19
シャルロットのスカートもどき練習が始まってから二日後。その日はブリュノ元将軍と子息のマクシムが再訪を約束した日だった。
「ルイ様!っ、あれ…」
溌剌とした声が、戸惑ったように萎んでいく。
到着を知らされたルイはシャルロットを伴ってサロンに赴いた。
立派な体躯の将軍の隣に立つ少年が嬉しそうに顔をあげる。しかし、明るい茶色の瞳が惑って揺れた。
無理もない。
彼が知っている「ルイ様」は今、スカート姿だ。クロスの。
初対面の相手にとても申し訳なく思いながら、ルイは声をかける。
「君が、マクシム?」
「ルイ、様…?」
「初めまして。僕がルイ・シャルルです。隣にいるのは妹のシャルロットです」
「こっちが、シャルロット様?」
きょろ、と二人を見比べて、事態を悟ってマクシムの顔が強ばっていく。
「いろいろ申し訳ない。あー、この間は妹がお世話になって。お礼を言います」
「そんな!」
ルイが頭を下げると、マクシムは混乱しながらも恐縮して縮こまった。
「俺、知らなくて。全然気づかなかった、です」
小さく訥々と言う。しかし隣から低い声が鞭打った。
「殿下が名乗られるより先に声をかけたのは、お前だ」
ブリュノだった。
「勝手に決めつけて話し始めた。その結果だ」
叱責する声音で息子を断じて、ルイに向き直った。
「初めてお目にかかります。ルイ第一王子殿下」
ルイに向けて拝礼する姿は軍人らしく堅苦しい。笑顔を見せぬ厳しい表情で、そのまま語りかけた。
「殿下が謝罪されることではありません。愚息の早とちりが発端ですから」
ぐっと下を向くマクシムにたまらずシャルロットが割って入った。
「マクシムの勘違いに乗ったのは私です。ごめんなさい」
「息子が粗忽者なせいです。臣下に合わせてくださった殿下のお振る舞いは見事でした」
王女の謝罪にブリュノは泰然と応じた。
シャルロットから聞いて何となく察していたが、やはり将軍は最初から全て知っていたようだ。わかっていて剣を教えた。
同じ結論に辿り着いたらしい目の前のマクシムがばっと顔を上げる。王族の前なのを忘れて隣の父親に噛みついた。
「──っ!知ってて黙ってたのかよ」
「教えていたら、一緒に稽古などしなかったであろう?」
「当たり前だろ」
「それではシャルロット殿下のお望みに背くことになる」
「──っ」
「騎士を目指すならば、殿下の意向は可能な限りまっとうせねばな」
反撃の言葉を探していたマクシムは、うっと詰まった。
言い返せずはくはくと口を開閉させる息子を一瞥すると、さて、とブリュノはルイに向かった。
「時間は限られております。始めましょうか」
「じゃあルイ様。この間渡した剣を使って、あ」
マクシムが不自然に口を噤む。視線の先で、シャルロットが先日手渡した剣を大事に抱えていた。
気まずく黙り込んだ二人にルイもどうしたものかと迷う。
しかしシャルロットは唇を引き結ぶと、木剣をこちらに差し出した。躊躇いながらもルイは受け取ろうとした。
と、ブリュノが制した。
「ルイ殿下、こちらを」
振り仰ぐと、ブリュノが新たな剣を取り出して、柄をルイに向けていた。
「一度王女殿下にお渡ししたものを、兄君といえど譲れとは申せませぬ。そちらはシャルロット殿下に」
ぱっ、とシャルロットの顔が明るくなる。「ありがとう」
手にある剣を胸に抱き締めた。
ルイはブリュノから木剣を受け取ってマクシムに向き直った。
「じゃ、じゃあ、これから剣の構えを」
教えたはずの王子が初心者になってしまった。棒立ちのルイに戸惑いながらもマクシムが始めから教えてくれる。
申し訳ないと思いつつ、ルイは言われるまま初歩の構えをとった。
シャルロットはアンヌと共に少し下がって、ぼうっと兄を見つめていた。
「シャルロット殿下は、今日はお休みですか」
横から、ブリュノが尋ねた。
「え、」
「マクシムと約束しておりませんでしたかな。次に会った時、練習の成果をお互い披露すると」
「でも私は」
「やりたいとおっしゃっていたでしょう」
「父上?」
ルイの傍らでマクシムが眉をひそめる。
厳しい顔はそのまま、ブリュノは身を低くしてシャルロットに囁いた。
「私が請け負ったのはルイ王子殿下に息子と共に剣を教えることのみ。その際、剣を習う者が一人増えたとて違約ではありませんな」
「それって」
