24 剣
「シャル様!」
「マクシム」
剣の稽古に宮を訪れたマクシムを出迎えたのは、シャルロット一人だった。
ルイは基本、ブリュノが稽古をつける日以外は剣の自主練しかしない。さらに侍女のレッスンがなければ書庫へ行ってしまって不在だ。最近、さらに多忙なブリュノの訪問は週に一回程度になってしまって、ルイはそれに合わせて剣を振る形だった。
一方マクシムは、父親がいない時でも宮にやって来ていた。
騎士になる為に王宮の東に位置する騎士団にも顔を出しているので時間のある時だけだが、それでも二日か三日に一度は宮邸を訪ねていた。もちろん、そのほとんどの時を剣の稽古に充てる。シャルロットと二人、中庭で打ち合い、競い合うように素振りをして過ごす。これは既に一年も続く習慣となっていた。
「と、シャル様?」
いつものように元気よく駆け寄ろうとして、マクシムの足がたたらを踏む。
「マナーの時間でしたか?」
申し訳なさそうに窺うのは、シャルロットの出で立ちのせいだ。
マクシムと会う時はほぼ男装と言うべきパンツスタイルなのだが、今は飾り気のない裾の長いドレスを着ていた。
メラニーとクレアという二大お目付け役によって、日々を基本ドレスで過ごすようになったシャルロットである。しかし剣の稽古をする際は、それまでと同じ動きやすさを優先したパンツスタイルを許された。なのでマクシムの見慣れたシャルロットは、初対面で間違えたルイ仕様だ。
だが一度ダンスのレッスンが押してしまった折り、ドレス姿のシャルロットにマクシムが遭遇したことがあった。ルイと組んで踊っていた格好に驚いて口を開けてしまい、シャルロットの機嫌を大いに損ねた。罰として?侍女二人にダンスに駆り出されて冷や汗をかく羽目になったのは、マクシムにとって消し去りたい記憶である。
その時の苦い思い出が蘇ったか、素早く周囲を見回す。
「クレア達はいないよ。大丈夫。もう着替えるところだったんだ」
ちょっと待ってて。
笑って安心させると、シャルロットは着替えのため席を外した。これも、その場でドレスを脱ぎかけて侍女二人に悲鳴を上げさせた以前の教訓である。そして最低限の常識を身につけた王女に、マクシムが胸を撫で下ろしたことは知らないままだった。
シャルロットが着なれた男装でサロンに戻ると、二人の間に気安い空気が流れる。
会えば、いつもの馴れた稽古仲間だ。さっそく中庭に移動して木剣を取り出した。
それでも今日の訪問は久々だった。
騎士団内で剣術のトーナメントが行われるとかで、マクシムは準備段階から手伝いに行っていた。それが二週間程前のこと。それでもちょこちょこ顔を出していたが、直近五日はいよいよ暇がないと宮邸に来られなくなった。ようやく昨日、本番が終わってマクシムの忙しさも一段落したので、こちらに赴いたのだという。
「で。昨日はどうだった?」
王家の教育が始まってからも、シャルロットは一、二度書庫へ行ったことがあるくらいで宮から出ることはほぼない。会話する者はほぼ宮邸の人間に限られていた。故にルイとマクシムの話す外の出来事は、どんなことでも新鮮で面白かった。
しかも今回は、一番に打ち込んでいる剣の話だ。マクシムからトーナメントの開催を聞いた時から、強い興味を惹かれて幾度も詳しい話をねだっていた。そしてついに昨日、剣術大会が開かれたのだ。シャルロットはマクシムがやってくるのを待ちかねていた。
「それで、結局マクシムの兄上達は出たの?前に聞いてた話ではまだわからないって言ってたよね」
マクシムの兄二人は、既に成人済みで騎士団でもかなりの実力者と名が通っているらしい。
シャルロットはわくわくと訊ねた。しかしマクシムは首を振った。
「いや、なんか上の人間は出ちゃいけないとかで参加は見合わせました」
「つまんないー」
「大会が若手の腕のお披露目大会っていうか、名を挙げるチャンスみたいなものらしいんで。隊長格は暗黙のルールで辞退なんですって。でも、すっごい見応えありましたよ」
「そうなの?」
「やっぱスピードとか段違いで!稽古とは全然違う迫力っていうか」
「ええっ?そうなんだ!」
「基本、稽古はお互い決まった感じで打ち合わせる感じじゃないですか。でも大会はトーナメントだし相手を倒さなきゃ勝てないんで。限界まで出し切るっていうか真剣勝負で」
「わわわ。見たい!」
「空気ヒリヒリで。不意打ち上等って言うか隙見て攻撃って狙うのがすごくて。見てる俺達も熱くなっちゃって」
「あー!楽しそう」
話しているうちに気分が高揚して、二人とも拳を握って盛り上がる。
それから、稽古そっちのけで話していたことに二人とも気づいて木剣を構えた。
それでもどうしても心ここにあらずで、シャルロットは剣術大会を頭の中で思い浮かべる。
見たい。見たい。
「好評だったんで、次はもっと大々的に、人数も規模も大きくしてやろうって盛り上がってました」
「うわあ、いいなあ」
大会の余韻に浸るマクシムにこうまで言われてしまえば、素振りの回数を数えるのを中断してまたも話に戻ってしまう。
「意外な騎士がいい勝負をしたりしたんで。一般からも参加許可するのも有りかなって。上の方で検討するかもって話もありました」
