18 侍女二人
次の日には、新しい使用人が決まったとアンヌから告げられた。
先に解雇された下働きの者達の補充人員は、早々に採用されて既に宮のあちこちで立ち働いていた。彼らについて二人は特に知ることもない。
今回、アンヌがわざわざ教えたのは、つまりはルイとシャルロットに深く関わる者達だからだろう。
事前に言われたその日、約束の時間に二人の女性が訪れた。
濃い茶の髪をきちんと結い上げた落ち着いた灰の瞳が大人っぽいメラニー。
少し薄い赤茶の髪をまとめて丸い茶色の瞳が明るいクレア。
シンプルな紺のドレスをまとった二人は、年は意外に若くまだ二十歳前に見えた。
しかし、ルイは一目見て今まで見てきた「使用人」とは違うとわかった。
立ち居振舞い、言葉遣い。部屋に入って挨拶するまでの全て、見た限り無駄なく整っている。多分、学問やこの世界の教養もきちんと修めていると思われた。
「ルイ様、シャルロット様。初めてお目にかかります。メラニーと申します」
「クレアでございます。精一杯お仕えいたします」
ルイ達に礼儀を守りつつも、見返す顔に卑屈さは欠片もない。
二人共に、ロランが推薦してきた地方貴族の娘だという。学校を出たばかりというのにアンヌの眼鏡に叶ったのだから、とても優秀なのだろう。
顔合わせを終えると、アンヌが二人の役割を告げた。
「メラニーとクレアは、お二人専属の侍女となります。他の使用人のような仕事はいたしません」
ルイとシャルロットの生活に関わるのがメインだ。宮にそれぞれ住まう部屋も用意されていた。
「ルイ様はアルノー卿に師事されてますから必要ないとして。シャルロット様はメラニーから学業の補習を」
メラニーが膝を軽く曲げて会釈する。こちらの彼女は学問に強いのだろう。
「それから、お二人のお食事のお世話をいたします。身のまわりのお支度も」
アンヌがこれまで担ってきたルイとシャルロットの仕事を、二人が肩代わりするようだ。
「特に、シャルロット様」
アンヌはシャルロットに目を向けた。
「今後はお立場に相応しいドレスを身につけていただきます」
「うえ!?」
思いもよらぬところから難題が降りかかって、シャルロットは声を放った。
「やだ。今まで通りルイと一緒がいいよ。これ動きやすいもの。大事な時はちゃんとするから」
着なれた子供服を無意識に掴んだ。
アンヌはむろん引き下がらない。
「いいえ。シャル様ももう六歳。女性らしい振る舞いに慣れていただくためにも、ルイ様と一緒ではなく、普段からドレスでお過ごしください」
「そんな!」
「普段着のドレスを誂えましょう。着替えはクレアが手伝います。始めは着なれないでしょうから、ドレスでの優雅な身のこなしもお教えいたします」
「やだ」
「嫌でも変えていただきます。シャル様がドレスに慣れてくださらないと、ルイ様もダンスのレッスンを始められません」
「「ダンス」」
抵抗していたシャルロットもそしてルイも、最後の単語に反応して思わずと繰り返した。
アンヌは頷いた。
「お二人が生きていく世界で必要不可欠なものです」
「あー」
「基本的な姿勢、ステップをルイ様、シャルロット様に身につけていただきます」
「成る程」
「シャルはやらない」
確かに、王侯貴族の世界では必須かもしれない。
ルイは納得し、半ば受け入れる。しかしシャルロットは違ったようで口を尖らせ言い返した。
「もう少しご成長されましたら、専任の教師を招くことになります。ただ、最初はメラニーとクレアから基礎を学んでください」
「でも」
「これは、お二人ご一緒のレッスンとなります」
アンヌの言葉に、ぐずぐずとしていたシャルロットがばっと顔をあげた。
「ルイ様は書庫へ行く回数を少し減らして、宮でのレッスンにきちんと時間を割いてください。剣はブリュノ将軍のご予定に倣いますが最優先で合わせること。それからシャル様のご準備が整いましたら、定期的にダンスの時間を取って練習しましょう」
「ルイと一緒に?」
「はい。お二人とも初めてですし、基礎は同じですから。シャル様がドレスで動けるようになりましたらすぐにでも」
「~~」
皆が揃ってシャルロットを見た。
シャルロットの眉毛がぐぐっと寄る。
