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プリンス・チャーミング なろう  作者: ミタいくら
5章
157/277

番外小話 ミレーユと騎士団の森

104の後半辺りの話です。


かわいらしい少女は、小さい靴で地面を踏み鳴らした。我が儘を通すのに慣れた態度だった。


「目障りだわ、下がりなさい!」


この時、傅いているのが侯爵家の者であったなら、いつものミレーユの癇癪じみた声に、素直に従って側を離れるなどしなかっただろう。

しかし、この場にいたのは東の宮の侍女のみであった。

己が仕える王子の婚約者の令嬢。

あくまで客人である。しかも機嫌を損ねてはならない十三歳の少女に、あっちへ行って、と怒鳴られては異を唱えることもできない。黙って速やかに距離を取り、ミレーユが庭の奥へと走るのを見送った。


感情の収まらぬまま、ミレーユは勢いで進んだ。そうして、いつの間にか手入れされた庭を抜けて高い木々の林とも言うべきところまで入り込んでいた。

そこは東の宮の広い庭から望む森だった。手つかずの木々が深く生い茂り、その向こうに騎士団本部がある。多くの騎士の宿舎と練兵場や馬場を抱える広い用地と王宮との境、天然の目隠しとして森は在った。

周囲はミレーユの胴よりも太い木が空に向かって伸びていて、下草も青々と茂り、誰かに踏まれた跡もなかった。

ふと後ろを振り返っても誰もいない。供の侍女はおろか、衛兵や人影すら見えないことに、一人歩きに慣れないミレーユは内心怯んだ。それまでの迷いのない足取りから、先に進むべきか元いた方へ戻るか決めかねて惑う。


でも。

いつものように東の宮を訪れて。面会相手の婚約者には一目も会うことは叶わなくて。それは婚約が整った五歳の頃から幾度も繰り返されたこと。たとえ運良く顔を合わせることがあっても、ほぼ形式的な挨拶で終いである。

そんなお決まりの冷えた対応に、もはや落胆するまでもなく慣れていた筈だったが、今日は何故か気持ちが収まらなかった。

侯爵家で溺愛され甘やかされて育ってきたミレーユも、もう十三歳。

己の身分も、国の屋台骨を担う親の立場もよくよく理解している。

婚約者はこの国の王子だ。同い年で容姿も整っていて申し分のない相手。順当にいけば、ミレーユは労せず王妃というナーラ国最高の女性となる。

もちろん、全ては王家を巡る貴族の権力争いの均衡を保ち、我が家が権勢を維持する為のもの。破談になどできよう筈もない政治的な繋がりだ。

愛娘の気まぐれや我が儘を全て許してきた甘い父侯爵も、こればかりは、ときつくミレーユに言い聞かせてきたのだ。万一にも壊れぬよう、幾枚も猫の皮を被っておとなしい令嬢の節度を保ってきた。

そして、王子の冷たい対応もぞんざいな扱いも我慢した。

お父様の、お家の為、王妃になる為に必要だから、相手がどうだろうと構わない。


本当は、幼い頃、初めて出会った王子様に見惚れて、密かに憧れていたのだけれど。

その時、何を話したか覚えていない。だがすぐに冷えた青い瞳に見据えられて、癇癪を起こしたい気持ちも萎んでしまったとだけ、強く記憶に残っている。

それからは、東の宮、フィリップ王子の面前では我が儘娘の片鱗すら見せないようにしていた。


なのに。

きっかけはなんだったか。

会えないものと諦めつつも、新しいドレスを誂え、王子の好きだという空色のリボンを髪に編み込んで飾り立てた。そんな愚かな自分の行為に、案の定顔も見せない婚約者に、無性に苛立ってしまったのか。期待を滲ませた自分を、宮の侍女の一人が分別顔で宥めようとした為か。

居たたまれなくて。いつものような穏やかな様子を装って、時が過ぎるのを待つ忍耐が保てなかった。かっと気持ちが波立って、気づけばドレスの裾を鷲掴んで走り出していた。

「……」

後を追ってきた宮の侍女を、声も荒く追い返してしまった。家で振る舞うように地団駄も踏んだ気がする。


かなりまずいことを仕出かしてしまった。せっかくこれまで装ってきた(と思う)きちんとした令嬢の印象は、台無しである。

我に返って叫びだしたくなった。

さすがにこれ以上の醜態を晒すわけにもいかないから、決してしないけれど。

少し頭を冷やす時間が要る。


今すぐ戻る気には到底なれず、ミレーユはうっそうと繁る森に足を向けた。


誰もいない、けれど危険なこともない筈。筈、だ。

可憐なドレスはあまりに森に不似合いだった。無意識に肩をまるめて、恐る恐る一歩踏み出した。

ガサガサッ。

突然、葉と枝が揺れる音がしてミレーユは肩を跳ね上げた。

「きゃあっ」

目の前に小さな獣が飛び出して、消えていった。

驚いた拍子に靴が木の根に躓いてバランスを崩した。掴むものもなくミレーユは地面に尻餅をついた。

「あ…」

両の手のひらが乾いた土と草と、ごつごつとした木の肌を感じる。無様に転んだと悟って、ミレーユはそのままの姿勢で呆然とした。

「なんなの、もう…」

泣きたくなった。

と。

ガサガサと音がして、上から何かが降ってきた。

反射的に目を瞑った。

木から降ってきた、モノ?人?

