153 フィリップ
王子という身分でありながら、毎日、定刻に特別仕立てとはいえ馬車で学校に通う。そして終日、貴族の子弟やさらに身分の低い者達と同列の扱いで生徒として学科を受ける。そんな毎日に、第二王子フィリップはようやく慣れてきた。
校内では常に生徒達の注目を浴びて何かと騒がしい。同世代の者達に囲まれ、時に宮廷では有り得ない砕けた物言いや馴れ馴れしさすら飛び越えた仲間同士の付き合いを間近に見る。心のうちで驚きもしたが、不快さよりも新鮮味を感じた。
フィリップ自身は、クラスメイト同士が次第に打ち解け仲間となるのとは隔絶されていた。学校に入学したその日から、周囲はフォス公爵の息のかかっている身分ある忠実な貴族の子息達で固められている。
それから、婚約者の侯爵令嬢とその取り巻き。
艶のある茶色の髪と同色の瞳。手入れの行き届いた肌を持つ同い年の少女。
婚約者ミレーユとはこれまでは一ヵ月に一度の顔合わせだったが、同じ学校、クラスにいる以上、ほぼ毎日言葉を交わすのが常になった。顔を見ているのに口も利かずでは、周りになんと勘繰られるかわからない。今までと異なる対応を迫られる煩わしさを感じたが、ここまで特に問題なく過ごしていた。
全て相手のお陰である。
父の侯爵に言い含められているのか、ミレーユは当たり障りのない会話を二言、三言繋げてこちらに振ってきた。フィリップは簡単な応答をするだけで済むような、絶妙な話題の選択。婚約者との親しさを見せ、周囲を納得させるだけの空気を作り出してさりげなく互いに別れる、ということを婚約者は毎日、実に自然とやり遂げていた。
見事な手際で、フィリップとしてはありがたい限りである。
この婚約者は、血筋といいそつのなさといい申し分ない。日常的にまともに会話したのは入学してからだが、かなり優秀と感じた。王妃とフォス公爵が選ぶだけある。フィリップの立場を第一に考えた振る舞いを徹底する、見事な令嬢だった。
一方、学業の方も何ら問題はない。
昨年辺りからにわかに、身体の内側から自然と何かが溢れ出す感覚を覚えた。
それが恐らく魔力の発露。
そのことに気づいて、幼い頃に仕舞い込んだ呪わしい本を探した。
目につかぬところ、と部屋の本棚の奥の奥に隠してあったのは初歩の呪術語本。震える手で頁をめくると、かつては目にするのも苦痛であった難読字がさしたる努力もなく読み解けた。さらに呪術語の発音が容易になり、無意識に口ずさめるようにすらなった。
長らく魔法、魔術の類いの試技から距離を置いていた。王子という身分柄、生活魔法を必要とする場面などなく、またあったとしても侍女や侍従が処理して終わる。フィリップ自らが為さねばならない日常の雑事などある筈もない。故に軽く魔法を使いたい、あれば便利だと思うこともなく魔道から離れて何年も過ぎた。
幼少期のいざこざを知る周囲も努めて話題にしなかった。だから、成長するに従い徐々に魔力が発現して軽い魔法が身についていく、という段階を飛び越してしまったらしい。
今のフィリップは軽い生活魔法はほぼ習得しているし、少し難度の高い魔法も数回試せば使えてしまう。
子供の頃、魔法が発現しなくてあれ程焦ったのが馬鹿馬鹿しく感じるくらい、全てが順調だ。
今から思えば、視えたからこそ母は躍起になって早期教育を息子に施したのだとわかる。力があると明らかに知って。我が子なればこそ、早い段階で覚醒させて優れたものにしたいと思うのは、あながち無理な話ではない。
だが幼い自分には出来なかった。
その頃のことを思い出すと今でも心が冷え、体が固く縮こまる。
染みついた条件反射だ。
だから今更、選択で魔法学をさらに深く学ぼうという気持ちにはなれなかった。
選択教科は剣術で。魔法に関しては必修レベル、特権階級として嗜みとして身につけるべき技術と知識を得たらそれでいい。そうフィリップは考える。
剣術は好きだ。
特別優れているわけではない。宮で指南する騎士も周囲の者も筋が良いと褒めそやすが、フィリップ自身は、手堅い地道な稽古の積み重ねで年相応の腕であると評価していた。
代々騎士団に所属する家の子息や騎士を目指す生徒とは比べ物にならないが、欠かさぬ稽古でそこらの貴族剣術よりは基礎もこれまでの鍛練も上だと自負している。
それは選択授業でも証明された。
剣術の教師の指導は全て幼い頃から身につけたものと同じで、実技は容易に動けるものだった。
経験の浅い慣れぬ生徒もいる中、フィリップは己の剣に手応えを感じた。
剣と向き合っていると、自身の悩みや立ち位置などを忘れていられる。一心に剣を振るのは気持ちいい。心を落ち着け、型を意識して腕を振るう。次第に汗ばみ、体が疲れを覚えても心は晴れていく。
また授業の中で、実戦を模して生徒同士で剣を交えるのも楽しかった。
剣を打ち合わせ、その重みと衝撃を掌に、腕に体に受けると、生きている手応えを感じる。金属の互いに擦れる音、叩かれる高い音。それすらもフィリップの心を高揚させた。
学校生活で特に良いのは、稽古相手が次々変わるということだ。
まだ「王子のお相手」として教師が慎重に選んだ幾人かの生徒とだけの稽古だが、それでも東の宮での稽古とは全く違う。
これから時がたてば少なくとも選択した生徒全員と試せる可能性があるのだ。得意な剣捌きも癖も知り尽くした同じ相手に興醒めするという、宮で感じた限界を味わうことはない。
それから政治や経済学、社会学。
帝王学と称して宮でも教師から学んでいたが、受ける知識は一面的な教えと感じていた。
為政者、統治する立場から見た世界。いかに効率的に国を治めるべきか、支配階級の視点でのあるべき国家を構築する学問。
それでも教師の語る世界は、フィリップを宮の閉ざされた空間から解き放ってくれたので、全てが興味深く思えた。もっと掘り下げて知りたいと考えていたから学校という新たな環境に、わずかだが期待を持っていた。
蓋を開けてみれば、フィリップの期待は良い方に裏切られた。
学校の教師は皆、宮で師事していた者より俯瞰で多方面から語る人物だった。フィリップが知りたかった民から見た国家の在り方や真に国を豊かにするヒントを学べる希望が持てた。
学内にある図書閲覧室の書籍も、網羅している分野が豊富で心が躍った。
教科でそれぞれ専任の教師がいる。当たり前の事だが、一人の教師に教えを請うしかなかったこれまでを鑑みれば、本当に画期的だった。フィリップの興味の対象は政治法律社会経済の全面に及ぶが、複数の教師が語る画が異なる角度で重なり、知識は層を得て判断材料を増やした。各界の専門家から多面的で民の生活の成り立ちや農工業、商業や生産について理解を深められるのだ。学年が上がれば他国との交易の話などについても詳しく学べるという。
フィリップは学校での学びに己の将来を見いだしていた。