「それって、いつ?」
「準備もあるから毎年は無理なんで。再来年とか言ってました」
「あー。次は見たい。隠れてでも見に行きたいなー」
思わず本気で思う。それから、あと二年経つと九歳。剣の腕もあがるから、と、良からぬことを考えていると察したのか、マクシムが焦ったように言う。
「無理ですよ。隠れても絶対無理!」
「むー。ちょっと考えただけだよ」
「いや、やる気だったでしょ」
困りますよ。俺、もうすぐ手伝いじゃなくなるんですから。
木剣を振るマクシムのぼやきに、聞き逃せない言葉があった。
「え、どういうこと?」
思わず問うと、少しだけ得意気な顔がシャルロットを見下ろしていた。
「あと一年もしたら、騎士団が俺を見習いの下働きに入れてくれるって」
実に嬉しそうに、マクシムは満面の笑みを浮かべた。
「へえ、いいなあ。あれ、でもそんなに早く入れるんだっけ?」
マクシムに教わって得た騎士団の知識では、十を過ぎた頃合いで見習いになれるかどうかという話だった。
「俺はナリがでかいから良いって。あとはまあ、父のお陰だと思います」
確かに、マクシムはルイとシャルロットと一つ違いと思えないほど背が高く、体もしっかりしている。比べる相手を知らないが、多分同年代でも大きい方なのだろう。騎士団でも役に立ちそうならフライングがあるということか。
まあ、マクシムの言う通り、未だ騎士達から絶大な信頼と人望があるブリュノの影響なのかもしれない。
それにしても。
「羨ましい。私もマクシムみたいに大きくなりたいなー」
ぐんぐん伸びる友の長身を羨望の目で眺めた。
「いや、さすがにそれは」
「無理?」
「シャル様、王女様じゃないですか。あんまり強そうになるのはちょっと…」
どうかと思います。
「何それ。私、王様にも会ったことないんだけど」
「でも歴としたお姫様でしょう」
「王女らしいことって、アンヌやメラニー達のレッスンくらいしかやってないのに」
「陛下から宝剣いただいたルイ様の妹じゃないですか。お姫様ですからね。さっきのドレスだって似合ってましたよ」
「あーりーがーとー」
一生懸命言葉を重ねたのに、シャルロットの返しはひどく気のないものだった。
マクシムが瞬きした。
「駄目なんですか」
「ううん、褒めてくれるのは嬉しいよ。でも私は、ルイを守れるようになりたいから」
「ルイ様を?」
「うん」
「ルイ様も剣は使えますよ」
「でも私の方が強いよね」
「ああ、まあ、そうかも」
マクシムが誤魔化すように頭をかいた。言いにくそうだが、しっかりと頷いた。
「頭はもちろんルイのがいいよ。だからね、もっと強くなってルイを守れるようにするんだ」
さっと木剣を上から振り下ろす。剣筋は鋭く早い。
「んー。つまり、私にとってはルイがお姫様ってことかな?」
「いや、それは」
「ルイきらきらしてるし、良くない?」
「あー」
マクシムは今度は視線を泳がせて言葉を濁した。だが即座に違うと言わないのだから頷いたと同じだ、とシャルロットは思う。
「ルイのが髪がきらきらじゃない」
「まあ、そうですね」
剣を突きつけ畳み掛けると、渋々ながら認めた。
「でしょ?」
そうなのだ。
男女とはいえ生まれた時はほぼ一緒、双子の容姿はよく似ていた。
けれど成長に従い差異が大きくなってきた。二人とも金髪青い瞳なのは同じ。だがルイは薄い色合いの金髪に薄青い瞳で、シャルロットは段々と髪色が濃くオレンジ色を帯びてきた。睫毛の色も茶に近く、元から瞳は藍色だ。睫毛まで金色で髪は綺麗な淡い金色なのも相まって、いろいろきらきらなのはルイだ。
顔立ちも互いに向き合うと似ていて鏡みたいだが、実は違う。自分はじっとしていられない質のためか顔も姦しい。しょっちゅう動いて落ち着きもないと思う。でもルイは違う。書物に囲まれて机に向かっている時なんて造り物みたいに綺麗に整っている。
「と、思うよね?」
「それ、ルイ様に言ったら怒られますよ」
「でも本当のことじゃない」
腰に手を当ててえらそうに言うと、マクシムは呆れたように嘆息した。
「シャル様」
「とにかく。きらきらのルイは私が守るの。だから私もマクシムみたいになりたい」
マクシムは反対しなかった。剣を傍らに置いて、まっすぐにこちらを見た。
「だったら。でかくなるより強くなりましょうよ。もっと稽古を重ねて」
マクシムが手を差し出す。木剣を振り、騎士団では真剣を掴んでいる大きな灼けた右手。握り返そうと差し出しかけた自分の手の白さと小ささにシャルロットは躊躇する。
同じように肉刺はあるのに、全然強そうじゃない。
もちろん、日焼けしたら剣は辞めさせられるから、色白のままなのは良いことなのだけど。
「でも、私は本物の騎士にはなれないもの」
宙ぶらりんで止まった半端な右手は、ぐいと力強く引かれた。堅く握られ、目の前のマクシムと至近で目を合わせた。
「なに言ってるんですか」
「マクシム」
「いっつも強気じゃないですか、シャル様は。大丈夫ですよ。未来の最強騎士になる俺が、ずっと一緒に稽古しますから!」
曇りない笑顔で約束されて、シャルロットはうん、と大きく返事した。
いつもの笑顔が戻って、マクシムが眩しそうに目を細めた。