獣ではない。私には怖いことなど起きない。


誰?何者?


自分に害なす者が現れたのではないかと、身が竦んだ。

「大丈夫?」

ぎゅっと目を閉じるミレーユに聞こえたのは、極々近い距離からの、子供の声。

そうっと瞼を開くと、目の前で同い年くらいの少年がこちらを覗き込んでいた。

きちんとした身なりから鑑みるに下級貴族か騎士の子。藍の瞳に、少し赤みがかった長い金髪を後ろで結んで下ろしている男の子。

「立てる?」

黙って見上げていたので不審に思ったのか、その子は少し眉を下げて尋ねてきた。そっと手が差し出されたので片手を重ねたら、優しく掴んで引き起こしてくれた。

「ありがとう。助かったわ」

意外にも柔らかな肌の感触に、ついと視線を包まれた手に走らせた。重なる自分の手が見たこともないくらい汚れていて気まずくなったが、男の子は気にした風もない。そっと注意深く立たせてくれた。それから触れることに軽く断りを入れて、ドレスの汚れを丁寧にはらった。


姫に対する騎士そのものである。

ミレーユはいたく感心した。

普段、何かと気に障ることが多いのに自分でも珍しいくらいに。

この子はなかなか有望なのかしら。

じろじろと検分するように眺めた。

腰に短い剣を下げているせいか、わずかに傾いているが、すっきりと背筋の伸びた姿。すらりとした手足は機敏に動く。美しく整った目鼻立ち。

難を言うなら、顔の傷だ。額から顎にかけて大きく一筋、白い傷痕が浮かび上がっている。

男の子だったら、騎士になるのだったら、普通?

ちょっと怖いが、フィリップ様と同じくらい綺麗な顔は粗暴な風には見えなかった。


「ウサギさんみたいだね」

「は?」

にこにこと言われて目を瞪った。

物心ついた時には婚約していた。だから家族以外には、常に殿下の婚約者と丁重に扱われる。

だからフィリップ以外の同じ年頃の男の子と、こんな近距離で話したことがない。儀礼を取り払った会話も。なので戸惑ってしまう。

「髪も目も茶色でかわいい。だからウサギさん」

そんなことをあっけらかんと言う。なんだが居たたまれなくて、ミレーユは顔を伏せて言葉を探す。

変な子。

でも私を助けてくれた、騎士。

ばっと顔をあげた。

「ミレーユ」

「え?」

「私の名よ。特別に名前を呼ぶのを許すわ」

「ありが、とう?」

助けてくれたから、感謝のしるしに近しい友人にしか認めていない恩寵、名前呼びを許可した。なのにそのトクベツを、知らない彼はピンと来ていないようだった。

首を傾げてから、にこりと微笑んだ。

「ミレーユ」

「──!~~~様をつけなさい、様をっ」

親以外はフィリップにしか呼ばれたことのない呼び掛けに、思わず心が跳ねた。

「あ、あーごめん。ミレーユ、さま?」

「そう」

彼は不思議そうにしながらも、ミレーユの言いつけに従って呼び名を改める。

ミレーユ様。

何故か少しがっかりした気分になったので、誤魔化すように問いかけた。こちらが名乗ったのだから、相手も素性を明らかにするのが当然だ。

「それで。貴方、名は」

「──様!」

遠くから聞こえた声に、彼が大きく後ろを振り返った。背伸びして向こうを確認して、飛び上がる。

「うわ。迎えが来ちゃった。もう行かなくちゃ。じゃあね、ミレーユさま」

「ちょっ!」

ぱっ、と明るい笑顔を見せると、引き留める間もなく、彼はミレーユに軽く手を振って駆け出した。


すぐにその背中は遠くなる。

「名前くらい、言って帰りなさいよ…」

あっという間に小さくなる影にかけた呟きは、思いがけず残念な響きになった。



それは、学校に入学する二年くらい前の珍事である。

侯爵家で入念に形作られた貴族子女との箱庭しか知らないミレーユの世界に、この些細な出会いは大きな風穴をあけたのだった。


次回から通常進行に戻ります。

次の更新は6日(月)になります。

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