて災難としか思えません。殿下のお忍びに使われたと、公けにもできませんし」
「あらぬ疑い、な。日頃の行いの報いだろう。悪いが、あの魔道師の思い込みを正すつもりはない」
実母の悪評を利用してまで、フィリップ王子は秘密裏に動かなければならなかったのか。
「そうまでして、何故」
疑問が口から出た。
「必要だったのだ」
ぽつりとフィリップが溢した。答えが返ると思っていなかったジャックは反射的に顔をあげた。
「その理由は、」
「言えぬ。言うわけにはいかない」
「この馬車に乗っていたことも他言無用。お前に言いたいのはそれだけだ」
この話は終わりとばかりにフィリップはぴしゃりと言い切る。
「は、」
これ以上は聞いても無駄だ。この王子はこちらが粘ったとしても話さないと決めたら余計なことは語るまい。
仕方ない。
わずかなりとも材料は得た。本来の目的の魔道師は生きて捕えられた。
これで良しとして辞去するか、とジャックは魔道師を抱える算段を考えて、何気なく辺りを見回した。空の馭者台と歪んで地に墜ちた引き具が目に留まった。
「フィリップ殿下」
「まだ、何か?」
冷たく返されたがジャックは気にしない。
「魔道師については殿下のお言いつけ通りに。ただ、馬車をどうにかしませんと」
「あ、ああ」
意表をつかれたのか、フィリップは落ち着かなげに視線を飛ばす。突然、解けない問いを投げられたかのような。冷めた賢い王子の中に年相応の少年が垣間見えた。
困惑しているフィリップに、ジャックは軽く礼をして告げる。
「道の向こうに馭者が倒れておりました。行って起こして参ります」




