169 波紋
女子生徒達の仲裁に入ってから一週間程経っただろうか。
珍しく一緒に下校できる放課後、シャルロットが口を尖らせて言った。
「なんか最近、ルイのこと見てる下級生がいない?」
「そうか?気のせいじゃないか」
言いつつ、それは違うとルイはわかっていた。
ここ数日、校内でこちらに向けられる視線を感じていた。さりげなく窺うと、先日、コレットといた一年の女生徒達だった。一度、振り返って目を合わせたら、真っ赤になってひどく周章てて逃げ出した。その必死な背中に何だか申し訳なくなったので、以降は下手な尾行や存在に気づいても知らぬふりでやり過ごすことにした。
こちらを気にするコレットの思惑か、シャルロットに関わる為のきっかけ集めか。
そんな風に考えていたが特に害はないと見て放っていたのだ。
しかしシャルロットは不満そうだ。
「絶対気のせいじゃない。何人か、同じ女子がルイのこと追っかけてる。──何かあった?」
あった。
が、マリアンヌ達にああ言った手前、彼女達が暴走をやめてくれた対価として、シャルロットに詳細を言うわけにはいかない。
「ないよ。この間ダンスが終わって、今は普通の授業中心だろ」
手早く荷物をまとめて帰り支度を終える。
あくまでも何もない、もしくはほんの偶然で済ませようとした。だがシャルロットは納得しない。
「ルイのこと気になってるのかな」
「何それ」
「好きなんじゃないかってこと。ルイに憧れてるとか」
低い声で言われたそれは、あまりに的外れだ。ルイは思わず笑ってしまった。
「ないない。シャルじゃないんだから。ほら、今もシャルのこと見てる女子がいる。次のダンスの競争率、また高くなりそうだな」
席を立つついでにちらっと周囲を見回せば、シャルロットを見守っている同級生達がさっとさりげない風に目を反らした。もはや慣れた光景だ。
「そういうんじゃないのに」
頬を膨らませて、それでもシャルロットはルイに倣って教室を後にする。
放課後の校内は騒がしい。急ぎ、帰宅しようとする者、廊下の端で友人と集う者、用事があるのかいずこかへ急ぎ足で向かう者。生徒達が大勢、行き交う。
そんな廊下をルイはシャルロットと共にゆっくりと歩く。
と、突然、シャルロットにぐいっと腕を引き寄せられた。
「うわ」
不意打ちにたたらを踏んで、傾いだ身体を思い切りシャルロットに預けてしまう。
「危なっ」
何とか足を踏ん張って身を起こそうとした。が、シャルロットが腕をしっかりと抱え込んで離さない。
「ちょっ、シャル?」
「ほら。やっぱり見てる」
耳の後ろで囁く声は限りなく低い。それに押されるようにシャルロットの見つめる先を探すと、ここ数日で見慣れた少女が隠れる間もなくこちらを向いていた。
ばち、とルイと目が合って慌てたように顔を俯ける。あからさまな態度に吐息をつく。
これでは勘の鋭いシャルロットでなくとも気づくだろう。
「知ってる子?」
「いや、一度話したことはある、かも?」
「いつ、何で」
刺すような視線を少女に当てたままの質問は、短くきつい。
「廊下で、生徒同士の揉め事みたいなのに口を挟んだ」
「ルイが。そういうことするの珍しくない?」
さすがに完全に無かったことにするのは無理だった。核心を伏せたまま、ある程度真実に近い事情を語る。
「いや、下級生を大勢で取り囲んでるみたいだったからさ」
「ふーん」
「放っておけないだろ」
「まあ、そうだけど。で、あれなわけ?」
「うん」
「あの子、名前は?」
「え、ええと?聞いてないからわからない、よ」
「へえ。…そっか。そうなんだ」
腕を絞るように掴んでいた力が緩む。ようやく解放されて、ルイは無意識に腕を擦った。横目でシャルロットを窺うと先程までの怖い気配が失せていた。
「仕方ないか。ルイ、綺麗だもんね。勝手に見る分には我慢しなきゃ」
今一度、少女をしっかりと見つめて、それからシャルロットは行こう、と腕を前へと引いた。
良かった、ひとまず誤魔化されてくれた。
危機的状況は脱した。ルイはほっと安堵して、シャルロットの後を追った。
先ほどの彼女と仲間達がもう少し上手に立ち回ってくれることを心から願う。
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サラ達は、二年の王子王女の情報収集を続けていた。
軽い気持ちで始めたものだから、皆すぐに飽きると思っていたが、コレットをおいてけぼりにして未だにルイ王子を種に盛り上がっている。
しかし、コレットはアニーに誘われて校内を歩くルイを覗き見ようとして驚いた。
アニーは隠密に行動する気がそもそもないのか、距離は取っても身を隠すでもなく露骨に視線を向けているのだ。
多分、対象のルイはもちろん、通りすぎる間に居合わせた生徒達にも二人の不自然さは気づかれている。
正直、どうかと思った。
が、ルイ王子当人は気にしないのか、バレバレなこちらを見ることもなく、至って普通に過ごしている。
生まれた時から衆目を集めてきた王族はそんなものなのか、とコレットは考えた。
そうして、あちらからも丸見えなアニーよりは柱の陰に身を寄せて首を伸ばしてルイを見つめる。
あまり動きはない。当たり前だ。ただ学校の中を移動しているだけなのだ。ハプニングが起きる方が異常である。
しかしサラとコレットは時間の許す限りルイ王子の観察を続けた。
馬鹿馬鹿しい。
そう思いつつも、コレットはこの後追いをやめようとしなかった。
王子は代わり映えしないが、友人と近い距離で同じ目的の為に動いているのは案外、楽しいのだ。まるで前世の学校時代そのままのような、くだらないけれど皆でいるだけで愉快な時間。
しかしそうした感想は、数日の後に一変する。
当番、という名の見張りがコレットに回ってきて、今回はポリーヌと組んでルイの後を追った。
ある意味、浮かれていたのかもしれない。ルイ王子がこちらの下手な尾行を無視してくれていたから油断していたのもある。
その日は、ルイの後ろからシャルロットまで現れて、とても興奮した。シャルロットは、コレットにとって見るだけで幸せになれる存在である。
高揚したまま、思わずと身を乗り出して。
ルイの後ろにつくシャルロットが、くるりと振り向いた。
え。
シャル様に睨まれた…!