ドレスは綺麗だけど面倒だから着たくない。普段は慣れたパンツが良い。でもダンスの練習は最近書庫に行ってばかりのルイと一緒だ。体を動かせるダンス自体もそれほど悪くはない。だけどドレスは着たくない。アンヌの思い通りになるのも嫌。
妹の金色頭の中でぐるぐると駆け巡っている葛藤を、ルイは察してしまう。
取り散らかった気持ちで混乱した顔を見れば、今結論を求めるのが酷なのは明らかだった。
何か言った方がいいのはわかっている。だが場をおさめる方法が見つからない。
惑うルイより先に、シャルロットの引き結んでいた唇が開いた。
「やっぱり、やりたくない」
拒否の言葉を残し、その場から遁走する。
「シャル!」
ばたばたとまさにドレスには不似合いの足音は、ルイの呼び掛けにも一切止まらなかった。
吐息をついてから、一緒に置き去りになった新人侍女達を振り仰ぐ。
「妹がすみません」
「お気遣いなく」
「大丈夫です。きっと一緒にできると思います」
メラニーもクレアもにこやかに応じた。そこに曇りや無理は見えない。
ルイはほっとした。
若い女性達だが少々のごたごたには動じないようで、これから上手くやっていけそうだった。
しかし、シャルロットはどうしたものか。無理強いはしたくないのだが。
「アンヌ」
名を呼ぶと、心得顔のアンヌは首を振った。
「おっしゃりたいことはわかっております。それでも、シャル様が王女としてこの国で生きていかれるならば。侍女達の教育は何としても身に付けていただかねばならないのでございます」
中庭の花壇に逃げ込んでいたシャルロットは、昼を過ぎて空腹のところを捕獲された。抵抗する両腕をしっかりと動かぬよう掴んで食堂に連行するクレアは平然としている。細身に似合わず意外な力持ちである。
遅い昼食が終わると、侍女二人の手腕が遺憾なく発揮された。
「さ、シャルロット様」
移動した居間で、クレアがテーブルに使う大判のクロスを広げシャルロットに迫った。
「ドレスのお仕立てには時間がかかりますので。まずはこちらで慣れていきましょう」
にこりと笑うクレアは揺るがない。素早く距離を詰めると、手際よくシャルロットの腰にクロスを巻き付け端をピンで留める。あっという間に簡単なスカートが出来上がり、我に返ったシャルロットは足を踏み鳴らした。
「やだ!なんでっ」
長いスカートの中で脚が跳ねる。
ルイは焦った。シャルロットは癇癪を起こしてしまったら結構な乱暴者だ。よく知る自分が止めなければ。
と。
「落ち着いてくださいませ」
ぼふっとシャルロットの両脚を大きく抱き締めたのは、メラニーだった。
「つっ」
「あ」
暴れている体を不意打ちで抱え込まれて、止め損なった脚がメラニーを蹴飛ばしてしまう。柔らかい体の手応えに怯んだシャルロットの体から力が抜ける。
「…ごめんなさい」
「いいえ」
シャルロットを見上げたメラニーは、大きく頭を振って安心させた。
「ルイ様」
抵抗をやめたシャルロットを前に、割り込む隙がなくて立ち尽くしていたルイは、クレアに呼ばれて振り返った。
「はい」
「今日はこのまま、シャルロット様の立ち居振舞いをレッスンいたします。ルイ様はご予定がおありなら、そちらへどうぞ」
「あ、いいのかな?」
「はい。シャルロット様がドレスに慣れませんと、ダンスレッスンは始められませんから」
何となくこの場でシャルロットを見守るつもりでいたが、確かに女性の作法にルイは邪魔でしかない。ならば書庫へ行くのが有意義だろう。
「わかった。じゃあ、よろしくお願いします」
「はい。いってらっしゃいませ」
ルイは頭を下げる。クレアが居間の扉を開けてくれた。
ここは二人に甘えようと背中を向けると、刺すような視線が飛んできた。
「ルイひどい!」
下半身を拘束されたまま、シャルロットが訴えるように叫ぶ。藍色の目が恨めしげに睨んでいた。ルイはそっと目を逸らした。
「それだけお元気なら、ダンスはすぐに上達なさいます。まずはスカートに慣れなくては」
「ステップを覚えられたら、きっと好きになられますよ」
逃げるように去るルイの耳に笑いを含んだ声が聞こえた。
メラニーもクレアも、とても強い。
この強さが近いうちに己にも向けられるだろうと、ルイは正確に予測した。




