162
159の続きのルイ視点です。
どう動くのが正解なのか。
ルイはホールの入り口で起こっている騒ぎを目におさめながら逡巡する。
ゲームの展開をサヨはルイに教えてくれない。シナリオの要所要所に設定されているという情勢の変化を起こすイベントさえも。
知っていたら対策が取れる、上手く行くよう立ち回れるかもしれない、と言い募っても駄目だった。
恐らく、シナリオが壊れているから知らない方が良いと言ったり、何が起こるかよくわからないとはぐらかしたりで、まともに取り合ってもらえない。
学校の大きな催事でこんな風に皆の注目を浴びる形でコレットが登場したのは、特別な意味があると感じた。だがそこでルイがどう振る舞えばいいのか、全く思い付かない。
呆然と眺めていると、不意にコレットがこちらに視線を向けてまたもに目があった。途端、嫌そうに睨まれる。
しかしルイでさえ感じる華やかなピンクの不釣り合いな姿に、なんだか見ていてはいけない気がしてそっと目を逸らした。
彼女の登場は一人だけ遅いこともあってか、生徒達の注意を引いた。彼らの騒めきは収まるどころか密やかだがホール全体に拡がっていった。
とにかく、あのドレスは目立つ。
ルイでさえ知っている。
あれは今年卒業した伯爵令嬢が着たドレスだ。フィリップとミレーユという学校のトップに位置する二人がまだ入学する前、女王のように君臨していた女子生徒である。──ちなみにルイとシャルロットは王族ながら主流にはなり得ないので、そういった学校の中心人物とは無関係だ。
とにかく伯爵ながら格高く歴史のある富豪の家出身で、令嬢当人は華やかな人柄もあって大層人気だった。らしい。
そんな彼女が先の新年パーティーで披露したのが、このピンクのドレスだ。他の貴族出身の生徒達の心も惹き付けた、ルイですらモノが違うと思う特別な服。
多分生地も仕立ても全てが最高級なのだろう。本来、ピンク、と一言で言うのでは足りない。動く度に絹の光沢で色合いに変化が生まれる複雑なグラデーションだ。さらに裾を飾る繊細なレースには金糸が編み込まれていて光を反射して輝くので、豪奢極まりない。なのに決して過剰ではない、洗練されたそれは、このパーティーに参加した女子達の注目の的だった。
という話だ。
全てはほぼ伝聞だ。
何しろその日は突然、シャルロットが女子生徒に初めてダンスに引きずり出されたのだ。当然、ルイはそちらの騒ぎに意識を持っていかれていた。だから話題を浚ったはずのドレスについては何となく、の記憶しかなかった。
だがルイがちらりと見かけたそれがその夜一番に生徒達、特に女子の関心を惹きつけたというのを、後日ゾエから詳しく教えられた。確かにその後しばらく、処置室を訪れた女生徒はこぞってドレスの話をしていた。ある意味、医療処置室は生徒や学校の噂の集まる場所だったのだ。
そのようなわけで、過去のこととてそれくらい会場の目を集めた件のドレスだ。もとより関心の高い女子生徒達は未だ鮮明に覚えているだろう。憧れと羨望の眼差しで眺めていた手の届かないドレス。それが令嬢本人の意向とはいえお下がりとして、普通のドレスも作れない庶民のものになっている。
人が下げ渡したものなど着られない。でももし贈られたら…本当は着てみたい。
校内の多くの少女達の口に出せない願望を知らず、無造作に掴みとって現実にしてしまったコレットに非はない。ないが人の心は単純ではない。そして貴族の心情は、さらに表に立つプライドと裏に隠したドロドロと溜まった本音が詰め込まれて歪に曲がりくねっている。
女子達はもちろん、身分に拘る男子生徒の多くもコレットを遠巻きに窺う。事情を知らぬ一年生にもじわじわと染みが拡がるようにドレスの由来が伝播して。負の感情がコレットの周りに渦巻いていた。
しかも表立っては何事も起きていない。不穏な空気だけがホールいっぱいに満ちていた。
いつ、この皆に満ちた黒いものが爆発するのか。誰が引き金を引くのか。
最早、ダンスを続けている者などほとんどいない。皆がこの遅れてやって来た無礼な闖入者がどうなるのか、それとも何もなかったように治まるのか、この珍しい見物に注目していた。
「いや」
一組だけ、何も気づかぬように踊っていた。
シャルロットだ。
六人目の少女と笑顔でステップを踏んでいる。
らしいと言えばらしい。相手の女生徒は満足だろう。脇目もふらず、ただ自分だけを見て踊ってくれているのだから。
シャルロットのことだから体が動かせて楽しいだけだ、とはルイとマクシムしか知らなくていい。
ただ一組の為だけに華麗な旋律で曲の最後まで奏でたオーケストラ。そのエンドマークに、シャルロットはホールの手前まで来てポーズを決めた。
息を弾ませて踊りきったシャルロットは、そこであれ?と首を傾げた。さすがに何かおかしいと気づいたらしい。
と、皆の注目を集めていたコレットがずかずかとシャルロットに近づいた。