「剣を振りたくばおやりなさい。騎士に必要なのはやる気です」
ぽっとシャルロットの頬が紅潮した。火照りに気づいて隠すように下を向くと、剣を抱えて端に控えるアンヌに駆け寄った。
ルイとマクシムは、剣を手にしたまま目で追う。
シャルロットが伸び上がって何事か囁くと、やんわりと空気を緩めたアンヌが応じるように頷いて耳に口を寄せた。
「──」
シャルロットが一瞬ぎこちなく固まった。しばし間があって、ゆっくりと頷いた。
何事か、と思う間にシャルロットは首を一振りするとこちらに駆け戻ってきた。
「私も入れて」
「えっ」
ルイが端に佇んだままのアンヌを振り仰ぐと、軽く肩を竦めてこちらを見返した。
「──」
目で、いいの?と問うと濃い茶の瞳が細められた。
「シャル」
「いいって言われた。だから私も入れて。いいよね?マクシム」
きらきらと瞳を輝かせている子に何を言えるというのか。マクシムがまごつきながらも場所をあけてシャルロットが並んだ。
しっかりとした構えを取った姿はルイよりはるかに決まっていた。
「ルイ殿下、肩の力を抜いてください」
ブリュノの声が飛ぶ。
ルイは慌てて前を向き、指示に従った。
サロンでの稽古は、ルイが構えを型通りにできるまで続いた。マクシムとシャルロットの助けも借りて何とか形になった時には背中に汗をかいていた。
その後、中庭に移って剣の素振りをした。
「シャル、すごい…」
出遅れたのは稽古一回だけなのに、ルイよりシャルロットの方が明らかに上手だった。マクシムについて素振りを十数回重ねても、構えの崩れがあまりない。
ルイは始めこそ基本に忠実だったが、動きを繰り返すうちに次第に肩が傾き背が曲がり、最初に教わった型からかけ離れてしまっていた。
「シャルロット様、いいですね!」
最初はスカート姿の王女に気まずそうだったマクシムは、一心に素振りをしているうちに遠慮を忘れた。
「マクシムもやっぱり上手いよ」
木剣を握るシャルロットと、互いにずれた剣筋や構えの違いを指摘する。気になる箇所を告げようと同時に口を開いてしまって、思わず顔を見合せ笑いあう。
体幹が違うのかな。
シャルロットとマクシム、二人の動きを横目で見ながら、ルイは顎に伝った汗を左手で拭った。少し疲れて強張った手で木剣を持ち直す。
「そのまま。殿下、顔を上げて。正面をお向きください」
上から降るブリュノの声に、はっとして前を向く。自然、背筋が伸びて構えが決まった気がした。
「よろしい。その姿勢で肩から腕を振り下ろす」
「はい」
ざっ、と剣を振る。
上手くできた、と感じた。ちら、とブリュノを見ると厳しい顔は崩さぬままだが頷いてくれた。
なかなか大変だ。
奥歯を噛み締めて、ルイは剣を握った。努めて肩を揺らさぬように、構えを常に意識して。
こうしてルイの初めての剣の稽古は終わった。
しかし、シャルロットが稽古に参加する許可が出たのは、少し意外だった。
ルイはあとでこっそりアンヌに尋ねた。
「王女の教育からズレると思うけどいいの?」
するとアンヌはゆったりと唇をつり上げた。
ここ最近では一番の笑みだった。こういう時のアンヌは一筋縄ではいかない。何か企みを持っているのだろう。
ルイは身構えてアンヌの話を聞いた。
将軍が新たに木剣を用意してまで王女の稽古を受け入れると示したからには、シャルロット本人の意向も鑑みて初手から許す気であったらしい。
しかし、ここでアンヌは抜かりなく交換条件を持ち出した。
剣の稽古に参加するならば、ダンスと作法、あと一般教科を侍女二人からきちんと習うこと。メラニーとクレアの授業をサボらず受けることと引き換えにしたのであった。
「元から許すつもりだったのに」
「ええ。でもシャル様が折れる良い機会でもあったので」
既に三人で授業を始めているが、何かと言い立てて手こずらせているらしい。そんなシャルロットがメラニーとクレアの二人に素直に従う切っ掛けになると言う。
さすがアンヌ、と唸るルイに澄ました声がかぶせられる。
「私はシャル様にはブリュノ将軍の指導にご参加いただきたいと切に思っております。シャル様とマクシム殿が隣で競い合っていたら、さすがのルイ様も書庫にばかり籠るわけにはいきませんので」
「~~」
さすがアンヌ。
力なく、もう一度ルイは呟いた。
こちらは生まれた時から全て知られているのだ。敵うわけがなかった。




