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突然態度を変えた自分をルイ王子が不審に思ったのはわかっていたが、コレットは限界だった。
それでも王子の視界にあるうちは平静を装った。柱の角を曲がって見えなくなったと確信したら、もう我慢できない。人気のない廊下を全速力で駆けた。制服のスカートを爪先で蹴りながら。
そうして誰にも会わないよう下を向いて走って、一目散に寮の自室に逃げ込んだ。
扉を閉めて、人の目を遮断できたと安心して。コレットは扉を背にずるずると床にしゃがみこんだ。
顔が熱い。
鏡を見てないが恐らく真っ赤になっている筈だ。
「信じられない!」
コレットはショックを受けていた。そしてそのことに猛烈な羞恥を覚えていた。
「あの魔鳥。あれが前の人間だった時の姿だなんて」
あんな完璧な美少女、現実にいる筈がないから、私はてっきり。
この世界で魔鳥を見かけてから考えていたことが全部自分の邪推だったとわかって、コレットは唇を噛んだ。
きつく噛み締めていないと、一人きりで喚いてしまいそうだった。
日本人でもあまりいない、真っ黒でまっすぐな長い髪、真珠色に輝く肌。切れ長だが濃く長い睫に縁取られた大きい漆黒の瞳。完璧な造形の顔立ち。ゲームとか物語の中でしか有り得ない美少女。
あのサヨが実在の日本人だったなんて。
信じたくないが、ルイ王子がすぐにわかったと言っているのだから本当なのだろう。
あれが、あの美少女が自前だったなんて。
コレットは正直、魔鳥を初めて見た時、随分と盛った姿になったんだなあと冷めた感情を持った。
西洋風のこのゲーム内で、敢えて日本人の容姿になるなんて。
しかも日本人的超美人。余程前世で劣等感を抱いていたのだろう、と少しだけサヨの生前を憐れんだ。
コレットの前世はと言えば。
家の鏡の前ではまあまあに見えるレベルだが、不意打ちで撮られた写真は二度と見たくないし、外で遭遇したガラスに反射した姿は目を反らす状態。ごく普通の、並み周辺の容姿の、女子。
週末はリアルな出会いを求めることなく、大好きなゲームに勤しんでいた。
そんな自分が、前世で恐らく現実に輝きまくっていたサヨに優越感を抱いていたなんて。
──恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
下に見ていた記憶を丸ごと、消してしまいたい。
万に一つも誰にも、ルイ王子にも気づかれていない。そうとわかっているが恥ずかしくて堪らない。
サヨ本人には一切匂わせたり侮った態度を取っていなかったのは不幸中の幸いである。それだけは自分を褒めたいと思った。
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コレットか特待生として入学以来、いろいろあった。学校生活は順調そのもの。成績も良いし身分違いの環境に飛び込んだが、幸いにも新たな交遊関係も築けている。
しかし。
気づけば、学校生活も三ヶ月を過ぎ。あとひと月も経てば年が明ける。と差し迫った状態に最近、気づいた。
新たな交遊関係、の友人達──サラ達が口にした新年パーティーの話題に、コレットは愕然としたのだ。
時が経つのが早い。そしてゲームは進んでいない。
友人達との関係は良好。魔法学は面白いし、密かに試している魔術の修得は順調だ。何故かゲームと性別が異なる魔鳥とも、情報交換をする仲になっている。
だが、一部の攻略対象者と言葉を交わすようになっていても、まっとうな攻略ルートに進む兆候はない。
乙女ゲームの肝である恋愛感情がほぼ皆無なのが悪いのだろうか。
さて、ゲームのシナリオにある平和な学校生活では冬の最中、年明けに新年パーティーがある。同じ世界の証明のようにここでも開催予定だ。
当然、催されるダンスに、シャルロットの信奉者達は七人に限られるパートナーの座を勝ち取ろうと非常に盛り上がっているらしい。まずは皆で集まって、希望者のリストを作成する。この中から、既に踊った者を除いて選出する。
もちろん、コレットはそのリストに載っていない。かの信奉者達の仲間に入れていないから当然だ。
前回のような割り込みもできないだろう。あの時は非常事態であったから、シャルロットが本来の相手を置いてまで助けてくれたのであって、そんな幸運は二度と訪れないし、万一あったとしても次は上級生に容赦なく阻止される。間違いない。
コレット自身、端から望んでいないが、ここのところ、上級生達から無言の圧や牽制を受けている。
ただ、ダンスは期待していないが個人的に言葉を交わしたいのが本音だ。
シャルロットの誤解が解けたのは良いが、新年パーティーで少しでも二人だけの時間を取れるよう、どうにかお願いしたかった。
しかし信奉者の上級生のガードは堅い。
次の機会、はないかもしれないが、なかったらその時だ。当日にでも姿を探して声をかけよう。
心に決めて、コレットはパーティーの現実的な準備ついて考え始めた。
服はある。前に着たピンクのドレスを使い回すつもりだ。
学校のリサイクルを利用した生徒は、一年間は同じものを着て良いことになっていた。そもそもドレスを自前で用意できない者であるから、当然の配慮だ。
今度は、サラ達のアドバイスを受けてドレスはきちんと着付けをするつもりだ。準備の時間もちゃんと取る。きれいに髪もまとめ上げて『シャルロットから』もらった髪飾り、『シャルロットの』リボンのついた髪飾りを仕上げにつけるのだ。
当人に披露できる時を想像して、コレットは緩む口元を引き締めた。
この時点で、ヒロインの頭の中にゲームの進捗を憂える気持ちはない。
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「ねえ、何かあった?」
魔鳥のサヨがそんな風に尋ねてきたのはもう冬になろうかという頃合いだった。
ルイの私室のお決まりのソファ。最近は短い連絡事項は校内で済ませていたので、久々の夜の訪れである。
「何って、なんだよ」
「ヒロイン様。最近、ずっと避けられてる」
「ああ…」
少し前にルイと偶然校内で会った時もおかしかった。いや、最初はいつもどおりだったのに、話しているうちに様子が変になって逃げるように去っていったっけ。
「俺が会った時もなんか怒ったのか、態度が急に変わって驚いたんだけど」
「ルイも?何か気に障るようなこと言ったとか」
「ないよ。そういうサヨはどうなんだよ、本人に理由、聞いたのか」
「聞いたわ。そしたら、何もない、自分の問題だから放っておいて、って」
何だそれ。
「あと、少し時間をおいたら普通に戻るから、とかなんとか」
「わからないな」
「でしょ」
サヨがお手上げ、と肩を竦める。
同じ?女子の魔鳥がわからないものをルイが気づける筈もない。
「友好関係は保ってるんだろ?」
「うん、多分」
「じゃあ、ヒロインの言うように、放っておくしかない。何か起きたら協力する。今までどおり」
「それしかないか」
うん、と伸びをしてサヨが言う。
「じゃあ、私はしばらく王都や森でも見てくるわ。ジュールや魔道庁の防御の様子も確認したいし」
「気をつけろよ」
これは魔物と人と両方を意味している。魔物にも狙われる伝説の黒魔鳥としては、いずれの勢力にも姿を見られたら面倒だ。
「わかってるわよ。適当な鳥に擬態するから平気」
それからしばらく、校内に謎の美少女の姿は見られなくなった。




