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うあ。
苦手の登場にコレットは首を竦めたが、周囲はそれどころではなかった。
さらにコレットを詰ろうとしていた上級生達は、突然現れた王子の姿に動きを止めた。居丈高にコレットを見下していた者も一斉に俯き、やたらと視線をさ迷わせている。
何しろ、信奉するシャルロット王女に一番近しい存在だ。王子の見たものは妹の王女に筒抜けになると考えていい。
そんな王子に、気に入らない下級生を多数で吊し上げている現場を抑えられてしまった。弱いものいじめのごとき下らない真似を徒党を組んでやっているなどと、決して知られたくなかっただろうに。
ルイ王子は大股で近づくと、コレットと友人達を見、囲うように立つ女子生徒達を一通り見渡した。
「こんな半端な廊下で集まって、何をしているのかと聞いている」
厳しい面持ちで先程と同じ問いを繰り返す。
「ルイ王子殿下、これは」
「大勢で、一年を責めていたようだけど?」
もちろん、形の上で問うているだけで、ルイ王子にとって何が起きていたかは一目瞭然なのだ。
ただ、上級生達はそうと認めるわけにはいかない。
「あの、年長者として、指導をしていただけで」
気まずい空気の中、上級生達は素早く目を見交わし、一人が小さく、それでも穏やかな声音でもっともらしく言いかけた。
「指導!」
しかしそれをルイ王子は途中で叩き切った。金髪の下から覗く青い瞳が強く光ってみえた。
コレットは思う。
ああ、この王子は誤魔化されるつもりはないのだ。上辺だけ収めておしまいにしない。きちんと事を顕にして、自分達に近い者が何をしようとしていたのか、質す心積りなのだ。
「見たところ、ダンスパーティーのことで彼女に不満をぶつけようとしてたみたいだね」
図星を指されて女生徒達が口を噤む。
「パーティーのあれはシャル…妹自身の判断だ。先に声をかけたのはコレット嬢だが、選んだのはシャルロットだ。彼女を責める理由はない。それに」
ここで言葉を切って皆を見回した。
「約束をしていた七人目…ジュリエット嬢か。彼女には申し訳なかったが、ちゃんと話して納得してもらった。だから当事者の彼女はここにはいない。そうだろう?」
言われて、コレットは急いで上級生達の顔を見直した。
確かに、あの時自分が成り代わった本来の相手、マクシムが代役を務めた生徒はこのグループの中にはいない。シャルロットと踊るというせっかくの機会を不意にした本来の被害者である。
シャルロットに言い含められマクシムと踊った彼女は、不満があろうとも表に出せる筈はない。
シャルロットの『お願い』を聞き入れたのだから。
当たり前だが、つまりは当事者を無視した強訴なのだ、これは。
上級生達もその自覚はあったのか、口ごもり立ち尽くす。
揉め事の原因は王女で、不利益を被った当人はいない。つまりコレットへの訴えは理が通らないということ。
間に入った王子にここまで今の自分達の理不尽さを明らかにされては、抗弁のしようがない。
ただそれでも納得できる筈もなく。
「でも、シャルロット殿下のお側に知らぬ者が割り込んでくるなんて許せませんわ」
「貴方達と決めたルールを破ったのも妹だ。だから怒るならシャルロットに言ってくれ」
王子の言うのは正論だ。だがそれができないから、コレットに矛先が向いているのだ。納得できたらこんなことにはなっていない。
「ルイ殿下は、私達にこの無礼な子を許せとお命じなの」
「このようなことに殿下が口出しされるものではありませんわ」
まるで止めに入ったのがおかしいと言わんばかりの不満に、ルイは大袈裟に溜め息をついた。
「数で勝った上級生が下級生数人を取り囲んで糾弾している場を見かけて、知らぬ振りをしろと?」
「そんな」
「俺もシャルロットもそんな教育はされてこなかった」
聞いたこともないきつい口調。
この場にいる皆の反論を封じる名を挙げて言い切る。そうして、王子の最後通告が為された。
「みっともない真似はやめてくれないか。こういうことを続けるなら、妹に言わなくてはならなくなる」
ざっと空気が冷えたのがわかった。ルイ王子が本気で、コレットを取り巻く女子生徒達が一番嫌う手段を取ると宣言した為だ。
「っ!殿下は」
言いかけて、口を噤む。
ルイ王子はシャルロットの兄。彼に嫌われることは即ち、憧れのアイドルからの好感度を下げる羽目になりかねない。
素早く先の判断を下した一人の女生徒が動いた。
すい、と前に進み出たのは、サラに最初に声をかけた代表格の女生徒。彼女はルイに頭を下げた。
「見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした」
「マリアンヌ様っ」
「そんな、ここでやめてしまうなんて」
「しっ!」
他の生徒は治まらぬ様子だったが、ルイ王子が再び青い瞳で見渡すと、慌てて目線を落として押し黙った。
「少し、度を越してしまったようですわ。殿下のお言葉で頭が冷えました」
「それだけシャルロットのことを気にかけてくれてるんだろう。嬉しく思ってる。それは妹も同じだ。──マリアンヌ嬢」
「はい」
名を呼ばれて、前に立つ女生徒がかすかに震えた。
「一年の時、最初にシャルに声をかけてくれただろう?」
「は、い。覚えて、おいでなのですか」
さらに冷たい言葉を浴びせられると覚悟していた女生徒は、意外な話の展開に戸惑ったように瞬きした。息を殺して成り行きを見守っていたコレットはただ聞き入るしかない。
「シャルも俺もあの時の嬉しさは忘れてない。貴女は大事な友人だ。これからも妹と仲良くして欲しい」
「もちろんですっ」
女生徒──マリアンヌは頬を紅潮させ、声を上ずらせて応える。
その姿には、先程、コレット達を冷たく見据えていた恐ろしさは微塵もない。
傲慢にこちらを見下していたのが、こうも変わるのか。むしろ可愛らしくさえ見える様子に内心、驚嘆する。
コレットは想像するしかないが。
恐らく、一年生の頃、女生徒がシャルロットと会話した些細な出来事を王子は覚えていたのだろう。そして、妹共々嬉しかった、と言った。
そんなことを言われたら、ファンは感激する。
当然、生意気な下級生に釘を刺すのを邪魔されても、不満も後味の悪さも残らない。
──策士だ。
コレットは覚えず唸った。
しかも集団の代表格の生徒の牙が抜かれてしまっては、他の女子生徒達はコレットを責めようにも鋭さを失う。
そうして、黙り込んだ上級生達はルイ王子の厳しい視線に遂に負けた。マリアンヌ様、と一人の生徒が呼んだのが切っ掛けだった。
「失礼致しましたわ」
さっと素早くルイとコレットに完璧な淑女の所作で礼をする。
「私達の心得違いでした」
そう告げてマリアンヌは背中を向けた。急いでお座なりの礼をして上級生達がその後を追う。




