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プリンス・チャーミング なろう  作者: ミタいくら
5章
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コレットは急いでいた。

着なれない、繊細なレースにまみれたドレスの裾が足に絡まる。歩く度につんのめりそうな高いヒールの靴。

ダンスパーティーはもうとっくに始まってしまっている。かなり遅れた。

長手袋に包まれた手で必死にドレスをたくしあげる。足を懸命に動かしながら、それでもコレットは焦ってはいなかった。


それよりも。

画面で見てたのよりさらにとんでもないドレスだわ、と思う。

最上級の絹と職人技のレースの洪水のようなひらひらのピンク色。

惜しまず使われた同色のレースの裾には、金糸まで編み込まれている。

だから微妙に重い。


サイズは何故かぴったりだけどね。


呟いて、またよいしょとドレスを掴んだ。

コレットがパーティーに遅刻したのも、ドレスが豪華なのも理由があった。

特待生の庶民が、軽いものとはいえ王族や大貴族の子弟が揃うパーティーに相応しい服装を用意できるはずもない。特に、女子生徒はダンスが出来る夜会用ドレスとなる。一着で非常に高価なそれは、実家が豊かではない下級貴族や騎士の家出身の生徒でも悩みの種だ。


そこで学校は策を講じた。

逆に富豪な家庭の子女達からパーティー用の衣装で不要のものを募ったのだ。取っ替え引っ替えと言えば聞こえは悪いが、贅を凝らし自身に誂えたとはいえ、一度披露したものは着ないという者、一年経てば流行遅れだと考える者、卒業したら結婚するので着ないデザインだから、等々、様々な理由で屋敷の衣装部屋に眠ったきりのドレスは多かった。なので、意外にもこの呼び掛けに賛同する者は多く成功した。無論、本来は身内の侍女に下げ渡したり、針子が新たなアレンジをして別のドレスにしたりと再利用の道がある。それを学校に寄付するのだから純粋に慈善行為だ。

さすがに在校生のお下がりは支障があるので卒業生からの寄贈に限ると周知されていたが、お陰で数は充分揃っていた。

これらのありがたい好意の数々を、ダンスパーティーで着るドレスを自前で用意できない下級貴族や庶民がパーティーの前に集って選ぶのだ。


だがその集まりに、コレットは行くことが出来なかった。

魔法学の授業を受け持つ教師から、教科に関する手伝いを頼まれた。教師の依頼は魔力を用いる作業が含まれていたから、魔法の成績が良いコレットが選ばれるのは自然な流れだった。

そうして小一時間ほど拘束され、ようやく解放されたコレットがドレスの保管場所に着いた時には、既にめぼしい服はなかった。数ある中から皆がドレスを選び終え、ほとんどの生徒が満足して立ち去った後では仕方がない。

そうして残ったドレスの中からコレットの身体に合ったのが、今着ている華やかなピンクのドレスである。


一目で他のドレスとは素材も作りも違うとわかる最上級のドレス。

繊細な濃淡を染めで施した極上の絹に手編みのレースをふんだんにあしらったそれは、皆が心惹かれながらも手を出しかねた逸品だった。その上に人の手を借りて着ることを想定した複雑な作りのドレス。初心者には向かないそれを、コレットが躊躇わず手に取ったのには理由がある。


魔法学の教師に用を言いつけられるのも、残り物から身分不相応のピンクのドレスを選ぶことになるのも、ゲームのシナリオ通りなのだ。

さらに初めて着る夜会用ドレスに手間取って支度が遅れ、ダンスパーティーの開始時間に間に合わないのも。

と、ここまではゲーム通りの順調さだが、ドレスを着るのに想像以上に苦戦して、思っていたより時間が遅くなってしまった。

何しろドレスは狭い寮の部屋では広げられず、着付けもわからないまま。前世と今世の知識を総動員して強引に着る他なかったのだ。ドレス用の下着なんて持っていないから、手持ちのものを流用した。足元に絡まるドレスに、アンダースカートが必要と気づいたのは、胴を細身のドレスにやっとの思いで押し込めた後だった。

