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プリンス・チャーミング なろう  作者: ミタいくら
6章
205/277

番外 産まれるもの 喪われるもの 奪われるもの 8

奪われるもの


「ジュール!ジュール、エルザを助けよ!」


エルザ妃は、双子を出産した。

しかし産声をあげる赤子達の横で、妃は瀕死の様相を見せていた。難産の末に産み終えた時にはもはや意識もなく、出血の多さを示すように顔は真っ白で蝋のようだった。


出産の役には立たぬが王の為に、と別室に控えていたジュールは、血相を変えたアランに呼びつけられた。ひっそりと従うアルノーと共にうつむきがちで産室に足を踏み入れてすぐ、血の匂いが満ちた異様な状況にはっと顔をあげた。

「ご無礼を」

「どうでもよい、早くエルザを。出血が多いのだ」

部屋の端に、下を向いた医師と治癒師がいた。その色を失った顔を見れば、彼らに打つ手はないのだと察せられた。

疑心暗鬼に陥っていた国王の命により、王妃とフォス公爵に関わりのある者は全て遠ざけられていた。故にひどく心許ない、わずかな人員しかおらぬ王宮から離れた宮での出産と相成った。


白絹の寝具に横たわるエルザはぴくりとも動かず、もはや死の誘いから逃れられぬ有り様だった。

下半身は真っ赤に濡れている。白い夜着に覆われた胸がかすかに上下するのがまだ息のある証といえた。

ちらり、とジュールは一角に目をやった。王の子に相応しい大きな赤子用の寝台に、双子とて小さめの二つのかたまり。

一人は難なく産まれたが、女の赤子が頼りなく産道を通るのに時間がかかり、母体の負担が大きかったとか。それでも産まれ落ちた後は、先程まで元気な声をあげていたという。

しかし王の「黙らせろ」という命に遠ざけられ、片隅にひっそりと放置されているのだ。

こちらに来る途中、心利いた侍女が素早く事の経過を伝えてくれた。王の動揺についても。

子供達は、アランにとってはエルザの命を奪った憎い存在であろう。だが命を賭して産み落とした妃にはかけがえのない大切なもの。生へ執着する最後の絆と言っていい。一縷の望みを考えれば、彼女から子供達を離すわけにはいかない。

しかし消える命を戻せる筈もない。母となった妃は、既に死に囚われていた。

エルザの容態を諦念と悲しみの中で見極めたジュールが、王へ辛い事実を告知しようとした時。

両腕がギリリときつく握り締められた。

強い痛みに声をあげそうになって、掴み締めたのが至尊の君であると気づいた。白く長い指が、ジュールの腕に食い込む。常は穏やかな王の藍色の瞳がぎらぎらと光っていた。

「何とかしろ、ジュール。エルザを救ってくれ」


常軌を逸した眼差しで迫る国王に、ジュールは全ては無駄だ、と告げることを断念した。エルザ妃の尽きようとする命を束の間、掬い上げる為に、友の力を借りなければなるまい。そうでなければ、この場はおさまらない。

この時、王の歯止めとなり得るロランは、政務を肩代わりしていて王宮を離れられなかった。いずれ変事を知って駆けつけて来るだろうが、今はいない。何もかもが最悪な結果へ導かれていくようだった。

ジュールと王の会話を背に、アルノーはさっと動いた。彼は自身の魔力を明け渡すと何の衒いもなく決めていて、部屋の長椅子に転がった。魔道士としてのジュールに全幅の信頼をおいているのだ。

