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ぶお、と空気が強くぶれる音がした。
ふらつく頭を揺らさぬようそっと視線を動かすと、サヨが放った凄まじい大きさの火球が鳥の群れを飲み込む瞬間だった。
ここまで、ルイやフィリップのことを考えてサヨがいかに加減していたかがわかる、恐ろしい力。伝説の魔鳥と謳われる所以をルイは思い知った。
谷を飛び交っていた鳥達をあっという間に炭にした凄まじい炎は、しかし魔鳥・サヨによって弱められ手の中に吸い込まれていく。だが炎で温められた熱風が狭い谷底に溜まる。周囲を巻き込む強いエネルギーは上昇気流となって渦を巻いて空に昇る。その空気の勢いに山が揺れた。
まずい!
ルイは咄嗟に、土肌が見えている斜面全てを覆うように魔法をかけ直した。衝撃を吸収するよう、土留めができるように願いながら。
「ぐっ」
全身の力が抜ける。ついに膝から崩れ落ちようとして、柔らかいものに抱き止められた。
「ルイ!」
耳元で叫ぶのはサヨだ。力の入らない体を支えてくれている。
「大丈夫?」
ルイはぱしぱしと瞬きした。少し頭がはっきりする。
「平気。それより、山は、木は倒れてないか」
「──、ルイのお陰で無事。少し土が削られただけ」
「良かった…」
気が抜けてまた倒れそうになる。が、サヨに助けられているのに気づいて、ぐっと力を込めて起き上がった。
「ルイ、ごめん。やり過ぎた」
「いや、魔物を一掃してくれて助かったよ」
サヨが力を振るったからこそだ。防御一辺倒のルイと、根の中にあって制限されたフィリップでは埒が明かなかった。
ようやく魔物が消えて、フィリップが根元に達するまで待つことができる。
魔の鳥に邪魔されて、剣で応戦して。フィリップがどれくらい大変かは外からは窺えない。崩れやすい土と、根上がりを起こしている不安定な木の根とを辿って登るのだ。しかも、狭くくねった中を。
木の根元までは人の背丈の三倍程。
既に半分を超えているが、そこから先も順調にいくかわからない。脆いトンネルを体重を分散させて進まねばならないからだ。疲労もあるだろう。
ルイはこっそりサヨに尋ねた。
「大丈夫なのか」
「一応。ゲームでも攻略対象者が一人で向かうの。しかもフィリップかマクシム、どちらも魔法をほとんど使わないキャラクターでクリアするんだから、いける筈」
「その判断、無理があるだろう」
「しょうがないでしょ。元々、宝を獲得するのってヒロインとの共同作業。二人の親密さを深めるイベントなわけよ。その中でも盾を獲るくだりってコレットの助けが大きいの」
「サヨじゃ無理なのか」
「駄目。フィリップの場合だと第三宝剣に祝福を授けるんだもの」
そんなの聖なる乙女(その時は未認定)にしかできないでしょ、とサヨは言う。
確かに、それはヒロインにしか不可能だ。
「その祝福ってすごいのか」
「まあ。魔物を倒せるようになるから、さっきの鳥の邪魔とかなくなるでしょ。イベントクリアが楽よね」
やはり本来のシナリオに従った方が、アイテムを獲るのも簡単なのだろう。歪な方法では、イベントクリアは困難になるということか。
「あとね、これはフィリップの前では言えなかったんだけど。もしかしたら盾を手に入れることはできないかもしれない」
「なんで!」
潜めた声に、ルイは配慮も忘れて声をあげてしまう。慌てて背後を振り返ったが、特に反応はない。
「ここで拾うのは盾ではないの。だけどそれはヒロインといることで盾に変わる」
「──宝玉と同じか」
「ううん、あれは一応、元のやつも玉の形態だったでしょ」
青い玉と赤い玉。その二つが揃うことで宝玉が発現する。
「だけどここで見つけるのは価値のないただの塊なの」
宝の一、破魔の盾は木の内に抱かれて眠りにつく。安んじて容を変ず。
「それが盾に変わるには、聖なる乙女の力が必要ってことか」
「ていうか、愛?」
「愛って!」
ルイは笑いかけて、やめた。何度も言われてきた。元は恋愛が主の乙女ゲームだ。
「それがゲームの基本なんだな」
「そう。だけど現状、フィリップはコレットとほぼ交流なし。ここで獲たものは盾にならないままかも」
「そんな、」
こんなに苦労して辿り着いたというのに?
