157 ヒロインの困惑
コレットの学校生活はそれなりに充実していた。
ここでしか学べない魔法学、高等教育、貴族社会の必須科目の教養。学校のカリキュラムだけでも興味深く、前世の知識があっても未経験過ぎてついていくのに努力が必要なものもあった。だがクラスメイト、特に新たに親しく言葉を交わすようになった友人達が手助けしてくれたお陰で前向きに頑張れた。
サラ、ポリーヌ、アニーは、育ってきた環境はまるきり異なるが思いやりのある少女達で、コレットは当初の懸念はどこへやら、普通に楽しい日々を送っていた。
その合間に、シャルロット王女の噂を聞き集める。一応、さりげなく関心もない風を装っていたが、大好きなシャルル王子とどうしても重ねてしまうから、どんな些細な話でも興味深く嬉しかった。
さらに遠目にでもかの方の姿を見かけたら一日中幸せな気分でいられた。本当は顔の傷の真相を確かめたかったが、残念ながら至近で会う機会はあれきり無いままだ。あくまで、ゲームとの差異を確認する為だ。個人的にお近づきになりたい、のもあるけれど、ヒロインとしての使命感である。
そんなこんなで充実した毎日を過ごしていたコレットは、大事なことを疎かにしていたと気づいた。
シャルロット(とルイ)だけにかまけていて、他の攻略対象者との出会いを頭からすっぱり排除していたのだ。
まずい。非常にまずい。
ゲームの時間軸は進んでいるのに、ヒロイン(自分)はゲームを進められていない。
一見、矛盾しているようだが、現状のコレットはそうとしかいえない立場だった。現実の世界だから、リセットもリスタートもなく、今この時も日々は経ち、時は刻まれて進んでいく。なのにヒロインの状況はスタートラインに立ち竦んだまま。
ルイ王子とシャルロット王女の反転という衝撃の展開に、ついつい彼らの周辺を追うことばかりに意識がいっていた。
本来ならば、本命であるシャルル王子と積極的に交流を図りながらも、日常生活の中で広くアピールして、他の対象者ともそれなりの関係を築く予定であったのに。
しかも本命の第一王子はルイーズ王女の変異体とあって、現状、進展はなく今後の展開も暗礁に乗り上げている。結果、片手落ちにもならない有り様で、コレットは未だ誰一人ともゲームにおけるルート選択の最初にも行き着けていない。
どうしよう。
いつの間にか、次のイベントが近づいてる。
このまま無為に時を過ごしてはいけない。
厳しく己を叱咤したコレットは、シャルロットの噂を拾い集めるのは一旦止めて、他の攻略対象者に目を向けることにした。
ゲームの早い段階に接触する攻略対象者は三人。その一人は…と考えて頭を振って棚上げする。
──ルイ王子はいないものとするのだ。
第一王子以外の二人は、第二王子と騎士見習いの三年生。同じ学舎に通う生徒として出会いの場が設けられている。筈である。
騎士見習いの三年生は、朝の登校時に目立つ長身の背中を見つけて、それとなく顔を確認した。茶色の短髪のすっきりと男らしい容姿で、ゲームの画像を実物に写したようにかつての記憶と違和感がなかった。見た通りの、ゲーム設定と齟齬がないことを願う。
同級で隣のクラスに居る第二王子は物理的な距離は一番近くはある。だが、さすがに何の伝手もない庶民の特待生がいきなり教室を訪ねるのはハードルが高過ぎた。
考えた末、二つ年上であるがフィリップ王子よりは気後れしないという消去法で、三年生の騎士見習いと知り合いになることにした。
ゲームではあまり考える間もなく校内で行き逢った記憶があった。騎士見習い──ゲーム通りであればマクシム、がコレットが広い校内で迷っているところに声をかけてくる。あるいは、校舎の片隅で魔法学の教師に褒められたヒロインを妬んだ生徒に絡まれているところを正義感の強い彼に助けられる、という具合である。
前世において、マクシムルートも一度はクリアした。だが何度も熱心にプレイしたシャルルルートでも、気づけば知り合いになっていて彼に労せず好かれていたので、わざわざ切っ掛け造りをしなければならないこの状況は、何とも心許なかった。
しかし既にシナリオがスタートしてから二週間以上経っている。こちらが何もせずにいたら、無策のままイベントに突入しそうだった。
それは避けた方がいい。