「あ…」
コレットは躊躇うことなくシャルロットに話しかけた。
「あの!」
不自然に静まり返ったホールに、コレットの声がとおる。
顔を知っている程度の存在にいきなり声をかけられたというのに、シャルロットはにこやかに応じた。左腕には先程までのパートナーがぶら下がっている。
「お願い。私と踊って!」
その驚くべき誘いに、シャルロットはいとも簡単に頷いた。
「いいよ。喜んで」
息を殺して成り行きを見守っていた生徒達からがっかりしたような、安堵のような複雑に入り交じった溜め息が漏れた。
大半は、これで騒ぎの片がついたと考えた。学内のヒエラルキーのトップに位置する王女がこの生徒を認めるならば、自分達も従う。それだけだからだ。
王女の行動を止める権利を持つ王子二人が何も言わぬ以上、表面的には問題なしである。事は終了だ。
納得のいかない女子達、特に身分にうるさい貴族令嬢の面々、またシャルロットの信奉者が胸の内で何を考え、今後何事か画策しようとも、少なくとも今は。
特待生の平民の女子生徒、コレットの今日の振る舞いは黙認される。
見ているルイは気を揉む羽目に陥ったが、シャルロットが動いたのはこの場では最適解であったかもしれない。
七人目の女子生徒が自分の番を譲ることを納得してくれたら、だが。
案の定、相手の少女はシャルロットに頼まれてもなかなか了承しなかった。
当たり前だ。前のパーティーから三ヶ月。一度に七人しか得られぬ特権だ。この一曲を楽しみにしてきたのだろう。簡単にはこの権利を渡したくはない筈だ。
二人が言い合う間に、ルイはコレットにちらりと視線を走らせた。
シャルロットは少女を説得出来たら、彼女のところへ行く。二人でダンスをする。あのバランスの悪い、収まりの良くない姿のコレットと。
そこでふと思う。
何故だろう。
どうして、バランスが悪い?
考えて、周りの同じように着飾った女子生徒達を見回した。コレットのドレス程ではないが、華やかな色合いにそれなりに豪華な飾りがたくさんついた夜会服。普段の学内で見る制服やデイドレスとは丸きり違う。
中身は同じ生徒なのに、彼女達は違和感なく着こなしている。
経験?着付け?
それもあるだろうが、しかし。
と、シャルロットが話の途中でこちらを指差した。
釣られてルイを見た女生徒と目が合う。途端、大きく顔を振りかぶられて頬がひきつった。
だがそれでも注視していると、さらにかけられた言葉で少女は納得したようだった。顔を上げて微笑んだ姿に、シャルロットがほっとしたのがわかった。
しかし、何故か女生徒の手を引いてこちらにやって来る。
「ごめん、いいかな」
シャルロットが声をかけたのは隣に立つマクシム。ルイと同様に、この場の成り行きをはらはらして見守っていた。
「シャル様?」
「彼女、ジュリエットさん。私の代わりに、マクシム踊って?」
「は」
マクシムから呼気が漏れた。恥ずかしそうに俯く女生徒をまじまじと見てしまう。
だがシャルロットの意図を理解し急いで頷く。
「喜んで。ジュリエット嬢」
軽く女子生徒の指先を取り、するりと屈む。マクシムに淑女の扱いをされて満更でもない笑みを溢したジュリエット嬢は、重ねられた手を取った。
流れるように背中を向けた二人にルイは吐息をつく。と、シャルロットが傍に寄って耳打ちした。
「ルイに代わるって言ったら嫌だって言うからさ」
教えてくれなくても良いのに、ダメージを受けることを囁いてくれる。
もう背中すら見えない少女はあくまでシャルロットのファンだ。とはいえ嫌がられるのはへこむ。マクシムなら良いんだ、と考えればさらに。
頭を振って切り替える。
今考えているのは違和感だ。ドレスの印象だ。
コレットはヒロインだから容姿も当たり前のように整っている。だからあの豪奢極まりないドレスも似合ってなくもない。が、どうにも違和感が拭えない。
首を捻り、ルイはまたもホールに立つ女生徒を眺めた。
それからコレットも。
違いを探す。
服が大きく広がって豪華な分、上が寂しい。
コレットはピンクがかった金髪を上でまとめただけだ。飾りは何もない。
化粧、と。あとは。
シャルロットがマクシム達が踊り始めたのを確認して再びコレットのところへ向かおうとする。それをルイは止めた。
「シャル、ちょっと」
踊り続けたせいで落ちかけているシャルロットの髪を結んだ藍色のリボン。幾本かあるうちの一つを頂戴して、テーブルに飾られた生花の中からコレットのドレスと髪色に近い色の薔薇を抜き取った。
薔薇は形を綺麗に崩れないよう状態保持、それからリボンをくるりと巻いて簡単に髪に差せるようにして。
手早く魔法をかける。
「これ。使うといい」
シャルロットは破顔して受け取った。
ルイは遠目でコレットの頭に髪飾りがつけけられるのを確認できた。シャルロットに向けた笑顔は無邪気なもので。二人はその後、楽しげにホールで踊った。