喜びに弾んだ気持ちが凍りつく。
振り向きざま、シャルロットはきつく、その藍色の双眸を刺すようにこちらに向けてきたのだ。
ショックのあまり膝から崩れ落ちそうになる。何とか踏みとどまってすぐ隣の壁になついた。
え、なんで。
もしかして早とちりかと周囲を見回したが、ポリーヌの他は誰も近くにいない。
間違いない。シャルロットの厳しい視線はコレットに注がれていた。
「どうしたの」
声をかけられて、我に返った。ゆるゆると顔をあげると、ポリシーが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
結局、その日はそれで終わりにした。
意気消沈したコレットは寮の部屋に戻ると、ベッドに座り込んだ。
真正面から浴びた、シャルロットのきつい眼差しが忘れられない。
あれは、兄に纏わりつく下級生に向けたもの。
強い敵意に満ちたもの。
まさか、まさか。
ルイ王子に関して、誤解されてる?
「──」
何を、ナニが。
一旦頭を強く振って、逃避しようとする脳を宥めると状況を整理する。
ルイ王子をつけ回している自分達(あくまで複数形にしたのは、コレット単体で考えるのはあまりに心理的に負荷が大きい為である)は、端から見たらどう捉えられるのか。
王子の後を追う下級生の女子達。
悪意や害意はないと明らかなそれ。
単純に、憧憬や恋愛感情の表れとシャルロットは見なしたのではないか。
そしてゲーム同様、兄と強い絆で結ばれている彼女は、そんな下級生を威嚇している。
シャル様に、あろうことかルイ王子への感情を誤解されてる…!
とんでもないと大いに抗議したいところだが、ゲームの前提を知らなければ当たり前なのかもしれない。
コレットがルイ=ルイーズに恋愛感情はもちろん、好意さえ持ち難い裏の事情があるなど、誰も、シャルロットも知りようがないのだ。
大好きな(納得しがたいが事実なので仕方がない)兄につきまとう邪魔者。
そんな認識でシャルロットに睨まれてしまった、という衝撃にコレットは打ちのめされた。
──大いなる誤解だ。
「私、もうルイ王子を追いかけるのは止める」
翌日、出した結論を即座に皆に伝えた。一刻も早く誤解を生むような行動はなくしたい。
「え。どうして?」
「シャルロット様、怒ってたから」
「ああ!そういえば睨んできてたわね」
ポリーヌも一応、シャルロットの露骨な威嚇には気づいていたらしい。しかしコレットと違って、彼女達に堪えた様子はない。ルイ目当てのサラ達にしてみれば、シャルロットの反応はどうということもないのだろう。
「ちょっとあからさまだったかしら?」
「ねえ」
くすくすとむしろ楽しそうでさえある。
そして。
「やっぱり、コレットさんはシャルロット殿下が気になるのね」
「無理に誘って申し訳なかったわ」
シャルロットに対する態度を指摘される。もはや誤魔化す気にもならず、コレットは小さく頷いた。
「今度からはコレットさん抜きで頑張るわ」
「そうね。もう少し離れてやってみましょ」
あっさりと納得して、当人達はそれでも続けるつもりらしい。
──強い。
「何かあったらお知らせするから、大丈夫」
「あの。皆と追いかけるのは止めるけど、私も何かわかったらちゃんと教えるわ」
目的が違うとはいえ皆でやると決めたのに、早々に抜けて申し訳ない。皆が優しいから、尚更後ろめたくもある。
それに、ルイ王子の動向は押さえておかなければならないのだ。だから、とコレットは言ったのだが。
「そうね、ルイ殿下と同じ魔法学を取っているのは、この中ではコレットさんだけだもの。そっち方面で何か情報があるかもしれないわ」
「そうよね」
サラ達は意外にも眼を輝かせた。
なるほど、そういった見方もあるのか。と感心したが、急いで付け加えた。
「学年は違うのよ」
だから早々、話は転がってこない。
「それでも。先生とか上級生から何か聞いたら教えて」
「お願い」
「皆で、いろいろ集めましょ」
あまり他意のない、その場限りとも思えたサラ達の期待は、すぐに現実となる。
ただ一人魔法学を選択していたコレットは、友人達の予想を超えた、学校中で噂となる騒ぎを目撃するのだった。