ある程度、形になっていればいい。

肩口を整えてそう思った。

合わせて提供された揃いの色の高いヒール靴に足を入れた。視線が高くなったが不安定な足元にふらついた。

最後におまけのように髪をまとめあげると、手持ちの小さな鏡を一度だけ見て、部屋を飛び出した。手にした長手袋を嵌めたのは廊下の途中だった。



もう生徒達は全員大ホールに集っているのだろう。誰もいない学校の廊下をハイヒールでとは思えぬ歩幅でコレットは駆けた。

ようやくホールの入り口が見えた時には、とても安堵していた。


良かった、間に合った。


ほ、と力が抜けて、掴み上げていたドレスの裾がふわりと落ちる。コレットは我に返ると裾を軽く叩き、背筋を伸ばした。

守衛が入り口を開けてくれる。なるべくゆったりと会釈してコレットはホールに足を踏み入れた。

余るほど灯された灯りが天井から吊り下げられたクリスタルの装飾を反射させて、きらきらと眩しい。ホールの真ん中では見たこともない礼服とドレスに身を包んだ男女がダンスに興じている。いつも見かける生徒達とは思えない、紳士淑女の集まりだ。さらに周囲に小さいテーブルがあって軽食が用意され、その周りは生花で飾られていた。

学校も、王族や貴族の通うものとて施設は充実していて清潔だ。

だがここは世界が違った。校内にこれ程豪華な空間があるとは。まさにお姫様のいるお城のようだ。ゲーム画面の限られた画で見るのと、現実の煌びやかさは桁違いだった。

半ば見惚れて立ち尽くしていると、目の前の人々がコレットに気がついた。そうして隣り合う者と目を交わし手に持つ扇で口許を隠して囁く。顎をあげてこちらをわざとらしく示して友人に教える男子生徒。また踊るのを止めて、パートナーと顔をしかめて壁際に避ける者。

小さなさざめきは、次第にホール全体に伝染していき、ほとんどの者が手を止め足を止め、コレットに注目していた。

生徒達の総意は、近くにいた女子生徒の口から漏れた

「何、あれ」

という感想に尽きるのだろう。

近い者同士、密やかに交わされる会話は全て遅れて現れた闖入者についての否定的なものとみえた。


コレットが着ているのは、ゲームの設定通りなら、卒業した伯爵令嬢のドレス。爵位は公爵侯爵に劣るとはいえ、ナーラ国でも上位の豊かさを誇る家が、一人娘の望むままに作らせた、学内の貴族令嬢すらも羨望の眼差しで眺めた評判の芸術品。

なのに特待生という名の庶民が、無遠慮にまともな着付けもできぬまま袖を通してパーティーに乗り込んできた。


失笑、嘲弄、軽侮。


コレットに向けられる負の感情は露骨で痛い程だ。

騒めく空気の中、仕事に忠実なオーケストラの音楽だけが美しく奏でられる。



ここが大事な分岐点。



コレットは自身に突き刺さる視線をものともせず、注意深くホールを見渡した。

すると、入ってすぐの末席とも言うべき壁際に騎士見習いのマクシムと立つルイを見つけた。

驚いたようにこちらを見ている。

丸く見開かれた青の目は大きいガラス玉だ。ただ、自分を映しているだけで、動こうとする気は見られない。


役立たず。

大体、何でマクシムと一緒にいるのよ。攻略対象者が並んでたらシナリオが狂うじゃない。


きつく睨みつけると慌てたように目を反らした。

やっぱりアレは無し。絶対無し。

コレットはそう自身に言い聞かせてから、呼吸を整える。

ゲームではシチュエーションによって展開が変わる。

遅れてやって来た場違いな格好のヒロイン。それに真っ直ぐ手を差し伸べてくれるのがシャルル王子。

女子生徒達が声高に馬鹿にしてきたら、正義感に駆られたマクシムが飛び出てくる。

高位貴族の息子達が批判したら、愚かな取り巻きを嫌ったフィリップが容赦ない言葉で彼らを黙らせる。

いずれも次に繋がる、互いの関係を深める要素になる。


だがシャルル王子は存在しない。

生徒達は顔をしかめ密やかに囁きあっているが、聞こえるようなあからさまな悪口や批判は上がっていない。

だからマクシムもフィリップも自ら動く要素がない。

当たり前だが、しばし待っても何も起きなかった。

この場には、困ったヒロインを助けてくれる素敵なヒーローはいない。

ただ借り物の不釣り合いに豪華なドレスを着た庶民が遅れてやって来て、場の空気を乱しダンスを邪魔しただけ。

そう事実がコレットの胸に落ちると、途端に居たたまれなさに身が縮んだ。


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