220 聖なる存在
時系列が前後します
ルイが聖剣を獲ていたという事実は、聖なる乙女の顕現が同時に起こった為に、事の重大さに比べて人々の関心を引かなかった。
魔物が王立学校に出現し王子を襲撃したという衝撃。混乱と恐怖。その全てを救ってみせた大いなる力。救国の聖なる乙女に皆の視線は集中していたのだ。
魔物が滅し、混乱が終息した校内で、警備の兵と騎士、魔道士が検分を行った。
実態を時系列と共に正確に調べる彼らの目も、コレット・モニエという特待生の少女に向けられた。
救国の鍵となるべき聖なる乙女と、国の宝の一つに過ぎない聖剣。
特待生というだけの平民の娘と、側室腹とはいえ現王の第一王子。
優先すべき順位と省庁の役人の追及のしやすさを鑑みれば、至極当然であった。
第一に為すべきは聖なる乙女の真偽の確認であり、その身の保護であった。ルイ王子は身分故に、宮邸で落ち着いた頃合いを見計らい役人が訪問する。その際に礼を尽くして事の経緯を聞き取るという形になった。
この時には、ルイの傍らには元魔道士長・ジュールが同席することが決まっていた。ロラン宰相の指示、という見えない牽制も併せてあり、特別な配慮が必要となった。
…国の宝の一つを秘密裏に獲得していたという事実は重大だが、王子という確たる身分から扱いは慎重さが重視された。それでも魔道庁にとっては正体不明な者ではない。後からでもきちんと精査できる。
それより、王立学校に在籍するとはいえ素性も定かではない平民の、聖なる乙女の真偽を明らかにする方が急務であった。
そうして事件の翌日、魔道庁の魔道士が学校の寮を訪ねて目にしたのは、ピンクがかった金髪の整った顔立ちの少女。王都に住まう平民の娘と聞いていたが、貴族の子女と言っても遜色のない容姿の生徒だった。
本来はトマ魔道士長が赴く筈が、犯人の手がかりを掴めぬ現状に魔道庁を離れられずにいた。代わって聖なる乙女候補の少女を迎える役目を仰せつかった若い魔道士は、少女の姿に心を躍らせた。
伝説の聖なる乙女──お伽噺の類いに過ぎない夢のような存在が目の前にあるではないか。
「コレット・モニエ嬢。私と共に王宮においでください」
学校に連絡をし、寮の共用の客間で面談した。魔道庁からの聞き取りに協力するように、とだけ告げて呼び出したからか、少女は戸惑いを露にした。
「何故、私を?」
「昨日の事件の折の、貴女のはたらき。極めて特別な力を我々は感じました」
はっと息を飲み、少女はゆっくりと返した。
「それは、ここの魔法学の成果ではないでしょうか」
「昨日の事件。全き力で魔を滅ぼし、あの広いホールの全生徒を癒したのは貴女の聖なる手によるもの。」
「癒した。──え、私が?」
治癒魔法なんて、使ってない。
小さく溢した声を、男は逃さず聞き取った。
複数の生徒から得た証言。生徒達は逃げる途中や魔物によって少なくない人数が負傷した。打ち身や捻挫等軽いものから魔物の攻撃による裂傷、出血したものまで。
それら全て、魔物が滅んだ後のコレット・モニエの放った魔力によって綺麗に消えた。痛みが消えた。元通りになった。跡形もなく傷が治癒した。等々。
それを、当の本人は自覚していない。
治癒魔法は高度な術だが、特段珍しいものではない。だがホールの中に留められた数百を超す生徒の中で負傷した数十人。軽傷、重傷、程度も種類も様々に混在する全ての怪我をあっという間に治すのは、優れた治癒師としてもあり得ない。一度に使う魔力があまりに多い。なのに、この少女は莫大な魔力を消費して尚、気づかずにいた。
その『わかっていない様子』が空恐ろしく、昨日から多くの者が語った奇跡が真実であったと知らしめる。
「ご自覚がない。ならば王宮で確かめさせていただく。貴女の力は我が国にとって非常に大切なものなのです」
「──」
徒に騒ぎ出すこともない。ただこちらの意図を理解しようと静かに頭を働かせている。そうして、事の大きさを理解したのか、俯いていた顔をあげて、まっすぐにこちらを見た。
「わかりました。今すぐ、でしょうか」
「はい。数日滞在していただくことになります。ですから、身の回りの物をお持ちになる時間は取れますが」
「数日、」
「魔道庁の長だけでなく、他の識者にも判断を仰がねばなりませんので」
「──。ちょっとだけ待っていてください」
そうして、コレット・モニエはわずかな手荷物だけを持って王宮に向かうこととなった。
後をついてくるコレットを、男は顔を傾けて確かめた。
灰色の制服姿で、大きめの袋を胸に抱えている。地味な装いだが、容貌の美しさは隠しようもない。
聖なる乙女として認められたら、彼女は清廉な白絹の衣服をまとう。それはどんなにか映えるだろう。国の上に戴いても支持を集めそうな神々しさが、自然に生まれるに違いない。
これは、この事は、かの公爵閣下に報せねば。
男は数年前、フォス公爵の自邸を訪ねていた。約束も伝手もないぶしつけな押し掛け。しかし魔道士長の後見と知られていた公爵は、彼を追い返すことなく邸に迎え入れた。そうして、彼の魔道士としての野心や公爵への忠誠を知ると、その意気を讃え、歓迎した。
以降、彼は事あるごとに魔道庁で知り得た内部情報や己の気づきを公爵に流し始めた。報せる都度、礼の言葉が寄越され、男の自尊心は大いに満たされた。今後も役立つ情報を探して、いつか個人的に引き立てられることを期待している。最終的には、魔道士長に成り代わるのが目標だ。
そんな男が聖乙女の実際を誰よりも早く掴んだのは、僥倖と言えた。
どうせあの融通の利かない魔道士長は、この少女の素質を見極めようとも、外貌の美点は一顧だににしないのだ。有益な、実利に繋がる要素であるというのに。
美しさは隠しようもない力だ。特にこういった特別な存在であれば、この追加の武器が備わると人々の信望を集めやすい。さらに平民の出という貴族社会での疵は、民に対しては良い宣伝となる。
この娘は何としてでも手に入れるべきだ。
そう強く思う。
もちろん、現時点でこの少女が聖なる乙女と決まったわけではない。
だが男は確信していた。この娘が伝説の聖なる乙女、救国の存在だと。
そして、フォス公爵にこの少女の価値を誰よりも早く告げようと考えた。
3章97