王の願いと友の献身に応えようと、ジュールは術を行使した。

出来得る限り多くの魔力を移してエルザ妃の命の糸を繋ぐ。そして、負担の多いアルノーの命脈を保つ加減を、ぎりぎりで図った。

その王命に反する配慮を、目敏く見ている者がいるとは気づかずに。



エルザ妃がようよう意識を取り戻し、アラン王が微かに紡ぐ言の葉に耳を傾ける。

青ざめた顔で、それでも尚、王への愛と残していく子らへの思いを訴える儚い妃と、愛する者との最後の語らいを必死で聞き取ろうとする若い王。

絵のように美しい光景だが、それはジュールの友の魔力を削って起こした夢の時間だ。

苦い思いを抱えて見守っていると、遂にエルザ妃の命が尽きる時が来た。


「──陛下、お側に。あの子達を、お願いいたします」


「エルザ!」


最後の力で言葉を紡ぎ、ふつりと妃の意識が途切れる。全てはジュールの予想通りだが、昏倒から回復したことで希望を見た王の絶望は限りない。

「エルザ!もう一度、目を開けてくれ」

嘆く王の肩が力なく落ちる。悲しみを受け止めようとする時間を、ジュールは沈痛な思いで見守った。

しかし次に振り返った王は、現実を認めることを拒んでいた。


「いや、なにかまだ術がある筈だ。まだ、エルザは死んでない。だからなにか…」

「たった今、エルザ様の命の糸は切れました。私が繋いだ術の限界です」

無理だ。

失われつつあったエルザ妃が、一時でも王と言葉を交わすことができたのが奇跡なのだ。それも膨大なアルノーの魔力の恩恵である。幻のような時を稼ぐのに費やした魔力と術を思えば二度目はない。エルザ妃の命の欠片も先程で尽きた。

「っ。まだ!エルザは失われていないっ」

言葉を尽くして延命はできないことを説いても、王は納得しなかった。目の前の妃の死を認めたくないのだ。愛する者が不意に奪われたのだ。当然だ。

だが──。


「いや、まだできる」

突然割り込んだ声に、王もジュールも不意を衝かれた。

振り返ると、ローブに身を包んだ若い男が立っていた。

この宮の防御に、と遣わされていた魔道庁の魔道士だった。名はオリヴィエ。ジュールもよく知る優秀な部下だ。

しかし今、彼は見慣れた控えめな様子を一変させていた。断りもなく産室に足を踏み入れたオリヴィエは、再度繰り返した。

「まだ、妃殿下をお救いする道が残されております」

「まことか」

望む答えを返されて、王が一も二もなく飛びつく。

何を言い出すのか。

息を詰めてジュールはオリヴィエの言葉を待った。

しかし。

「そこのアルノー卿。まだ身のうちに余力を残しております。残りの魔力を全て妃殿下に注げば、お命を還すことが可能かと」

「──本当か」

「馬鹿な!そんなことをすればアルノーの命が絶える。それに、今少し魔力を移したとて、エルザ様のお命は戻せぬ」

魔道士の提案はアルノーの死を強いるものだった。彼に残された魔力全てをエルザ妃に注ぐ。そうしてアルノーの命と引き換えに彼女をこの世に戻す。

安易な、あまりに愚かな案だった。

だが、ジュールが言葉を極めて説いても、王は聞き入れなかった。エルザ妃の死を受け入れがたい彼は、正常な判断を失っていた。

眼前にいるのは、ジュールの知る繊細だが臣下の言を受け入れる寛容なアラン国王ではない。愛する者を失うまいと現実から目を背ける一人の男。エルザ妃の回復だけを望む彼にとって、オリヴィエの申し出は抗いがたい誘惑だった。


ジュールは当然のごとく反対した。

明らかに失敗に終わる無謀な提案。試す価値などありはしない。

だがオリヴィエは産室での出来事を正確に知っていた。アルノーに対する当然の配慮を、彼は王のジュールに対する疑いへと巧みに誘導していった。

そして。

目の前で笑みすら浮かべるオリヴィエは、魔道庁で見ていた彼と別人だった。

「ジュール魔道士長」

唇が非道な言葉を平然と紡ぐ。

「優先すべきは、エルザ様のお命では」

耳を疑った。男は魔道庁に入庁して以来、ジュールが目をかけてきた優秀な人間だった。傍に置いて自身の術を見せ、大きな仕事を成す際も伴って学ばせた。

だからこそ、ジュールにとってアルノーがどれだけ近しい存在であるかも熟知している筈だった。さらに、既に一度アルノーの魔力を注いだことも認識している筈だ。


だというのに。


そこまで考えて、ジュールは慄然とした。

オリヴィエは、この男もこの状況下で正常な判断ができなくなっている…?

王の寵愛深い妃の、難産の末の突然の死。誰もがわかる王の嘆き、悲しみ。

もし王の望むエルザ妃の回復を叶えられたならば。

オリヴィエには自尊心も出世欲もある。若手の中では特に優れた術使いであるという自負。そして目の前にはたぐいまれな魔力を保有するアルノー。己の全てを賭けて試してみる価値はあると考えたのか。

考えて、しまったのか。

魔道師として、高度な魔術を試す機会は少ない。国が比較的安定していればなおのこと。地味で功の少ない任務がほとんどだ。それが今、国王に己の術を見せつける絶好の機会がやってきた。

限りなく低い可能性を己の術を駆使して成功させる。上を目指す野心家にとって抗いがたい誘惑だ。オリヴィエの暗い望みと王の妄執じみた願いが、ジュールの眼前で結びついてしまう。

彼らの狂った判断は、アルノーの命を無為に捧げよと、求めていた。


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