結論が出たので、コレットは騎士見習いの三年生、マクシムにターゲットを絞ることにした。前世の記憶を頼りに、出会いの場に近い学校の施設をあたりつつ、何気ない風に放課後の校内を用もなく歩き回った。しかし見も知らぬ一年生、社交界でも見たことのない女子生徒がうろうろしていても、攻略対象者どころか誰一人気にも止めない。
「ねえ」
それでも当て所なく歩いていると遂に声をかけられ、コレットは満面の笑みで振り返った。が。
「──サラさん」
「どうなさったの。こんなところで」
視線の先にいたのは、気さくなクラスメイト。見慣れた可愛らしい友人が、心なしか眉をひそめて立っていた。
聞けば、放課後だというのに荷物を置いたままいなくなったコレットを、心配して探しに来たのだという。
「忘れ物かしらって気になって」
「ありがとう。ちょっと、校舎内を探検してたの」
「そうなのね。じゃあ、お節介だったかしら」
「ううん、わざわざありがとう」
お目当ての対象者ではない。だがクラスメイトがこんな風に気遣ってくれるとは思いもしなかったので、コレットは素直に嬉しかった。
にこりと微笑むと、サラも顔を綻ばせる。が、ふいに目を伏せると、
「コレットさん」
口早に名を呼んだ。次いで、突然の変わりように戸惑うコレットの手首を掴んで引っぱった。
為されるがままに、サラの隣、廊下の端にぶつかるように立つ。
「サラさん、どうした「しっ!殿下よ」の」
は、と上目で窺うと、こちらに向かって数名の一団が進んでくるのが見えた。サラに倣って、目を伏せて彼らが通りすぎるのをやり過ごす。
王立学校の敷地内では身分による隔てはない。貴族出身だから、王族だからと特別扱いをしていては学業に差し支える、という当たり前の事情による。
しかしフィリップ王子に関しては話が別だった。
現国王の王子で次期国王と見なされている同級生は、さすがに治外法権の校内でも、特に無礼のないよう遠巻きにされていた。授業の際も、常に選ばれた貴族の子弟に周囲を固められていて、一般の生徒は近づくことはできないともっぱらの噂だ。
コレットも、隣の教室から出ていく一団を遠目で見たきりである。
だから、今は千載一遇の機会だ。
目の前を過ぎる瞬間、コレットはそっと頭をもたげてフィリップの姿を確認した。
四人の少年に囲まれて歩く、灰色の制服の男子生徒。
黒に近い艶のある茶髪をきちんと撫でつけている。乙女ゲームに相応しい端正な顔立ち。よそ見などしない、まっすぐ前を見つめる濃い青の瞳。ゲームと同じ、華のあるシャルルと対照的な、冷たい第二王子フィリップその人だった。
こちらに視線ひとつ向けぬまま、攻略対象者の一人は去っていく。
息を殺して行き過ぎるのを待って、コレットはサラと共に早足で教室に戻った。
こうしてコレットの攻略対象者と出会おうとする試みは失敗した。
その後も幾度か三年生の教室に近い辺りまで訪ねていったりもしたのだが、対象の騎士見習いにはかすりもしなかった。
毎日のように目的もなく校内を歩くのも、難しくなっていた。いい加減、他の生徒達に不審に思われそうで、コレットは校内を彷徨くことを断念した。
なるようになれ!だわ。
自分は、このゲームのヒロイン、聖なる乙女である。
悪いようにはなるまい。
わずかに芽生えた不安を押し殺して、コレットは自分に言い聞かせた。
ヒロインとしての能力、魔法の修得は順調で、ゲームの設定が生きていると実感した。
ならば、きっと大丈夫。多少の齟齬があろうとも、シナリオは自分に良いように進む筈なのだ。
騎士見習いとも、いずれ出会って好感度をあげられるに違いないわ。
そう結論づけると、コレットは近いうちに起こるであろうイベントについて思い悩むのをやめたのだった。
コレットは預かり知らぬことであるが。
この世界のマクシムは三年の課業で多忙の上、放課後は校内を彷徨くなどもってのほか。終業の早い日は帰り支度を高速で済ませて、一目散に学校から去っていくのが日課だった。
もちろん剣術の授業でお客様扱いが続く、体力をもて余している王女様の剣のお相手をする為である。
限られた時間を有効に使うべく、今年は選択科目を決めた曜日に多く取って、早く下校できる日をわざわざ捻出していた。故に、授業が多くある日は皆が終業の時間も別の教室に居残っていたし、早帰りの日は同級生と雑談もせずに消え失せた。
マクシム自身、己の信条に従った日々であるが、故にコレットの知識にあるような、校内で『偶然』出会う機会は皆無だった。
 




