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「王の病は相変わらず。学校から来た魔道師と治癒師を以てしても快方には向かわぬようで」
三日後、再び廃屋を訪れたクロウは、急ぎ調べあげたであろう主の報告を受けた。厳しく咎めたせいか、潜ませた全ての者に『今起きていること』を集めさせたらしい。王居の隅々、騎士団の配置、衛兵の報告見回りや交代の間隔等、事細かに報告をまとめていた。
望むとおりの成果だが、クロウは感心などしない。
やればできるではないか、というのが本音である。できることを尻を叩かれねばやらぬなら、上に立つ資格はない。首をすげ替えるのを既のところで免れたものだ。使えぬ者はあの方の下にはいらぬ。
「それで、王宮の様子は」
「年明けの新年祝賀の儀式は恐らく全て中止になるかと」
「王は、床上げもままならぬ状態でしょうか」
「さすがに警戒が厳しくて奥のうちには入れぬが、どうやら身体の病というより心の衰弱が大きいようだ。表に出せぬ、というようなことを侍従がこぼしていたのを聞いた者がいる」
「なるほど」
つまりは、身体はさほど弱ってはいない。今すぐに見罷るというわけではないのか。
しばし考え、クロウは口を開く。
確か、東の王妃の側近くに入り込んでいる者がいた筈。ここの主に動かしてもらわねば。
「王宮の年明けの動きはわかりました。王子の通う王立学校の方に働きかける必要があるのです。お願い、できますか」
フードから覗く下半分ににこやかな笑みは崩さぬまま、願いを告げる。
もちろん、主に否やはない。当然だ。
クロウの言葉はアントンの意志。我ら全てのしもべの願いなのだから。
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東の宮に王宮からもたらされた報せは嬉しいものではなかった。
国王アランの容態芳しからず、新年の儀式、宴の類いは全て中止。外交儀礼として外せぬ各国との最低限の交流のみ、宰相が主となって行う。
ここ最近の王の様子から半ば予想していたが、政庁で決定したとの連絡はナディーヌを失望させた。
長らく国王と離れて住まう身として、国の公式の祝賀や儀式は王妃の地位を己にも周囲にも知らしめる貴重な場であった。フォス公爵家の姫、ではなくナーラ国の後継を産んだ王妃という最高の地位にある自分。
揺るがぬ立場を確認できる折りは、存外少ないのだ。
それがなくなった。またしばらく影のように記号のように人の口に上るだけの存在に堕ちる。それが口惜しくてならない。
何より、フィリップと会う機会が失われた。母を避ける息子は、正式な場では礼儀に則った完璧な態度を保つ。王妃として礼を失せず母として遇する。例えその目線が冷えたものであろうとも、我が子と間近に接する数少ない日なのだ。だが新年に纏わる儀式は全て自粛と相成った。フィリップは良い口実ができたとばかりに、母と会おうとしないだろう。
下降する気分のまま長椅子に沈んでいたちょうどその時、魔道師が面会を請うてきた。
「グレゴワールか」
禿頭の魔道師は約束もなく宮を訪れることが多い。しかし不思議なもので、かの男の不意の面会は怒りを感じることはほとんどなく、何かしらの満足を得るのが常だった。
故にこの時も、ナディーヌは侍女の伺いにすぐさま応じた。
ナディーヌは戸惑いを隠せなかった。長椅子に怠惰に寝そべっていた体を起こして、跪く魔道師を見た。
「グレゴワール。今、なんと申した」
「ですから、学校の新年の祝いは開催すべき、と」
それも、フィリップ殿下が主導で行うべきでございましょう。
グレゴワールの提案は、気分が沈んでいたことなど忘れる程、ナディーヌの心を揺るがした。思いもよらぬ提案は、混乱を呼ぶ。
かつてナディーヌも在籍していた王立学校の行事はなんとなく覚えている。
年に数回予定されているホールで行われる大々的なパーティー。その新年の会の開催を強行しろとグレゴワールは言う。
ただの学校の行事であろうとも我がフィリップが先頭に立つのは喜ばしい。
だが。
「しかし陛下がご不例なのじゃ。子供とはいえ、王室の藩塀たる貴族の子女がほとんどの学校で、国王の病篤い中で祝宴など、不敬の極みではないか」
「妃殿下、なればこそでござりましょう。学校に籍を置く者は皆、陛下の御為に祝賀の儀が自粛されるのは承知の筈。しかし年若い身故に元気をもて余しているのは容易に想像できます。彼らの憤懣を発散させる為に殿下が動かれるのです。成功すれば皆が殿下を称えましょう。陛下がお倒れの今、学校とはいえ新年の宴を催せるのはフィリップ殿下お一人」
グレゴワールのあげた顔がぐっとナディーヌに近づく。
「これは、殿下の存在を知らしめる良い機会です」
「陛下はお気を害するのではないか」
魔道師の勢いに押され、手にある扇を広げて口許を隠す。そう言うのがやっとだった。
「失礼ながら。お体が弱っている際はいろいろと考えましょうが、後になれば跡継ぎの殿下が立派に行事を運営されたのとをお慶びになるでしょう」
「──そうで、あろうな」
ナディーヌはあやふやに頷いた。
流れるように語られるそれ。
閉じた扇を手のひらで玩ぶ。
グレゴワールの描いたような未来は、来ないと知っていた。我が子が何かを成したとして、もとより関心のないアラン王なのだ。
そこは期待はするまい。
だが王以外の者達には、フィリップが中心となって事を成功させた、という実績は大いに役立つ。特に学校にいるのは国を支配する貴族達の子女なのだ。彼らの心に、フィリップの威光を植え付ける好機ではある。
「──わかった。私の方から学校長に願い出よう。新年のパーティーは陛下に遠慮せず執り行うがよい、と。校長が渋ったらフィリップの名を前面に出して王子の意向として推し進めさせよう」
グレゴワールは満足そうに笑みを浮かべた。さらに、と膝を進める。
「新年というのと、殿下のご威光を知らしめる為に、開催は年明け初日にしてはいかがでしょう」
「新年最初の日?それはできようか」
「貴族の方々は逆に予定が空いておられるのですから、歓迎されるのでは」
王宮の諸行事がなくなったのだから、保護者含めて暇というわけだ。
「そうか。では日程も併せて学校に図ることとしよう」
「それが、よろしいかと存じます」
グレゴワールの禿頭がうっそりと下がる。ナディーヌはほっと息を吐いた。
グレゴワールが同意してくれると、何故か安心感に包まれるのだ。
正しいことをしている、フィリップを玉座へ導く助けができている、と。その理由が何処から来るのか、その由縁は決して探りはしないのだが。




