13 アンヌ
六歳の王子王女が住まう宮の家采を司るアンヌは、その日は珍しく外にいた。
ルイが書斎に籠っているために、シャルロットにせがまれて中庭の遊びに付き添っていた。
常は一日中くっついている二人には珍しいことだが、極稀にあると承知している。
ルイは書が好きで、シャルロットは外の遊びが大好きだった。そしてルイが傍らにいない彼女はさらに活発で、気がつくと遊びが危険に繋がっていたりするので目が離せない。
アンヌは幼い主が庭を走って蝶を追いかけ、噴水に手を伸ばしては笑うのを、ゆっくりと追い、見守っていた。
違和感を覚えたのは、アンヌがそろそろお茶の準備を始めようという時だった。
本来はお茶の時間に合わせて使用人の手で用意されるのだが、今は人手が足りない。少ない使用人で宮全体の仕事を回しているので、双子に関係することはなるべくアンヌがこなすようにしていた。
「シャル様、もう少ししたらお茶になります。少し、お休みになってください。ルイ様も呼んでまいりますから」
何気なくかけた声。
花壇の隅にしゃがみこんで、石を返して虫を熱心に探していたシャルロットの背が不自然に揺れた。
「シャル様?」
ばっ、と振り返った顔にはばつの悪そうな笑いが滲んでいた。
「ルイ?あ、あー!お茶は、いらない。うん、私、今日はお茶はいらないかな」
口ごもってそれから早口で言った。
「お菓子ですよ?シャル様の大好きな焼き立ての」
「あー。う、いらないよ、今日は」
眉を下げて目をさ迷わせながらもお茶の誘いを断る。珍しいことだ、と思いつつ頷いた。
「わかりました。ではルイ様はどうされるか伺ってきますね」
言い置いて書斎に向かおうとすると、焦ったようにシャルロットが立ち上がった。駆け寄って強い力で腕を掴まれる。
「待って!行っちゃだめ。ここにいて、アンヌ!」
両腕に縋って止められて、アンヌは怪訝に思う。
「シャル様?どうしてそんな──」
何故か必死でここに留めようとするシャルロットに、はっとした。
「ルイ様のところに、行かせたくないのですか?」
返ってきたのは沈黙。
答えたくないのか、答えられないのか。
けれどこちらを見上げる藍色の瞳は揺らぎ、アンヌが見透かすように覗き込むと逃げるように反らされた。
何か後ろめたいことがあるのは明らかだった。
アンヌは落ち着こうと息を吐き、シャルロットにゆっくりと尋ねた。
「ルイ様は、どちらにおられますか」
「~~」
「教えてください。書斎にはいらっしゃらないのですね」
「う。うん。でもルイは本が読みたいんだ。それだけだよ」
アンヌの勢いに圧されて、遂にシャルロットが口を開いた。その要領の得ない答えに、ルイの行き先が透ける。
まさか
アンヌは全身の血がひいていくのを感じた。足が萎えそうになるのを堪えて地を踏みしめる。
ルイ様!
朝食を終えてから、どれくらい時間が経った。最後にルイの姿を見たのはいつだった?
朝からの記憶が目まぐるしく頭を過る。
立ち尽くすアンヌに、シャルロットが取りなそうと必死に言った。
「ルイはどうしても知りたかったんだ。だから外に行っただけ。お願い、怒らないで」
ルイはアンヌが口にした図書館に興味を持っていた。元々、文字を覚えるのも早かったし、学ぶことが好きだ。宮にある本は微々たる量で学問に関心を持つルイには不足だった。だから図書館に行ってみたい、と頼んできた。
宮の外のことなど口にしなかったあのルイ様が。
よほど心惹かれたのだ。
だがそれをアンヌは断った。さらに食い下がったのに知らぬ振りをして話を打ち切った。
アンヌがその場しのぎで、いずれは、と誤魔化したのを見透かしたのだろう。
あの方は賢い。
けれど、ルイが、シャルロットも年頃より利口だといっても大人とは違う。
それに。
ルイとシャルロット二人の出生の経緯は告げたが、彼らに関わる最も暗鬱な要素は一切教えなかった。
まだ早い。まだ幼い二人に大人の暗い事情など知らせたくない。
それがアンヌの願いだったからだ。
だが、それ故にルイもシャルロットも外の世界がいかに危険か思い至らない。
落ち着こうと懸命に胸を押さえて、それでも急く気持ちを抱いたまま、玄関に向かう。
しかし、ルイを追おうと常は使用しない閉めきった表門を開けさせようとしたまさにその時、国の宰相の使いが寄越されたのだった。
突然の訪問に驚くアンヌに、使者は、宰相ロランが通りでルイを保護したこと、本人の意向で王立図書館へ連れていったこと、しばらく調べものをすること、そこでの安全は宰相の名にかけて保障することを告げた。
「お帰りの際には、我が家の馬車が責任を持ってお送りいたしますので、アンヌ殿にはご安心頂きたい、と主は申しております」
それと。
深々と頭を下げた使者はさらに声を潜めて付け加えた。
これは今は内密にしていただきたいのですが。
「殿下のご養育について、近いうちに主は陛下に奏上されるつもりです。待遇の改善もあるかと思いますので、アンヌ殿にはお心積もりを願いたく」
その後、ルイは無事ロランの手配した馬車で帰宅した。そして、夕刻にはきちんとした書面が宰相の名を記してもらたされたのだった。
急ぎ、内容を確かめた。
偶然ルイと出会い、これまで隠されていた第一王子の人柄に触れた。その際、とても感銘を受けたと最初にあった。
しかし、と書面は続く。
書き連ねられたのは、アンヌが日頃ルイに感じていることとほぼ同じだった。
ルイは、年齢にそぐわない賢さと明敏さを持っている。だが逆に、狭い限られた人間関係のうちで育っている為、通常、この年で身に付いているはずの王族としての作法や教養が全く具わっていない。
それを今日の短い会話で見抜かれたのだろう。アンヌは一般的な躾はしたが、王族が学ぶ特別な教育や作法は知識にない。
故にロランは、王族として相応しい知見や教養を早期に身につけるべきとの見解に達したらしい。
王に政務のほとんどを任され、国を牛耳っているやり手と言われるだけはある。
だがアンヌのうちには迷いがあった。
王族として、王位継承者として相応しい能力を持つのは果たしてルイとシャルロットに幸いをもたらすのか。後ろ楯もない子供が高らかに後継者と手を挙げたとして、排除すべき対象と見られて悪意と陰謀の牙が向くだけではないか。
無能無害な子供でいた方が、疑心暗鬼に駈られた権力者から見逃されるのではないか。
それでも、既にルイはロランと出会ってしまった。出会って、幼いながら王子の資質を知らしめてしまった。国の運営を担う宰相が余っている駒を見い出したなら、手堅く育て上げ、国の命運を賭けるに足る材にすべしと考えるだろう。
ロランの書面は、ルイとシャルロット、双子の別まで問い質していた。
アンヌは心の揺れを抑えて文面を熟読し、迷い、それから決断した。
ロランの意向に沿ってしまって良いのかもしれない。自分のような浅薄な女が知恵を巡らすよりも、一国の頭脳が将来を謀ってくれた方が安泰ではないか。
少なくともロランは第二王子を擁する王妃とは一線を画している。ルイを託すには最適、より良い未来を運んでくれるはず。
ルイ様の賢さは重鎮達の期待に応えられる。そう信じよう。
アンヌは決意し、宮の止まった世界は外へ向けて進み始めたのだった。