「そもそも、さ。聖剣はそのものが出てきただろ。宝玉は鍵になる二つの玉があって、自由に発現できる」
試したことはないが、そうなると目の前の魔鳥が言っている。
「なのに、盾だけは駄目ってのは厳しくないか」
「そうね。でも、剣の場合は元々第二宝剣っていう発現の鍵になるモノが手元にあったわけじゃない?で、宝玉は魔道師や魔鳥っていうシナリオ的にヒロインとの恋愛色が薄い攻略対象者が獲るものなの。だから鍵を得て宝を獲られる。だけど盾は鍵のない状態で、かつ攻略対象者は主人公と関係が深くなる二人。ヒロインとの絡みを経て宝を獲得するっていうのは自然でしょ」
「ゲームの設定ってわけ?」
「そういうものだから」
「ヒロインの力か。って言っても、人の気持ちなんてどうにもならないしな」
フィリップが今後コレットと距離を詰めていくのか、それはルイにはわからない。何かの拍子に一気に近づいて盾が顕現するのかもしれないし、ならないかもしれない。
「別に、三つの宝を全部集めなくたってゲームはクリアできるのよ」
「この世界では違うかも知れないだろ」
サヨの微妙な言いようにルイは反論する。
何しろバグだらけなのだ。一つの宝で(既に二つは得ているが)立ち向かうのは無理でした、は、やり直しの利かないリアルな世界では洒落にならない。肉体的な死が当たり前のようにちらつく。
それに。
「フィリップは盾を手に入れたくてこんなところまで来たんだろ」
そうだ。本来は正統な王妃腹の王子として、王宮の内にあって優雅に過ごしていれば良い身の上が。迂遠な策を講じて、自分に頭を下げてまでこんなところまでやって来て、土にまみれて必死に木の根を掴んで穴蔵を登っているのだ。
「フィリップには盾は必要なんだ、絶対。だから手に入れる」
「──おい」
いい加減話すこともなくなって、二人が山の反対側に腰を落ち着けてしばらくした頃。崩れた山の土の中から、フィリップの呼ぶ声が飛んだ。
日は傾き始めていた。
「フィリップ?」
急いで土壁の元に行って見上げる。長く伸びた根がくねる。目を凝らしても、中の様子はほとんどわからない。
「…根元に、着いたぞ」
「!やった、」
ようやく目的の場所に辿り着いたのだ。ルイは歓声をあげかけたが、それを遮るようにサヨが声を張った。
「それで。根元のウロには触れる?」
「ああ。手を伸ばせばなんとか。かなり凸凹してるぞ」
フィリップの声だけが落ちてくる。
「いいの。手のひらを当てるようにして、探って」
「やってる」
「満遍なく、よ」
「わかってる、」
次々に飛ぶサヨの指示にフィリップが応じる。二人の間には通じるものがあるように会話は滑らかだ。
「え、え?」
ルイは置いてけぼりだ。うろうろとサヨとフィリップがいるであろう木の根上がりを見る。
サヨが短く告げた。
「ここに飛んでくる時に、説明してあったのよ」
「え。──ああ!」
サヨにそれぞれ運んでもらった山越え。先行したルイの知らぬ間にフィリップとそういった会話があったのだろう。
ならば具体的な指示を受けて探している筈。
静かに待つ。
「あったぞ」
フィリップの、ほっとしたような声が聞こえたのはそれからすぐだった。
志ある者、その手に石を抱く。純なる乙女の愛の結実。献身が魔を弾く盾となる。そは金剛石より強固な硬度にて、悪しきもの全てを打ち砕く。




